2021年
8月号

神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~⑯手塚治虫後編

カテゴリ:宝塚, 文化・芸術・音楽

「命を削りペンを握り続けた手塚治虫の情熱」

〝弟子〟たちの証言

デビューから40年以上、手塚治虫は亡くなるその直前まで、闘病中のベッドの上で漫画を描き続けた。「鉛筆をくれ!」。意識が朦朧とし、もうペンを握る力も残っていないのに、何度も彼は言い、最期にこうつぶやいたという。「頼むから仕事をさせてくれ…」。平成元年、60歳という若さで死去した。もっと長生きしていたら、彼はどんな新作を発表し、世界の漫画、アニメファンたちを驚かせ、感動させていただろう。
「漫画の神様でした…」。これまで数多くの漫画家やアニメ監督たちを取材してきたが、皆、声を揃え、手塚のことをこう称した。そして皆がこう続けた。「手塚先生は目標ですが、神様と同じことはできませんよ」と。
「睡眠は3日間で3時間。こんなつらい仕事を40年続けるなんて、馬鹿じゃないとできないですよ」。晩年、手塚は自虐的にこう語っていた。
19歳で漫画家としてプロデビューした彼は、自分の寿命を知っていたのかもしれない。命を削るように、ほとんど睡眠を取らず、一日中仕事場にこもり、漫画やアニメを描き続けていたことを、そばで見ていた多くの〝弟子〟たちが証言している。
今も世界のアニメファンを魅了する「機動戦士ガンダム」の生みの親として知られる富野由悠季監督は、手塚が創設したアニメ製作会社「虫プロ」時代の〝弟子〟として、テレビアニメ「鉄腕アトム」や「海のトリトン」で監督などを務めた。また、SFアニメの傑作「太陽の牙ダグラム」や「装甲騎兵ボトムズ」などで知られる高橋良輔監督は虫プロ時代、「リボンの騎士」などのアニメの演出を担当し、手塚をサポートした。
日本を代表する2人のクリエイターから取材で聞いた〝師〟にまつわる話は印象深かった。
「アニメ製作中は昼夜関係なし。疲れたら机の下に潜り込んで仮眠をとりますが、朝方、足元で歩く音がする…。手塚先生だけが朝まで仕事を続けているんです」と富野監督は語った。また、高橋監督は「机の足元の支柱に座布団を置き、枕代わりにして仮眠していたとき。ふと目が覚め、隣を見ると同じようにして先生が仮眠をとっていた。〝漫画の神様〟の隣で寝ていることがうれしかった」
今、世界のアニメクリエイターたちから目標とされる2人の言葉には、なぜ手塚が〝漫画の神様〟と呼ばれるのか―その答えが隠されているように感じた。
「当時、私たちはまだ20代前半。最年長の手塚先生が疲れも見せず、一番働いている。これは絶対に勝てないな…と思いました」

「頼むから描かせてくれ」

兵庫県宝塚市で育った手塚は、医師を目指し、大阪帝国大学附属医学専門部へ進学するが、漫画家となる夢をあきらめず、臨床中もカルテの裏に漫画を描くような医学生だった。
1946年、大阪毎日新聞の小学生版に「マアチャンの日記帳」を連載し、プロの漫画家としてデビュー。17歳だったが、19歳と詐称していた。これがずっと後になって世間を驚かせる事態になるのだが…。
元毎日新聞のOB記者が、当時の手塚にまつわるこんな話を教えてくれた。
「まだ学生だった彼は漫画の原稿を持って大阪本社の毎日新聞学芸部へ来ていたが、年上の記者たちをとてもこわがっていた」。当時の部長は後の文豪、井上靖で、記者の中には後に作家となる山崎豊子もいた。「〝怖い女性記者がいる〟と話していたらしいよ」
デビュー以来、約40年の間、彼は睡眠をとる時間さえ惜しみ、さまざまなジャンルの漫画やアニメの創作に挑み続けた。
「人の命なんて、心配してもしなくても、終わるときには無常に終わるもの」
生前、彼はこう達観したように語る一方、がんで闘病中も仕事に執着し、ペンを離そうとしなかった。
「彼の訃報記事が出た後。すぐに新聞各社が訂正記事を出したことを知っている?」と先の元毎日記者が語り始めた話に驚愕した。
記事には「62歳で死去」。こう記載されたが、「本当の年齢は60歳だったんだよ。その訂正記事を掲載することになってね…」
デビュー時、〝自己申請〟していた嘘の年齢のまま彼は漫画を描き続けていたのだ。
手塚の長男、眞氏を取材したときに、この話を聞くと笑いながら教えてくれた。「生前、父は〝みんながそれ(嘘の年齢)を信じている。別にそのままでもいいじゃないか〟と笑っていましたよ。さすがに亡くなった後、本当の年齢を公表したんです」
家族や医師は、彼に胃がんだと告知しなかった。彼もそれを尋ねなかったという。
未完の遺作「ネオ・ファウスト」の中に、胃がんで亡くなる登場人物が描かれる。告知されていないが、本人はそれを知っている…という内容だった。
医学の知識を持つ手塚はすべてを知った上で、がんと闘い、最期まで漫画を描き続ける覚悟を固めていたのではないか。弟子の一人が取材で語った言葉が今も脳裏に焼き付いて離れない。「神様ではなく人間だから、命を削ってでも描き続けたのでしょうね…」

=終わり(次回は島田叡)

戸津井康之

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