10月号
のびのびと能力を伸ばす
灘中学校・高等学校 校長
和田 孫博さん
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日能研関西 代表
小松原 景久さん
阪神間に数ある進学校の中でもトップを走る灘中・高の和田校長と中高一貫の私学受験を応援する日能研関西の小松原代表。立場が違うお二人に、子どもの成長のこと、教育のことなど話し合っていただいた。
小学生と中高生それぞれ違う接しかた
和田 最近の子どもたちを見ていると、親離れができていない、逆に親御さんが子離れできていないという状況が多いように思います。本校では6年間のできるだけ早い段階から自分のことは自分でするようにして親離れを促し、それに伴って子離れができるようになればと思っています。
小松原 日能研に通う子どもたちは小学生ですから、どうしても親御さんの手助けは必要です。上手に支援をして下さいとお願いしています。中学生からが彼らの本当の成長の時期です。中学入試が終着点ではなく、そこからがスタートだと思っています。
和田 中学に入学したからといって、いきなり自主的に勉強しなさいと言っても難しいものです。まず生活の中からですね。例えば本校の場合は制服がありません。制服があれば、脱いだものを翌日また着ればいいのですが、私服ではそうはいきません。親御さんが選んで用意するのではなく、上と下をどう合わせるか、色はどうするかなど自分で考えることで段々と生活が自主的になってきます。そうするうちに、勉強も自分でやらなくてはいけないと分かってきます。生活全てにおいて手取り足取り世話するのではなく、できるだけ自主性を重んじることが必要でしょうね。
親は子どもの百番目の相談相手になろう
和田 親御さんが子どもさんのことを心配するのは当然のことですが、中高生になったら注意や助言は少し様子を見てから、「いよいよ」という時まで待つことが必要です。青年の心理を専門に研究している本校の卒業生がいるのですが、彼が言うには「親は百番目の相談相手」だそうです。反抗期には子どもは親から離れていくもの。その時期には親はじっと我慢して見守る。友達にも相談したけれどどうにもならず、大人の知恵が必要だと感じたら子どもから親にサインがきます。その時には「今まで何も言ってくれなかったくせに!」などと言わずに、親身になって相談にのってあげることが大切なのだそうです。家庭では、小言はお母さんに任せておいて、お父さんは追い打ちをかけないようにしてあげて下さい。
小松原 確かにそうですね。お父さんは本当の相談相手にならなくてはいけません。単にお母さんに言われたから同じように怒るだけのお父さんでは、子どもからの尊敬も得られません。怖いお父さんになる必要はありませんが、やはり家庭内でお父さんが尊敬される存在であってほしいですね。
和田 「お母さんはこう言っているけれど、どうなんだ?」と、まず子どもの言い分も聞いてあげることから始めなくてはいけませんね。
地元の要望で生まれた〝灘〟 時を経てトップ校に
小松原 灘は、どこの進学塾でも一人でも多くの生徒に合格してもらいたいと願う学校。もちろん私どもでも、灘特進コースを設けています。能力がある子どもには目指して欲しい学校という一言に尽きます。
和田 非常にありがたいことです。本校は昭和初期、兵庫県でもトップは公立校という時代に「ぜひ、私立の中学を!」という地元からの強い要望を受けて、嘉納治五郎先生の協力を得て、酒造会社が資金を出し設立されました。大正時代から阪神間は非常に教育熱心で進学率が高く、いわゆる旧制のナンバースクールに入れなかった子どもたちを何とかしたいという思いがあったようです。時を経て、進学塾さんにトップに位置づけていただける学校になれたことは本当にありがたいことだと思います。
小松原 実は横浜発祥の日能研が、関西でも全く土地勘も何もない神戸にやってくるきっかけになったのが灘だったのです。灘中の入試問題は底が深く、非常に優れています。そこで、ぜひお話を聞かせていただこうと、当時の日能研会長と私は、勝山正躬校長をお訪ねしました。「どうぞ」と校長室に招き入れていただき、お茶とお饅頭までいただいて(笑)、私たちはびっくりしました。有名私学の校長先生が塾から来た私たちを快く受け入れてくれるなど、それまで関東ではなかったことです。その上、「自他共栄の精神でお互いに頑張りましょう」と言っていただき、灘の懐の深さを感じました。
尖りは個性 丸く削る必要はない
小松原 東大進学者日本有数と言われ、高い合格率を誇る灘ですから、世間ではガリ勉ばかりだと思われがちです。でも、違うんです!私も文化祭などでお邪魔する機会があるのですが、生徒たちの様子は結構ゆったり、のんびりしています。自分を磨きつつ、他を認め合う気持ちがすごく強いですね。日能研の卒業生たちも、「こんな凄いやつがいる」「こんなワザを持ったやつがいる」など色々と教えてくれます。和んだ雰囲気を感じます。これは凄いと思います。
和田 子どもたち一人ひとりの個性をつぶさないということを本校では一番大事にしています。本校へは各小学校、各塾からトップの成績の生徒がやってくるわけですから、全員が勉強の面だけで言えばそれなりに自信を持っています。ところが入ってみると成績1番から200番まであり、勉強だけでは立つ瀬がなくなる子どもも居るわけです。そこで、勉強以外の何かの分野でも自分の個性を磨くことでお互いに認め合うことができます。
小松原 日能研に通って来る小学生はまだつぼみになる前の子どもたちです。中高6年間で持ち味を開花させて欲しいという思いで送り出す立場の私たちにとっても、個性を大切にする教育は嬉しいですね。
和田 中学受験の時点で子どもたちはまだ小学6年生。それぞれに尖った部分を持っています。もちろん中高6年間で人間形成の上で身に付けるべきことについては責任持って力を尽くすつもりですが、尖りを削って丸くしていく必要はないと思っています。むしろ相手の尖りを認めると言うことです。
先輩と後輩、先生と生徒 深くて長いつながりがある
小松原 灘は中高6年間だけでなく、卒業後も先輩、後輩の繋がりが強く、アドバイスを受けるケースも多いようですね。先生方も卒業生についてよくご存知です。生徒たちのことをよく見ておられるからでしょうね。こういう師弟関係もあるんですね。素晴らしいことだと思います。
和田 担任はほとんどが6年間持ち上がりですから、先生と生徒は親子以上の関係と言ってもいいでしょうか。生徒たちは学年での横の繋がりはもちろんですが、クラブや生徒会などでの縦の繋がりもあるようです。在学中は全く繋がりがなくても、会社訪問時や社会人になってからというケースもあります。私学は教員の入れ替わりが公立ほどありませんから、年代が離れていても同じ先生の話題で打ち解けることもあるようです。私も英語を教えていましたから多分、話題になっているのでしょう。
小松原 なぜか灘の卒業生たちから、いい先生、悪い先生という話題は出ません。おもしろい先生、ちょっと変わった先生の話はよく聞きます。「いい、悪い」での判断という感覚がないようです。お互いに認め合うという気風は先生に対しても同じなのでしょうね。
個性をつぶさずお互いが認め合って、のびのびと。しかも東大を始め全国有数の名門大への高い進学率を誇る。私立中高一貫校受験を応援する私どもにとって灘はやはり頼もしい存在です。
和田 ありがとうございます。これからもそう言っていただけるように、私たちも頑張らなくてはいけませんね。
和田 孫博(わだ まごひろ)
灘中学・高等学校 校長
昭和27(1952)年、大阪市生まれ。1965年、灘中学校に入学。1971年、灘高等学校卒業。1976年、京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業。同年、母校に英語科教諭として就職。中学高校の野球部の監督・部長を務める。2006年、同校教頭に就任。2007年、同校校長に就任
小松原 景久(こまつばら かげひさ)
日能研関西 代表
昭和15(1940)年、兵庫県生まれ。高校教員を経て、1971年横浜にて「日本能率進学研究会(現:日能研)」入社。1977年神戸にて独立し、「神戸能率進学教室(現:日能研関西)」を開設。現在、関西(兵庫・大阪・京都)、広島・岡山に25教室を開校し、中高一貫教育校への進学希望者を対象として中学受験指導に邁進従事する