8月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から99 本屋さんに
さびしいではないか。あの店もこの店も、いつの間にか消えてしまった。街の本屋さんのことである。
けれども近くに店員さんがちゃんと対応して下さる店がまだある。
その店は、四年前に朝日新聞出版から出してもらった拙著『完本コーヒーカップの耳』を今も棚に置いてくださっているのだ。そこでちょっとこのお店の宣伝。
西宮市浜松原町にある「宮脇書店ダイエー西宮店」です。よろしく。
ネットも使うがわたしは、新刊本はなるべくその本屋さんから購入するようにしている。店にない時には多少時間がかかっても取り寄せてもらう。
ある日その手続きで、店員さんが書類を作成してくださっている時のことだ。
ぶらぶらと棚を見て回っていて、何げなく一冊の本を手に取った。面陳されていたわけではない。ただ、背表紙の著者名に覚えがあった。「高田郁」。以前一冊だけ『銀二貫』という小説を読んだことがあった。それで手が伸びたのかもしれない。
『あきない世傳 金と銀』(ハルキ文庫)。
パッと開いたページに目が留まった。
そこには物語の背景になる地図が描かれていて、わたしが住む西宮があり、「津門」「今津」など身近な地名が記されている。この本屋さんからも近い。子どものころにはヤンマやフナを追いかけた、いわばわたしのテリトリーである。また今津浜には孫が幼い頃自転車に載せてよく遊びに連れても行った。興味が湧かないわけがない。
ところが全13巻の大長編だ。読み切れるかどうか?まあ、取りあえず一冊だけ読んでみようとレジに差し出した。面白くなければそれで止めればいいと思って。
ところがこれにはまってしまった。
主人公の幸という少女は津門村の学者の子だったが、九歳の時に、運命により大阪は天満の呉服商に奉公にでることになる。そこから人生を切り開いて行く波乱万丈の物語。これに参ってしまった。
そんな時、息子が、娘(彼の妹)とわたしたち夫婦を食事に招いてくれた。親子四人だけでの食事は娘が結婚して以来初めてのこと。その店の場所が偶然にも大阪天満の天神さんの門前にあった。主人公の幸が歩き回っている場所である。こんな偶然にも興味が増した。
今読んでいる第九巻にこんな場面がある。
《「弥右衛門と申します。摂津国今津村という地で儒学を教えております」(略)。「昨年、今津浦に面した見晴らしのええ場所に建てました。津門村から通う生徒も居ます。以前、あの辺りには優れた私塾があったのですが、人手に渡った後、絶えてしまいましたから」
(略)。
「もしや、その私塾というのは凌雲堂というのではありませんか?」》
この辺りの記述は第九巻まで読んできたものには実に感動的な場面。
今津に学問所があったというのは西宮では有名な歴史。“大観楼”という史跡があり、資料にはこんな風に書かれている。
《この場所からは遠く和歌山から四国地方まで見渡すことができ、今津学檀の中心になりました。》
そして正にそのような場所に、1983年に新設されたのが西宮市立真砂中学校だ。
詳細は省くがその校名決定委員会に出席したわたしは発言した。
「西甲子園中学校などと安易な名づけはしないで、昔からある美しい地名“真砂”にしましょう」と。若き日の想い出だが、いいことをしたと今も思っている。ちょっと自慢。
そんなこともあり夢中で読んでいるのだが、わたしだけで楽しむのはもったいない。そこで毎晩のように妻に読み語ってやっている。因みにわたしは「読み聞かせ」という言葉が好きではなく「読み語り」だ。
この大長編を読む余裕は妻にはない。彼女は忙しいのだ。わたしの近くで用事をする時に、「読むで」と言いながらあらすじを説明し、感動する場面を読み語ってやる。なので、わたしは同じところを二度読むことになる。それでも涙ぐんでしまって声が詰まることがあるが、そんな時、彼女も涙ぐんでいる。老夫婦が二人で楽しんでいるのだ。
さあ、次の巻を本屋さんに買いに行こう。
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。