6月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 神戸の芸術・文化人編 第41回
剪画・文
とみさわかよの
瀬戸本淳建築研究室代表
瀬戸本 淳さん
神戸を代表する建築家として、その名を馳せる瀬戸本淳さん。住宅一棟、集合住宅一棟に留まらず、連続した街並みを手掛け、結果的にまちひとつを創り上げるまでの仕事をすることも。しかし瀬戸本さんは、最新ばかりを追い求めるのではなく「ロシアでは、古い美術館や教会などを復元するなどのプロジェクトがあると聞きました。戦災で壊れた建築物を、建て替えるのではなく元どおり造り直そうとする取り組みは尊敬に値します。建物はまちの歴史の上に造るのですから」と語ります。地元神戸と阪神間をこよなく愛する瀬戸本さんに、お話をうかがいました。
―子供の頃から絵が得意だったそうですが、建築の道に進まれたのは?
父は画家を目指して勉強していた人で、近所の子を集めて絵を教えたりしていました。だから僕も絵は人並みに描けまして、中学・高校時代は美術部でした。でも進路を決める頃は、海外航路の船乗りか医者になりたいと思っていたんですよ。でも船酔いする体質で血が苦手でしょう、建築学科を選んで結果としてはよかったかな。建築学科は美術とも縁のある学科で、絵が描ける者は設計方面へ就職していったものでした。僕も卒業後は、鹿島建設の設計部で仕事をすることになりました。
―その後独立されますが、苦労されたとうかがいました。
23歳で鹿島から安井建築設計事務所へ移ります。楽しい事務所でしたが、高度成長期まっただ中で上司も忙しくて面倒を見てくれない、そんな中でサントリーを担当してせっせと仕事をこなしていました。ところが間もなくオイルショックが日本を襲い、友人たちは次々会社を辞めていく。僕も30歳の時独立しますが、仕事を持って出たわけではなかったので、最初は大変でした。この頃、ダイエーの中内㓛さんの片腕と言われた長沼隆夫税理士に「事務所は通りに面して構えなさい」「青年会議所に入りなさい」とアドバイスを貰い、おかげで仕事がいただけるようになりました。
―建物を設計するにはまず、まちを知ることが必要とおっしゃっていますが…。
長沼先生とのご縁は、「夙川の駅前を考える」というプロジェクトでした。今で言う、まちづくりワークショップですね。まちの人々の意見をまとめながら、ひとつ案を練り上げていく。残念ながら案は実現しませんでしたが、「意見を交わしながら創っていく」ことの重要性を、この時に学びました。僕の建築ポリシーの原点ですね。作家志向の建築家の中には「お客の意見は聞きません」という人もいますが、僕からすると信じられない。建築は周囲の環境や、そこが昔どんなまちだったかを知った上で設計するものです。そこに住んでいる人々こそがそのまちの歴史、文化そのものなんですから、意見を聞くことがまず大切ですよ。
―確かに、フィールドワークは重要ですね。設計する側の意図や思いは、どのように織り込んでいくのでしょう?
建築設計のプロは、自分なりにつかんだ歴史的位置付けを加味して建物を設計します。以前、和風旅館にべんがら色を使ったことがあります。その時は奇抜に見えた案も、30年経った今は馴染んでまちの風景になっています。完全にまちに沿わすのではなく少し元気が出るように、一生懸命考えて設計させてもらったのですが、これが絶対よかったなどとは言えません。建築の仕事はお客様とのコラボレーションで創りあげるもので、自分個人の「作品」ではないですから、建築家に思いがあってもお客様に納得いただけないこともあるし、お客様が喜んでくださっても設計する側に力不足の不満が残ることもあります。
―建築主と設計者のコラボ作品が、いくつも並んでまちを創る…そう思うと面白いですね。
どんな建築にも、造った人の思いが表れています。十把一絡げに「集合住宅はあかん」ではなく、「誰かが思いや願いを込めて造ったものだ」という目で見れば、建築もまちなみもまた違って見えてきます。僕は電車に乗ったら外の景色ばかり見ていますが、神戸のまちはひとつひとつの建築も面白くて、本当に魅力的です。北海道や東京の仕事もさせていただきましたが、やはりまちの成り立ちや歴史をつかめている阪神間の仕事が一番です。生まれ育った神戸のまち、阪神間に貢献できるのは嬉しいですしね。
―瀬戸本建築にはよく特徴的な「塔」がありますが、あれは?
あの塔は阪神・淡路大震災で取り壊された、阪急会館の塔なんです。子どもの頃からの数々の思い出があり、建築としてもすぐれたこの建物は、まさに僕にとっての原風景。東灘区の世良美術館や有馬温泉の月光園鴻朧館、中央区の兵庫県司法書士会館など、瀬戸本淳建築研究室の手掛けた塔を持つ一連の建築は、阪急会館へのオマージュとして設計したものです。そういえば最近、阪神三宮駅がリニューアルしましたが、あのタイルはいいですね。ほれぼれするような昔のタイルを再現していて、とてもいい仕事です。かつて造った人の思いを汲んで、さらに建築がよくなっています。建築にはまちの歴史と、造った人の思いが映し出されるんですよ。
―ずっと阪神間の建築を造ってこられて、今はどんな思いで過ごされていますか?
この仕事はすごく嬉しいことと悲しいことが同居しています。仕事してる時は苦しくても、終わった時は「楽しかったな」と思う。人との出会いは楽しいけど永遠に続くわけではなくて、悲しさを抱きしめないといけない時が必ず来る。人生の表裏を見極めながら、様々なことに幸せを感じ、でも長くは続かないことに寂しさを感じながら、複雑な人生を送っています。
(2013年3月25日取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。