8月号
松本隆さんと神戸
『赤いスイートピー』と 『トアロードのハレ娘』
2024年初夏、ケーブルカーの小さな駅に赤いスイートピーが咲きました。
同じ頃、街の坂道のシンボルアーチに詞が刻まれ、歌碑になりました。
このふたつの出来事のはじまりには、歌がありました。
『赤いスイートピー』(1982年)と『トアロードのハレ娘』(2022年)。
ふたつの歌の歌詞を書いた松本隆さんにお話をうかがいました。
線路の脇に咲いた
『赤いスイートピー』
~神戸市灘区・摩耶ケーブル駅にて~
この曲を作るときに考えていたのは、恋をしてる時の気持ちって、明るいばかりじゃないよねってこと。一緒にいたら幸せなんだけど、ちょっとしたことで不安にもなるし寂しくもなる。松田聖子なら歌えるなと思ってた。
ユーミンに作曲をお願いしたのは僕。出来上がった曲に詩をつける。僕にとってはいつもとは逆の仕事だった。
メロディに合わせて「スイートピー」を選んで、花の色もメロディに合わせて「赤」に。『赤いスイートピー』はそうやって誕生したんだけど、僕は、赤い色のスイートピーがこの世に存在しないことを知らなかった。知ったのは、ずいぶん経ってからだと思う。誰も調べたりしなかったし、誰にも指摘されたことはなかったよ。今だったらどうなんだろうね。
この曲は、松田聖子にとっても大ヒットした。あの頃のテレビは歌番組がいくつもあって、ヒット曲は毎日よく流れていたからね、スイートピーの生産者が「それじゃあ赤い色を作ろう」ってことになったらしいよ。品種改良に時間がかかったみたいだから、その間、この歌がなくならなかったのはよかったね(笑)。
※赤色のスイートピーの種は2002年発売。
摩耶ケーブルで『赤いスイートピー』の発車メロディが初めて流れたのは昨年かな。これも嬉しかった。大瀧詠一の故郷、岩手の駅で『君は天然色』が発車メロディになったと聞いた時、素敵だなと思ったから。ケーブルカーに乗って出かけるときに、幸福感がちょっとでも増したらいいね。
花の種を蒔いたのは人生で初めてのことだった。「赤いスイートピーを線路の脇に咲かせよう」って友だちの慈くんが企画して、朝早く街の人たちと一緒に種を蒔いた。「半年くらいで咲きます」っていうから、歌と同じ、半年過ぎてからなんだなって思ってた。
花が咲いてよかったね。幸せだなと思ってる。歌の中で咲いてた赤いスイートピーが本当に誕生して、僕が住んでる街で咲いたんだから。“線路の脇”でね(笑)。一生懸命、歌を作っていてよかったな。
晴れ晴れな都会
“トアロード”のハレ娘
~神戸市中央区・ジャズ喫茶にて~
僕の“居間”みたいな喫茶店がトアロードにあるおかげで、その付近で食事することも増えて、友だちも増えて。いつの間にかトアロードに長い時間いるようになった。そんなご縁があって、トアロードに僕にとって初めての歌碑ができた。
これには驚いてる。普通、歌碑って大ヒット曲が選ばれると思うんだけど、『トアロードのハレ娘』はまだリリースもされていない。僕に詞を依頼した鈴木茂が、自身のライブで何度か歌っただけなんだから。限られた人しかまだ聴いたことがないし、聴きたくても聴けない。そんなことってないよね、普通(笑)。初めから神戸の歌にしようと思って考えてたわけじゃないんだけど、この詞はある日、不思議なくらい自然に生まれた。この街には粋で明るい魅力を感じていたから、僕のイメージそのままの、キラキラした歌になった。
シンボルのアーチが古くなって建て替えの話が進められていた頃、いつものおしゃべりの中で、一口1000円の寄付を求められた(笑)。僕も?って、笑っちゃった(笑)。
トアロードのまわりに、母校の慶應大学の創立者、福沢諭吉が土地を持っていたなんて話も聞いたものだから、神戸でお付き合いのある卒業生たちと一緒に協力することになった。神戸生まれの建築家がデザインすることが決まって、そのアーチに歌詞を刻む話が街の人たちからあがった。本当に光栄です。
自分たちの住む街を、そんなふうに自分たちで作っていくのはいいことだと思う。僕は、“人”が見える街に魅力を感じる。
アーチの除幕式の日は、トアロードにあるライブハウスで、神戸にゆかりのあるミュージシャンたちが『トアロードのハレ娘』を歌った。僕もトークで参加。楽しかった。長く生きてるとおもしろいこともたくさん起こるね。
完成したアーチは、キレイに街に溶け込んでいる。歌碑はちょっと見上げたところにあって、そこもいいなと思ってる。
text.田中奈都子