10月号
Movie and CARS|ダッチ・チャレンジャー
映画:『バニシングポイント』 アメリカ 1971年
登場車両:ダッチ・チャレンジャー
DUTCH CHALLENGER
文・株式会社マースト 代表取締役社長 湊 善行
1960年から1970年代のアメリカは、公民権運動、女性解放運動、環境保護運動が盛んに行われ、ベトナム戦争、大統領暗殺事件、違法薬物、オイルショック、などの闇が広がった。また、アポロ計画で人類が月に降り立ち、経済、政治、生活、文化、が大きく変化、ロックミュージックが流行し、キャプテンアメリカがハーレーで大陸を走った。この映画は古き良きハリウッド映画から一線を画した「アメリカン・ニューシネマ」であり、社会や政治に対する反体制的なメッセージや批判的な視点で描かれており、「イージーライダー」「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」などもアメリカン・ニューシネマである。
さて、主人公のコワルスキー(バリー・ニューマン)は、正義感が強く、戦争、警察、政治、全てに違和感と反体制思想を秘めていた。ベトナム戦争で負傷して帰国、警察官になるが上司の不正が許せずに辞職、レーサーも経験するが、今は車の陸送が仕事である。サンフランシスコからデンバーに車を届け、帰りは1970年式のダッチ・チャレンジャーをデンバーからサンフランシスコまで2,000Kmを運ぶ。急ぐ必要は無いがコワルスキーは直ぐに折り返すと決めた。街でドラッグを手に入れ、その売人にサンフランシスコまでを15時間で走り切る賭けに誘った。最高速度250キロのチャレンジャーを駆り不眠不休で走り切ろうと挑むのだが、彼にとって掛け金などどうでもよかった。ただ、高速で走り続ける、それに理由が欲しかった。警察に追われ、カーチェイスが繰り広げられる。白バイは転倒、無謀にも競争を挑んできたジャガーは川に転落する。コワルスキーは彼らが無事であることを確認してから再び走り出すのだった。逃走中、脳裏にフラッシュバックするのはサーフィンで亡くなった彼女、ベトナム戦争で負傷した醜い傷跡、戦争を憎み嘆く自身の姿、警察官の上司の不正に抗議して助けた少女の顔と瞳、カーレースの事故シーン、など、忘れることのできない心の傷。コワルスキーの爆走を楽しむ民衆、ラジオDJのスーパー・ソウルは警察の動きをコワルスキーに伝え、スーパー・ソウルの選曲したロックと共に走り続ける。コロラド、ユタ、ネバダ、カリフォルニアの各州警察は威信を掛けて阻止しようとするが彼を止めることはできない。逃げ延びてカリフォルニア州に入ったが、小さな田舎町の国道に大型ブルドーザー2台でバリケードが築かれた。多くの野次馬がバリケード周辺に集まり、スーパー・ソウルは引き返せと叫ぶ。だが、コワルスキーはアクセルを踏み込み、さらに加速してバリケードに猛スピードで突っ込んだ。クールな微笑みと、チャレンジャー(挑戦者)と言う名の車と共に、走ることだけに自由を見出したコワルスキーの魂が解き放たれる。冒頭、そのバリケード前でスピンターンをして走り去るシーンがある。そのカットは何故あるのか、バニシングポイント(消失点)で失ったものは何か、ブルドーザーの隙間から差し込む日差しに何を見たのか、コワルスキーの本意を知るための談義が繰り返される。真意は作者と監督のみが知る。それぞれに解釈が異なるのもアメリカン・ニューシネマである。ハイパワーのV8サウンドとロックと共に1970年頃のアメリカを楽しむ。