11月号
「希望の木」を踊る
作家・作詞作曲家
新井 満さん
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モダンダンサー
藤田 佳代さん
東日本大震災被災地・陸前高田市の高田松原でたった1本残った奇跡の松をモチーフにした詩集「希望の木」が、全国で感動を呼んでいる。作者の新井満さん、モダンダンスとして演出・振付をした藤田佳代さんに、ここに至るまでの思いをお聞きした。
―「希望の木」出版までの経緯は。
新井 私の今の住まい、北海道大沼に、NHKのラジオ深夜便の石澤典夫アナウンサーとスタッフが時々訪ねて来てくれます。震災の約半年後、2011年秋のこと、石澤さんから「被災地を勇気づけるメッセージをお願いします」と依頼されました。そこで、私なりの気持ちを詩にしようと半分まで書いていたところへ、彼がやって来てしまいました。残りの半分はインタビューの中で頭に浮かんだことをお話ししました。文字通り〝即興〟です。それがラジオ深夜便で流れ、評判になり、出版社から本にしたいというお話がきました。「奇跡の一本松」の写真を添えて出版され、全国的に朗読本として注目されるようになりました。
―松が自分の気持ちを語っている、朗読に向いた作品ですね。一時は、根腐れして立ち枯れの危機にあったようですね。
新井 塩水に浸かっていますから無理もないです。結局、切って樹脂で固めモニュメントとして永久保存する方法を選んだようです。賛否両論あったようですが、見るたびに3・11を思い出す、良かったんじゃないでしょうか。この木からは、枝を切って7本の子どもたちが生まれています。命がバトンリレーされ未来につながったということですね。
―モダンダンスにしようと思ったのは何故ですか。
藤田 兵庫県洋舞家協会の理事会で「今年のふれあいの祭典では何をしようか?」という時、この本が出てきました。あまりに素晴らしくて、すぐに決定しました。誰がやるかという時に、「私がやります!」と即座に言ったものの、それから苦労しました。あの津波の凄まじさは、百人、千人、何万人のダンサーでかかっても表現できるものではありません。そこで、7本の幼木に焦点を合わせ、70本、700本、7千本、そして7万本に増えていく〝私の希望〟を表現することにしました。きっとこれは日本中の人たちの希望。だから踊る意味があると考えました。
今回、10月5日、兵庫県立芸術文化センターで開催された「ふれあいの祭典2013 ひょうご洋舞フェスティバル」のステージで公演しました。
―ご覧になった方の反応は。
藤田 すごかったですヨ! 観賞された方は皆さん、身を乗り出しながらご覧になって40分間がそのまま過ぎてしまったのではないでしょうか。中でも、新井さんご自身の朗読「希望の木」と、最後の合唱「いのちのバトン」は圧巻でした。「新井満さんと歌おう」という公募で集まった7歳から70代までの男女222人が全員で大合唱してくださいました。
―お二人の被災経験が原動力になったのですか。
新井 もちろんそうです。私は高校3年の時、新潟地震で被災し、津波にも追いかけられました。あの地獄のような経験がなければ、この本は作っていません。佳代さんも阪神・淡路大震災の被災者でなければダンスを作ろうという気持ちにはならなかったでしょうね。これも何かのご縁でしょう。
―お二人のご縁は…。
新井 長いですよ。私のデビュー作LPレコード「組曲 月山(がっさん)」を、逸早く佳代さんが洋舞家協会の芸術祭でモダンダンス化してくれました。40年前…あの頃はお互い若かったなあ(笑)。
藤田 35年ほど前ですよ。
新井 大した違いはない。
藤田 いいえ、大違いです!
―いずれにしても、かなり長いお付き合いということですね(笑)。
創作活動の原動力
―新井さんの作品で、多くの歌手がカバーした「千の風になって」ですが、この詩と曲の誕生は実体験をもとにしたそうですね。
新井 私の親友、幼友達ですが、彼の奥さんがまだ40代の時、小さな子ども3人を残して、がんで亡くなりました。4人の悲しみを何とか和らげてあげたいと思って作ったものです。最初は自分で歌い、その後100人ぐらいのプロ歌手がカバーしています。
―そういった、何か突き動かすものが創作活動の原動力になっているのですか。
新井 いいえ、頼まれれば頑張りますが、普段はぐうたらして何もしません。「希望の木」も依頼があったからできたんです。私は頼まれたら「イヤ」とは言えない、いい人なんだな、きっと(笑)。
藤田 新井さんは何がスゴイって、電通を定年まで勤め上げながら、色々なことをやってこられたのですから。
―サラリーマン時代から、作家、シンガーソングライターなど色々な顔を持っておられますからね。長野冬季オリンピックのイメージ監督も手がけられました。
新井 あれは電通社員としての仕事でした。一小説家としてではできなかったでしょうね。ありがたいことだと思っています。
―今のお仕事は。
新井 羊飼いです。
―何故、羊飼いに。自然が好き?動物が好き?
新井 正直私は、大自然は趣味じゃない。かみさんの趣味です。8歳の時、アルプスの少女ハイジを読み、「日本のハイジになる」と決めちゃったそうです。そのための学問も究めました。ところが、夢実現の一歩手前で偶然出会ったイケメン男性(私)と恋におち(笑)、しがないサラリーマンの妻になり数十年。その間ずっとハイジになるべく狙い続け、遂に実現したわけです。実は、羊や豚の世話は彼女の役目で、私は温かい目で見守っているだけです。私にとっては、彼女への〝愛〟ですね。
―では、羊飼いを優しく見守りながら、新井さんご自身の今、最大のお仕事は。
新井 大きな仕事は富士山でしょうね。中曽根康弘元首相が会長を務める「富士山を世界遺産にする国民会議」の応援団の一員として趣意書を書きました。数年前に「富士山」という歌を作詞・作曲・歌唱しましたが、世界遺産登録を機にバトンタッチし、森進一さんが今、歌ってくれています。要注目です。
藤田 とても心に響く、いい歌ですよ。
―藤田さんの新しいお仕事は。
藤田 今年もふれあいの祭典が終わり、続いて発表会、ソリストのリサイタル、来年3月に創作実験劇場があります。そこまでは生きていなくては(笑)。でも、来年秋にはまた発表会…私は死ぬ前日まで働いているでしょうね。
―元気で働けるのは何よりですね。これからもお二人の活躍に期待しています。
新井 満(あらいまん)(写真左)
作家、作詞作曲家、画家、写真家
1946年新潟市生まれ。上智大学法学部卒業後、電通に入社。小説家としては1988年『尋ね人の時間』で芥川賞受賞。2003年に発表した『千の風になって』がロングセラーに。近著に『希望の木』(大和出版)、『神様のシンフォニー』(講談社)、最新CDに『いのちのバトン』。
藤田佳代(ふじた かよ)(写真右)
モダンダンサー、振付家。兵庫県洋舞家協会理事
神戸大学文学部哲学科(社会学専攻)卒業。1952年より法喜聖二舞踊研究所でモダンバレエを学ぶ。1977年ロンドン、ロサンゼルス留学。1978年藤田佳代舞踊研究所設立。神戸市文化奨励賞、久留島武彦文化賞、兵庫県功労者など受賞。