4月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第27回 芸術家女星編
剪画・文
とみさわかよの
ファッションデザイナー
藤本 ハルミさん
今回は、ファッション都市・神戸で、オートクチュール(一点ものの注文服)の製作を続けてこられた、藤本ハルミさん。素材に帯地を用い、日本の伝統的な布に光を当てた藤本さんは、海外でファッションショーを何度も開き、世界に高く評価されました。ファッション界の重鎮でありながら、「コスプレってすごいわ、思いもよらなかった。あんな中から、面白いものが出てくるかもしれないわねぇ」という、柔軟な感性をお持ちです。学生の卒業制作ファッションショーなどでも、気に入ったドレスが登場すると、真っ先に大きな拍手を送る藤本さん。若手デザイナーに声援を惜しまない、神戸ファッションの先達に、お話をうかがいました。
―ファッション界へ入られたのは、どのような経緯が?
終戦後、東京の文化学院で美術を学んでいたけど、家庭の事情で働かざるを得なくなってね。それまでお茶とかお花とか習いごとはいっぱいしてたけど、どれも職業にする気になれなくて、それで自分がおしゃれしたくて学んだ洋裁を、仕事にしたの。日本中が空襲で着るものが何もなかった頃だから、洋裁ができる人は皆、注文服の店を開いてた。ちなみに、朝ドラの「カーネーション」のヒロインは、私より10年くらい上の世代やね。
―すると最初はデザイナーではなく、作り手だったのですか。
そう、キャリアウーマン志向だったわけではなく、商売として服作りを始めたの。デザインとカッティングだけして、縫製は他の人に頼んでたわね。生活のためにと言っても、悲壮感なんて全然無し。長女ですもん、「私の出番や!」とばかりに、張り切って働いたわ。店は流行って流行って…。母を送り、妹も嫁ぎ、そして大好きな父を送って、一段落したのが36歳の時。余生と言うには若いし、それでこれからは自分の好きなことをしようと思って、初めてヨーロッパ旅行をして、デザイナー活動を始めたの。だからデザイナーとしてのスタートは、遅いのよ。
―それから、海外でファッションショーを開催なさるなど、本格的なデザイナーとしての活躍が始まったのですね。
日本の伝統素材によるライフワークを68年に発表して以来、何回ファッションショーをしたか解らないぐらい。海外では、91年にKFMの仲間と日中友好のショーを上海、杭州でやって、97年にはパリコレを皮切りに、モナコ、ニューヨーク、フィレンツェ、ドイツはベルリン、ハンブルグ、キールと展示もしたわ。帯地や着物は世界の文化遺産、それを使った作品は大変好評で、「日本の文化の伝え手」と誉めていただいて…。ライフワークのショーのためなら、巨額を投じても悔いはなかった。パリの時が一世一代の勝負だったわ、あとはみんな招待されて行ったショーだったのよ。たくさんの人が応援してくれて、特に真珠業界の応援がなかったら、ここまでこれなかったと思うわ。
―ご自身のデザインの、一貫したコンセプトというか、ポリシーについて教えてください。
小原流の三代目豊雲先生に、「洋服を着て育った世代のあなたが、日本人として然るべき場に招待された時、着たいと思う服を作りなさい」と言われたけど、初めて外国の人の体型を見た時はすごいショック、日本人が同じものを着てもダメだって悟ったわ。私たちの世代は着物を着て育っていない、それなら日本人が永く作ってきた伝統の織物や、染めの柄の持ってるドラマ性を活かして、四季をテーマにした服を作ろうと思ったの。時代の流行は無視して、自分のテーマと素材の魅力で作る服は、時を越え、国を超えて人の心をつかむと、海外でショーをしてわかったのよ。
―アパレルの時代のデザイナーたちにおっしゃりたいことは?
日本の若いデザイナーたちが、いろいろ勉強して、考えて、新しいことにチャレンジしながら頑張っているのを見ると、嬉しくなるわ。もともと日本人は、外国文化を取り入れて、彼らに負けないものを創りだしてきたでしょう。今の子は才能だけじゃなくて物怖じしない、積極的に発言もする。もっと日本の歴史や伝統文化を勉強して、ぜひ活躍して欲しい。いつも応援してるんよ。
―ところで、文化人を招いての会合などを、企画されていますね。芦屋には、少人数での講座といったようなサロン文化が根付いているのに対して、神戸はやはり着飾って大勢でにぎやかに楽しむ、パーティー文化が主流でしょうか。
昔の神戸の人は、ちょっとした食事に行くのにも、おしゃれしたもんよ。神戸では、皆がおしゃれするから、気兼ねせずに装えた。最近はパーティーも減って、お客さんから「おしゃれな服を着て行くところが無くなった」って、よく言われる。私は人を集めて、楽しいことをするのが好きでね、「神戸ネオトロピカル協会」という社交の会をつくって25年間、よくパーティーを開いてたの。今また、「感動をあなたに」という会を開催してるので、興味ある方はぜひ、おしゃれして来て欲しいわ。
―職業人として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?
そうねぇ、家庭を持っていたら、こんな生き方はできなかったかもしれない。実はね、若い頃は結婚のチャンスもいろいろあったけど、何か気に入らなくて、ずっと独身で来たの。自分一人の力で生きるというのは大変なことだけど、家庭を持ってご主人に守られてきた人には味わえない面白いこと、楽しいことを、たくさん味わえたと思うわ。だから人生って、案外と平等よ。おかげ様でまだまだ元気やし、これからも楽しいこと、面白いことを、いっぱい企画して、みんなを楽しませたいと思ってます。
(2012年2月24取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。