6月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.31 映画監督 阪本順治さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。
そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第31回は映画監督、阪本順治さん。
文・戸津井 康之
今の時代だからあえてモノクロで挑む…30本目で試みた未踏の領域
異色のオリジナル時代劇
「どついたるねん」、「顔」、「亡国のイージス」…。骨太のヒューマンドラマからサスペンス、スペクタクル大作まで、ジャンルを問わず、さまざまなテーマの映画を手掛けてきた邦画界の重鎮監督が、通算30作目となる節目の新作を撮った。
「これまで、いつかは撮りたいと考えていたが、なかなかその機会がなくて…。ようやく、そのチャンスがやって来ました。それが今でした」
感慨深げにこうしみじみと語った映画は34年のキャリアの中でも自身初となるモノクロ・スタンダードサイズ。最新デジタルのフルカラーやワイド画面ではなく、あえて〝映画の原点〟ともいえる形式に挑んだ。
タイトルは「せかいのおきく」。
これも30作目にして、自身初となるオリジナル脚本による時代劇である。
舞台は江戸時代末期。武家育ちの22歳の娘おきく(黒木華)は、父(佐藤浩市)と二人、貧乏長屋で暮らしていた。ある日、突然降り出した大雨を避け、おきくが雨宿りをしようと、お寺の厠のひさしの下へ飛び込むと、そこには紙くず拾いの中次(寛一郎)と下肥買いの矢亮(池松壮亮)がいた。身分の違う三人の若者の交流が始まる…。
「これまでやったことのない撮影手法を試みたんですよ」と阪本監督はニヤリと笑った。苦笑気味だったのは、30作目にして初めてづくしだったから。「こんな撮影の進め方は異例でした」と打ち明けた。
映画は序章から始まり、第七章を経て終章へと続く構成。計約90分の長編だ。
だが、「実は最初に撮影したのが第7章の部分。そもそもは、パイロット版(正式な映画に先行して作る試験的な映像)として撮ったこの約15分の短編映画の企画だったんです」と阪本監督は説明する。
さらに、このパイロット版に加え、企画を進めるために、「次に第6章を撮ることが決まった。これも約15分の短編でした」
第七章では、黒木演じるおきくと、寛一郎演じる中次が登場。その場面にはいない池松演じる矢亮は、第六章で初めて登場している。
つまり、「第七章を起点に、時間をさかのぼって序章から五章までを撮影。さらに七章の後の終章を撮っているんです」
幾多の時代劇が撮られた歴史と伝統ある京都・太秦撮影所で、こんな常識を覆すような手法で原点回帰ともいえるモノクロ・スタンダードの時代劇の撮影が試みられていたのだ。
脚本も手掛けた阪本監督は、「もちろん、こんな撮り方は通常はしませんよね。だから脚本を書く作業も大変でしたよ」と正直に語ってくれた。
〝戦友〟たちとともに
今作を企画したプロデューサーで、美術監督も務めた原田満生さんとは30年来の盟友だ。
1991年に公開された「王手」を監督したとき。美術スタッフとして現場に参加していたのが原田さんだった。以来、度々、同じ撮影現場で顔を突き合わせてきた仲。阪本監督は「戦友みたいな存在」と言う。
数年前、原田さんが大病を患った。2019年12月。病気から復帰した原田さんを励まそうと、阪本監督は京都旅行へ誘った。
京都周辺の寺社仏閣などをまわった後、二人の足は、自然と太秦の撮影所へ向かっていた。
「太秦撮影所の中を歩きながら、彼がこう言ったんです。『短編でもいいから、こういうところで映画を撮りたいな』と…」
そして、企画書を見せてくれた。
そこにはサステナビリティ(持続可能)や、サーキュラエコノミー(循環経済)など環境問題をテーマにした映画の企画が書かれていたという。
「自分には環境問題とか啓蒙的な映画は撮れないよ、と最初は思ったのですが、その中に江戸時代のこんな事例が書きこまれていたんです」
それは江戸の末期。畑に人の糞尿を撒いて野菜を育て、それを人が食べ、再び糞尿になる…。この循環型社会がなければ当時の人口約100万人が暮らす江戸の生活は維持できなかったという事実…。
当初、「果たして自分に撮れるだろうか?」と迷ったテーマだったが、この〝視点〟を企画書の中に見つけたとき、考えが一変する。
監督デビュー作「どついたるねん」では、生死の淵を彷徨い、そこから生還するプロボクサーを、「王手」では大阪のアンダーグラウンドでしのぎを削る将棋のプロ棋士の壮絶な人生を描きあげている。それ以後も、常に、人生にもがき苦しみながら葛藤し、不条理に抗いながら生きる市井の人々を主人公に映画を撮り続けてきた。
「低い視座から、しかも〝汚いところ〟から社会を眺める映画なら自分にも撮れるかもしれない…」
一気にプロジェクトが動き始める。
原田さんと今作の映画化を構想した地、太秦撮影所に組んだ長屋のセットで撮影が始まった…。
「パイロット版の短編。つまり、第7章の撮影ですが、与えられたのは実はたったの一日。それも午前3時から午前6時まで。といっても時代劇は準備の時間がかかるので、実際はもっと短い時間で撮影しなればなりませんでした」
過酷な〝向かい風〟の中での撮影だった…かのように見えるが、阪本監督は一笑に付しながら、こう語った。
「この現場のスタッフは平均年齢が60数歳というベテランチーム。たとえ、どんなに撮影時間が短かかろうが、その時間内ですべての必要なカットを撮り終えることができる。そんな心強いチームでしたからね」
64歳の阪本監督を中心に、撮影監督が65歳の笠松則通、録音監督が71歳の志満順一、照明担当が63歳の杉本崇、そして美術監督が57歳の原田…。
これまで数えきれないほどの過酷な撮影現場を経験してきた百戦錬磨の猛者たちが太秦に集結していたのだ。
実際、この90分に及ぶ長編作品を、「計約12日間ですべて撮り終えた」というから驚く。しかも、それが阪本組が初めて挑むモノクロ時代劇だったとは、この話を聞かなければ、誰も信じないだろう。
スタッフ同様、若い3人の俳優の脇を固めたのもまた邦画界を支え続けてきた石橋蓮司、佐藤浩市、眞木蔵人ら経験豊かなベテラン俳優陣。どんな過酷な撮影現場でも駆けつけてくる阪本組の頼もしい常連たちだ。
4月号の「物語が始まる」で登場した寛一郎と佐藤浩市の親子共演も話題を集める。
2020年に公開された監督作「一度も撃ってません」で初めて二人の親子共演を実現させたのが、長年、佐藤とタッグを組んできた阪本監督なのだ。
色褪せないチャレンジ精神
現代の旬の若手俳優3人が、幕末をたくましく生きる若者の青春を体現する。
阪本監督に、「若い三人には一体、どんな演技指導を?」と聞くと、「舞台は江戸時代。もちろん時代考証をしていますが、実際には誰も見たことのない世界でしょう。だから3人にはできるだけ自分で考え、自由に演じてほしかった」と話し、こう続けた。「現代劇と違って、逆に時代劇は自由に撮れるから面白いんですよ」と。
34年以上にわたり、過去作とは違う作品を…と挑み続けてきた重鎮監督の30作目も、やはりチャレンジングな作品だった。
「70歳までに後3本は撮れるかなあ…」。静かにこうつぶやいたが、取材するたびに新作の構想を聞いていると、毎回、次から次へとアイデアがあふれ出し、とても3本で満足するはずはない。それで終わるはずがない…と思う。そう向けると、「確かに、まだ撮っていないテーマはたくさんありますね」と目を細めて笑った。
フルカラーでもモノクロでも。撮影手法は違っても創作の根底に流れるものは変わらない。常に低い視座を貫いてきた。
だが、常に、その視線ははるか遠くを見据えている。
阪本 順治(さかもと じゅんじ)
1958年、大阪府出身。大学在学中より石井聰亙(現:岳龍)監督の現場にスタッフとして参加。89年、赤井英和主演『どついたるねん』で監督デビューし、ブルーリボン賞作品賞など数々の映画賞を受賞。藤山直美主演『顔』(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞、キネマ旬報日本映画ベスト・テン1位など主要映画賞を総なめにした。
【その他の監督作】 『KT』(02)、『亡国のイージス』(05)、『魂萌え!』(07)、『闇の子供たち』(08)、『座頭市 THE LAST』(10)、『大鹿村騒動記』(11)、『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13)、『団地』(16)、『エルネスト』(17)、『半世界』(19)、『一度も撃ってません』(20)、『弟とアンドロイドと僕』(22)、『冬薔薇(ふゆそうび)』(22)
『せかいのおきく』(日本 2023年 90分)
脚本・監督:阪本順治
出演:黒木華 寛一郎 池松壮亮
眞木蔵人 佐藤浩市 石橋蓮司 他
配給:東京テアトル/U-NEXT/リトルモア
©2023 FANTASIA
2023年4月28日(金)より公開中
シネ・リーブル神戸、シネ・リーブル梅田ほか
【公式SNS】映画公式HP:sekainookiku.jp
公式Twitter:@okiku_movie