6月号
連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第12回〜
膨張する宇宙
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する―― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。この連載で謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
前回から、宇宙をテーマにお話ししています。そして、その最初のトピックとして「ビッグバン」を採り上げました。前回は、重力、つまり引き合う力しか働かないこの宇宙で、天体は「落ちないように」必死で運動しなければならない、という話をしました。理屈ではそうであったとして、実際の天体はほんとうにそんな動きをしているのでしょうか。
必死で運動しているということは、それなりの速度を持っているということですが、実は、遠く離れた天体でも、地球の上からその速度を測定することができます。天体の中でも恒星は、核融合反応によって光を放っているために、遠く離れた地球でも観測できます。その光の波長は、もしその天体が観測者に対してある速度で動いているならば、もともと放たれた波長からずれるのです。これをドップラー効果と言います。
このドップラー効果は、波特有の性質で、光でも音でも起こる現象です。たとえばみなさんは、目の前を、救急車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎた、という経験があるでしょうか。そのとき、自分に近づいてくるときには、サイレンの音は高く(周波数が高く、波長が短く)、目の前を通り過ぎたあと、遠ざかっていくときには、サイレンの音は低く(周波数が低く、波長が長く)なっていたことでしょう。これは、音源(救急車)と観測者(みなさん)との間の相対速度の関係で起こる現象です。イメージとしては、近づいてくるときは、救急車とみなさんの間の音の波が圧縮されて波長が短くなり、遠ざかっているときは、音の波が伸ばされて波長が長くなる、くらいに考えていただいて結構です。これと同じようなことが、天体から地球へとやってくる光でも起こります。天体が地球に近づいているときには波長は短くなり、遠ざかっているときには波長は長くなります。
恒星が放つ光は、実際には広い波長域にわたる多くの光の集まりで、特定の波長の光だけではありません。ところが、その光の一部は宇宙空間に漂う物質に吸収されます。吸収される波長は、その物質の原子の構造(電子の軌道)によって決まっています。宇宙にある物質(原子)は、どこであろうと地球上のそれと同じですから、どの波長の光が吸収されるかは厳密にわかります。逆に言うと、吸収されている(地球に届く光の中で欠けている)波長を測定することで、途中の宇宙空間にどんな物質が存在しているかがわかります。
この二つを組み合わせます。ある天体からやってきた光を波長ごとに分析して(スペクトルに分ける)、その「吸収されて欠けた」波長が、本来の波長からどれくらいずれているか、を測定することで、その天体がどれくらいの速度で近づいてきているのか、あるいは遠ざかっているのか、がわかります。アメリカ合衆国の天文学者であるエドゥウィン=パウエル=ハッブルは、さまざまな天体に対してその速度を測定し、それらのほとんどが遠ざかる方向に動いていることを見つけました。そして彼の慧眼は、その速度と、それら天体の距離との関係を求めたのです。図がそのグラフになります。この観測結果に、ハッブルは、気持ちよく直線を引きました。つまり、天体の距離と遠ざかる速度(後退速度と言います)は比例関係にある、という主張です。これを「ハッブルの法則」と言い、彼は一九二九年に発表しました。宇宙は、なんと、膨張しているのです!
ハッブルが、このロールシャッハ・テストのような観測結果に気持ちよく直線を引いた理由は、実は先に「膨張する宇宙」という考え方があって、その考えを証明する結果が得られた、ということを意味します。ハッブルの観測では近い天体ばかりでしたのでこのようにばらつきが大きい結果でしたが、のちの天文学者がより遠くの天体を観測するほど、より一層、きれいな直線に乗っていることがはっきりしました。
前回お話ししたボールの話をすると、宇宙はまさに「投げたボールがいまだ上向きの速度で上昇している」最中だと言えます。この速度が0になるまでは、重力が「下向き」であっても、ボールは上へと移動します。「まだ落ちてこない」のです。
さて、この観測結果を基に、未来と過去について考えてみましょう。
未来では、天体はもっともっと遠くにいって、広がっていくはずです。少なくとも速度が0になるまでは。
では、過去はどうか。それぞれの天体はもっと近かったはずです。それをさらにずっと過去まで辿っていくと――天体はくっつき合うくらい近かったと考えられます。もっと言うなら、宇宙の天体、あるいは宇宙の物質のすべては、一箇所に集まっていたことになります。
では、宇宙のすべての物質が一箇所に集まっていたとしたら、そこではどんなことが起こるのでしょうか。次回はそれについて考えてみます。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。