11月号
6通のブルックリンからの手紙|大江千里|6通目|「お弁当の子、箴言の子〜神戸での出会い〜」
大阪万博で思い出した事がある。
神戸ポートピア博覧会に、関学時代付き合ってた文学部の女の子と行ったのだ。大きな会場の噴水の前で、彼女の作ってくれたお弁当を開けて一緒に食べた。あの頃は同学年の男たちとバンドを組んでいて、そのコンサートに彼女が仲良しの友人と観にきて、仲良くなったのだ。
その子とはすぐ別れて、その仲良しのもう1人の女の子と今度は付き合い始めた。
そして、神戸女学院に通ってたその女の子のアパートに転がり込んでた朝のこと。遠くの方で音がする。トントンまな板の上で何かを刻む音、そしてぷうん、いい香り。
「ありがとうね、じゃあ」と言う聞き覚えのある声。僕は眠い目を擦り、のそのそと起きていく。すると彼女が僕にこう言ったのだ。
「あの子、彼氏できてんで。お弁当作るためにうちへ寄ってん」
一気に目が覚める僕に、「あんたはいつもそうや。スレスレのところで修羅場をすり抜ける。でもそれは相手を傷つけて成り立ってるということを忘れないで」
“ポートピアも終わればただの夜に戻って…”と歌ったユーミンの曲を聴くと、この朝を思い出す。
僕にはその頃、1日も早く音楽で身を立てたい気持ちしかなく、誰かと深く付き合う発想がなく、流れに乗ってた感がある。でも縁があってこの同じ女子校出身の2人と付き合うことになったのだ。この厳しい箴言の子は、お弁当の子から僕とのことを相談されてるうちに、今度は僕と付き合うことになってしまったのだ。
お弁当の子と別れた理由は、おそらく僕が優柔不断でフェードアウトを試みたのだと思う。そして箴言の子とも結局はすぐに別れた。フェードアウトで。
神戸、西宮、門戸厄神、甲東園、ここら辺の地名を聞くと、あのまだこの前まで女子高生だった2人を思い出す。
シビアに「人の傷を忘れるな」と言った子のアパートのキッチン、畳の部屋から見えたぼんやりとした朝靄、登場人物が秒単位ですれ違うさま、まるで人生がヌードになったような瞬間が蘇る。
デビューし、ヒットを飛ばし、やがてアメリカを目指す。ジャズという学生の頃大好きだった音楽へ先祖返りして、LAのジャズクラブでコンサートをやった。すると楽屋に懐かしい顔がいた。
「元気そうやね」。僕にお弁当を作ってくれた関学・文学部のあの子だ。
え?
「そう、こっちの日系企業の企画を任されて、アメリカに住んでもう20年以上やねん」。
ご縁が戻り、日本でも何度か会った。中目黒の桜を一緒に見たり、お互いの人生の出来事を報告しあったり。彼女は1回結婚して、英語も上手で、僕よりうんと逞しく生きている。そして、あの頃と全く変わらぬ溌剌とした若さをキープしてた。その縁もコロナで薄れる。便りのないのは元気な証拠、箴言の彼女も元気でいてほしい、そう思うけれど、彼女とは縁が途切れたままだ。
箴言の子は、ジェイ・ガイルズ・バンドの大ファンで、カセット2つ僕にダビングしてくれた。アメリカのダイナーで、当時ヒットしてた『センターフォールド』を耳にすると当時を思い出す。 “ かつてクラスの天使だった憧れの女性が、大人になりヌード雑誌の見開きページに登場するのを見た時の衝撃と喜び”を歌った曲だ。曲が終わってまた始まるという“リプライズ”を知ったのもあの曲だった。箴言の子はエンデイングの口笛をよく僕の前で吹いていた。
岡田山のアパートまで、2人で登る坂道を手を繋ぎながら。
大江 千里


大江千里 profile
1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。2008年、ジャズピアニストを目指し渡米、THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。2012年、自身のレーベル「PND Records」を設立しデビュー。現在、アメリカ、南米、ヨーロッパでライブを行なっている。NYブルックリン在住。













