2025年
1月号
(実寸タテ8㎝ × ヨコ18㎝)

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 104 言うたらあかん

カテゴリ:文化人

「書斎・輪」には、いろんな人からさまざまな本が贈られてくる。
なるべく早く読ませてもらって礼状を書くように努めている。
贈った人は「どんな反応がくるかな?」と待ち遠しいものだろう。わたしだってそうだ。「あれ?あの人からまだ返事がないなあ」などと気になるものである。本を一冊出すということは大変なことなのだ。
ただ、必要があって読むべき本が溜っている時には後回しになり焦ることもある。
わたしが敬愛する詩人、杉山平一先生がお亡くなりになったあと、ご息女の木股初美さんが、詩誌『季』(杉山平一追悼号)に寄せられた文「父と暮らせば」にこんなことを書かれている。
《父が亡くなってから急に本が来なくなってしまった。「何も来ないと寂しいものだよ」と言っていた父の言葉を思い出す。かつて破産宣告を受けた時、手紙や年賀状まですべてが止められて何も届かなかった正月の寂しさを、後年父は何度も語っていたのだった。》
先生はお忙しいのに、いつも返事をくださった。本を贈って頂けるのはありがたいことなのだ。

最近贈られた本に『丘野辺に孤影を曳く』(井口文彦著・スターダスト出版・1500円+税)という短編小説集がある。
受け取った時、著者名を見てわたしは「初めての人だ」と思った。ところが開けてみると井口文彦さんは詩人の井口幻太郎さんと同一人物だった。幻太郎さんなら以前に詩集を贈ってくださったことがある。いい詩を書く人なのでこの小説集も楽しみに読ませてもらった。十三篇が収められている。中で「矢車草」という作品が好きだった。
要約する。
主人公の牧人は小学五年生。時々やってくる母方の爺ちゃんが好きだ。軍隊経験のある爺ちゃんだが、戦地には行っていないと聞き、「そしたら、人を殺さなかったね」と安心する。
ある時、爺ちゃんが「どうして牧人は偉くなりたくないのか」と訊く。
「豊臣秀吉や野口英世は性に合わない。あの人らは元気やし、偉すぎる。僕はあんな偉い人にはなれないし、そんな元気もない」
爺ちゃんはこう言う。
「そうか、そんならそれでええ。伝記に載らなくても偉い人はいっぱいおる」
「へえ、どんな人」
「そうやな、ものつくりの職人の中におるな」
そんな会話のあと、爺ちゃんは、「自慢をせず、動じず、人への親切を陰でする、善行を施しても人に言わない人が偉い」と教える。
それから数日後のこと。牧人の学校でちょっとした事件が起こる。
同級生の一人が公園で百円硬貨を拾って届けずにそのお金でタイ焼きを買ったことが問題になり、その子は批判される。
その後、牧人は幼稚園の砂場でガラスの破片を見つけ、園児が怪我をしてはいけないと思いズボンのポケットに入れた。牧人は、
《なんだか知らないが少しいい気分がした。それは今まで経験したことのない密かな喜びの様なものだった。「さあ」と声を出して、そこを立ち去ろうと振り向いた。》
それを見ていた同級生の女の子がいて、牧人が拾ったお金をポケットに入れたと疑われる。しかし牧人はどんなに訊かれてもポケットの中のガラス片を強く握り締めて見せない。隙を見てその場を逃げ出し、屑篭に捨てる。
教室で先生にも訊かれるが、「僕は拾っていません」と頑なだ。そしてついに握り締めていた掌を見せることになるが、掌は血だらけだった。
お母さんにも知られてしまうが、牧人は、「お金は拾ってない」というだけで自分の部屋に閉じこもってしまい、
「言うたらあかんねん。言うたら僕がだめになってしまうねん。言うたらあかん言うてしまったらあかんねん」
繰り返し、そう呟いていた。
そんな時、駐車場に一台の車が入って来て、けたたましいクラクションをふたつ鳴らした。
牧人は、はっと顔を上げた。
「爺ちゃんだ」
そう言うと、階段を駆け下りていた。
こんな話だが、これは児童文学といえるだろう。機会を見て孫に読ませてやろうと思う。

(実寸タテ8㎝ × ヨコ18㎝)

六車明峰(むぐるま・めいほう)

一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。

今村欣史(いまむら・きんじ)

一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。

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