12月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から91 「顔」という詩
敬愛してやまない詩人、杉山平一先生の詩にこんなところで出会うとは。
神戸元町の県民アートギャラリーでこのほど開かれた「第57回名筆研究会展」でのこと。今回のテーマは「笑」。広い会場が笑いに包まれていた。
名筆研究会は、この「喫茶店の書斎から」のページに「書」を添えて下さっている六車明峰氏が常任理事をなさっており、会誌「名筆」の編集人でもある。
1969年に書家村上翔雲師(著書『ひょうごの野の書』があり、これは拓本の写真を見るだけでも飽きない名著)が創設。主に現代詩(俳句などの短詩形をも含む)に材を取っての創作活動を展開している。その書は「素晴らしいなあ、美しいなあ」だけではなく、「面白いなあ」の要素もあって観ていて飽きないのだ。それはこのページの六車氏の書を見て下さっている読者にはお分かりいただけるだろう。
今回の「名筆研究会展」での六車氏の作品は永田耕衣の俳句「圧された鯰と共に笑う身の節々」を迫力ある筆致と少しの遊び心で表現。縦150センチ、横270センチという大きなもの。その他二十数名の同人もこれに負けない大作を発表しておられて、それぞれの個性があふれている。
わたしの大好きな文人の詩や句も採用されていて大いに楽しんだ。
例えば、詩人まど・みちおの「たんぽぽ」や、八木重吉の「赤んぼがわらふ」、そして川柳作家時実新子の「アハハハハ 秋になっても アハハハハ」など。それぞれが書風も違っていて楽しいのだ。
そんな中に、我が杉山平一先生の詩があって思わずニンマリしてしまった。
谷本直子さんによる「顔」である。
子供の画く太陽が
ニコニコ笑っている
手も足もない
身体全体が顔なんだ
手や足や胴なんかどうでもいいのだ
人間は顔が太陽なのだ
三人でも五人にでも視線を浴びると
もう まぶしくて
まぶしくて
杉山先生らしい明るい詩だ。しかし微かに影も感じられるのがまた魅力。
この詩を谷本さんは120センチ×240センチの大作に仕上げている。
ところがだ。わたしはこの詩に覚えがなかった。杉山先生の詩ならみんな読んでいるはずなのに。
そこで帰宅して杉山平一全詩集(編集工房ノア・1997年刊)を調べてみた。
上下二巻、合わせて1500ページほどもある。といっても実は「目次」で調べただけなのだ。
「顔」という詩はすぐに見つかった。
窓から灯が出るように
人は顔から 光がもれる
二十人もこちらを向くと
明るく まぶしいくらいだ
(後略)
あれ?作意は似ているが違う。
別の本を探す。
2004年発行の『青をめざして』(編集工房ノア)。「顔」はあった。
人が歩いてくる みんなカオをつけて。
たった一行の詩。なぜかドキンとします。
しかしおかしいなあ。なんでないのだろう?
杉山先生は生涯に膨大な数の詩を作り、いろんなところに発表されているが、本に収録されなかったものもたくさんある。もしかしたら、谷本さんはそんな中から選んだのでは?と思ったが、そうだもう一冊、杉山先生の生前最後の詩集があった。
『希望』(編集工房ノア・2011年刊)。
この詩集で杉山先生は、現代詩人賞を受けられたのだが、東京での授賞式でご自身が朗読することになっており、その練習に励んでおられたと聞いた。だがその直前に97歳で急逝されてしまった。
その詩集を繙いてみる。
あらら、巻頭の表題詩「希望」に続いて、探していた「顔」が載っているではないか。「子供の画く太陽が…」。
ああ恥ずかしい。歳は取りたくないですねえ、と歳のせいにしておこう。
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。