2024年
8月号

連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第14回〜

カテゴリ:文化人

ビッグバンの名残り

自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する︱― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。この連載で謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!

前回は、宇宙の初期にはすべての物質が一箇所に集まっていたために、とてつもない高温になっていた、という話をしました。今回は、本当にそうだったのか、その証拠はどこにあるのか、についてお話しします。

今回はまず、「相転移」からお話ししましょう。「相」とは状態のことで、それが変わることです。たとえば身近な例として、水蒸気が水に変わる反応について考えてみましょう。同じ物質でも、水蒸気は気体で、水は液体と、それぞれ「相」が異なります。そのときの温度や圧力によって、もっとも安定した状態のほうに変わります。みなさんは電車通勤をされていますか。冬の寒い時期に満員電車に乗ると、窓が曇ってきます。これは、乗客の呼気に含まれる水蒸気が、窓で細かい水滴に変わったものです。みなさんの身体は暖かいので、呼気として出たときは気体(水蒸気)の状態ですが、窓に触れると、それを通じて外気に冷やされて、液体(水)の状態に相転移するのです。
こういった相転移は、あらゆる場所で、あらゆるものに対して見られる現象ですが、宇宙の初期にも、あらゆる階層で見られた現象です。階層と言いましたが、それは、素粒子のレヴェル、原子核のレヴェル、原子のレヴェル、分子のレヴェル……そういった各階層です。今回は、原子レヴェルでの相転移に注目してみましょう。原子は、原子核の周囲を電子が決まった軌道を描いて周回しています。ところがこれは、我々の周辺の「冷えた」状態での話です。電子の運動エネルギーと、原子核と電子との間に働く電磁力による位置エネルギーのバランスが取れているからです。この原子の温度を上げていくと、前回お話ししたように温度とは粒子の運動エネルギー(の密度)ですから、運動エネルギーのほうが大きくなっていって、あるところで電子は軌道に乗っていられなくなり、外に飛び出してしまいます。この、原子核と電子がばらばらになった状態を、プラズマと呼びます。宇宙の初期はとてつもない高温だったのですから、当然ながら最初はこのプラズマの状態でした。ところが、宇宙が膨張していくと、これも前回お話しした断熱膨張によって温度が下がっていきます。すると、あるところで、電子は軌道に乗るのにちょうどよいくらいまでエネルギーが下がり、原子の中の軌道上に閉じ込められてしまいます。これが原子レヴェルでの相転移です。宇宙がどんどん膨張していく、つまりどんどん温度が低くなっていくと、あるところでこの相転移が起こるのです。自由に飛び回っていた電子が原子の中に閉じ込められる瞬間が。自由に飛び回っていた水蒸気が窓に捕らえられて水滴になるように。
この相転移の瞬間に、いったい何が起こるのでしょうか。
宇宙は光で満ち溢れています。第8回でお話ししたように、物質、つまりここに出てきた電子などの、一〇億倍もの量です。しかしこの光は、電磁波ですので、電磁力が働き、電荷を持った粒子と反応します。ですから、プラズマのように電荷を持った電子や原子核が自由に飛び回っているような場所では、それらと反応し、ぶつかって、自由に飛び回れません。言わば宇宙は「曇った」状態となっていました。ところが、電子が原子の中に閉じ込められる相転移が起こったとたんに、光は障害物なしに自由に飛び回れるようになり─いえ、「回る」という言葉は不適切で、障害物のない空間では光は直進するので、はるか彼方まで飛んでいくことになります。これを「宇宙の晴れ上がり」と言います。宇宙が誕生して四〇万年後に起こったと考えられています。
宇宙は冷めていく一方なので、この相転移以降は、光はもう何にも妨害されずに直進していきます─そして、今でも飛び続けているはずです。「火の玉宇宙」を提唱したガモフは、今でもそれが観測できるはずだと言いました。
光の速度は有限であるために、宇宙で観測される天体からの光は、遠い天体からのものであるほど、その過去の姿を見ているわけです。たとえば太陽からの光は地球に到達するまでに八分ほどかかりますから、実は我々は現在の太陽を見ているのではなく、八分前の太陽の姿を見ていることになります。これがアンドロメダ銀河であれば二五〇万光年離れていますから、二五〇万光年前の姿を見ていることになります。この理屈で行けば、宇宙の最果てを観測すれば、一四〇億年前、宇宙が誕生してから四〇万年後の姿、その「過去からやって来た」光を見ることができるはずです。なぜなら、それ以降、宇宙は「晴れ上がり」、そのとき自由となった光が、何の障害物もなく我々のところに届くはずなのですから。逆に、その相転移以前の光は、「曇った宇宙」に阻まれて、見ることはできません。まさに、その相転移の瞬間だけが見られるのです。しかもこの相転移は宇宙のあらゆる場所で一斉に起こったと考えられるので、どの方向からも均一にその瞬間の光がやって来るはずです。これを「宇宙背景輻射」と言います。
そしてその光は、前々回お話ししたドップラー効果によって波長が引き延ばされ(厳密には少し違いますが)、当時の温度(エネルギー)に相当する波長ではなく、もっともっと低い温度に相当する、長い波長となっているはずです。ガモフはそれを絶対温度五度(5K)相当の波長と見積もりました。ガモフがそれを提唱したのは一九四八年のことでしたが、当時はそれを測定できた人はいませんでした。
その一六年後の一九六四年に、ベル電話研究所のアーノ=ペンジアスとロバート=ウッドロウ=ウィルソンが、同研究所の電波アンテナを使って、まったく偶然に、それを捕らえることに成功しました。僕はその論文を読んだことがありますが、たった二頁の論文でした。しかし、その発見の重大さから、二人はその二頁の論文でノーベル物理学賞を受賞しました。
時代は下がって一九八九年、この宇宙背景輻射を大気圏外で測定するための人工衛星が打ち上げられました。名前は、「COsmic Background Explorer(宇宙背景輻射探査機)」の略で、「COBE」。本誌としては「こうべ」と読みたいところですが、英語の発音は「こうびー」です。この人工衛星による測定によって、ガモフの言う通りに、宇宙のすべての方角から、均一に、「晴れ上がり」の瞬間に放たれた光が観測されました。その波長のエネルギーを温度換算すると絶対温度二・七度(2.7K)。よく「宇宙の温度は三度」と言われるのは、空間の温度がそうなのではなく、この背景輻射の換算温度のことです。ガモフの計算とは少し違いますが、本質はそこではありません。ガモフの「火の玉宇宙」は、そしてビッグバンは、本当にあったのです。

COBEによる宇宙背景輻射の全天測定結果を画像化したもの。温度の違い(ごくわずかなもの)を色の違いで表わしている
Courtesy NASA/JPL-Caltech

PROFILE
多田 将 (ただ しょう)

1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。

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