11月号
触媒のうた 33
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
神戸で「詩人さん」といえば竹中郁を指した。「今日、電車で詩人さんを見かけたよ」というように。
その詩人さんと、わたしは一度もお会いしたことがなかった。残念といえば残念だが、わたしが詩に興味を持ち始めた時期とすれ違うように他界されたのだった。ただし、わたしが生涯尊敬してやまない足立巻一先生が兄事しておられ、竹中さん没後に『竹中郁全詩集』をはじめ数々の竹中さんの著書を世に出された。それを通じてわたしは竹中さんの人となりを知っている。
そのうちの一冊に『私のびっくり箱』(のじぎく文庫)というのがあり、『神戸っ子』に連載された晩年の随想も多く載っている。中に「奇才の人」と題した作家三島由紀夫とのエピソードを書いたものがあり一部を簡単に要約します。
―昭和23年か24年ごろ、画家の猪熊弦一郎と銀座を歩いていたところ三島由紀夫と出会い、猪熊が「こちらは神戸の詩人竹中郁さん」と紹介してくれた。すると三島は姿勢を正して私の詩「船乗りの部屋」を覚えているといって路上でよどみなく朗誦した。―
きわめて面白い話である。
この話をわたし、竹中さんの甥の画家石坂春生さんに「知っておられますか?」と話したことがある。石坂さんは「その話は知らなかったなあ」と驚いておられた。そして話された。
「伯父は、わたしがアマチュアのころはよく助言をしてくれました。けど、わたしがプロになってからは一切批評はしなくなりました。プロというものに敬意を払う人でしたねえ」
やはり会っておきたい人だった。
さて本題。
竹中郁と宮崎翁との興味深いエピソードの一端は前に「原稿料」(2012年11月号)と題して書いたが、こんな話もある。
「文は人なり」とは宮崎翁がよく口にされる言葉だが、これに関連して、
「昭和25年前後だったと思いますが、参議院議員でもあった詩人、中野重治が神戸に来た時にぼく、取材に行きました。たしか山手通りにあった喫茶店“ウィルキンソン”だったと思います」
“ウィルキンソン”はもう随分昔になくなっているが、儲けを度外視した品の良いゆったりとした二階建ての店だったと。
中野重治=詩人、作家。1902年~1979年。戦前、東大入学後に堀辰雄らと『驢馬』を創刊。一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加。戦後は参議院議員になったこともある政治家でもあった人。いわゆる有名詩人である。
「中野が来てるというので竹中さんが会いに来られました。そしてね、その頃竹中さんが力を入れておられた児童誌『きりん』を示して「今こんなことをしています」と中野さんに話されました。ところがね、中野さんは「ふん」てな感じで興味を示そうとされませんでした。開こうともせずに傍らに置かれてね。中野さんといえばいい詩を書く人です。なのにそんな態度をされた。その時、ぼく思いました。文は人なりと言いますが、当てはまらない人もあるのかなあ?と」
わたしも中野の詩を多少は読んでいるが、人間性あふれる作品が多くある。
次の「わかれ」はわたしの大好きな詩だ。
あなたは黒髪をむすんで/やさしい日本のきものを着ていた/あなたはわたしの膝の上に/その大きな眼を花のようにひらき/またしずかに閉じた//あなたのやさしいからだを/わたしは両手に高くさしあげた/あなたはあなたのからだの悲しい重量を知つていますか/それはわたしの両手をつたつて/したたりのようにひびいてきたのです/両手をさしのべ眼をつむつて/わたしはその沁みてゆくのを聞いていたのです/したたりのように沁みてゆくのを
彼には社会批評の激しい作品も多いが、このような人間を愛するやさしい作品からは誠実な人柄を思わせる。ところが、
「中野さんは戦前には共産党に入ったことから逮捕され、転向を条件に出獄した人ですが、文学者として時流批判を続け、執筆禁止の処分を受けておられます。つまり生活の手段を奪われたわけですね。ついにはこともあろうか、柳田國男を訪ねて就職を嘆願に及び叱られ断られるという羽目にもあっています。ところが戦後、新日本文学会の書記長になるなど、時代の人となって順風満帆。神戸に来られた時は参議院議員でもありました。共産党が華々しく花を開こうとする時の第一人者でしたからねえ。ぼくはまだ駆け出しだったし、無知を嗤われっ放しといった感じで委縮して一行の記事も書けませんでした。そんな状況での竹中さんとの出会いだったのです。中野さんの態度は、ぼくには傲然、無愛想に見えました。ところが竹中さんという人は、偉そうな態度は全くなく、阿諛的姿勢もない瀟洒な紳士でした」
ただ、経歴にあるように中野は、いわば反ブルジョア思想の持ち主である。竹中さんは裕福な家庭の御曹司、元はお金持ちのボンボンだ。その辺り微妙なものがあったのかも知れない。
この一つの出来事を取って、中野の人間性を判断することは避けなければならないだろうが、その時の竹中さんの心中はどうだったのだろう。鼻白む思いではなかっただろうか。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。