5月号
「神戸で落語を楽しむ」シリーズ 姿を消し噺の世界へ誘う
落語家 桂 福丸 さん
舞台に立つのが夢だった
─ご出身は神戸だそうですが。
福丸 実家は東灘区の岡本です。生まれた病院は灘区なんですけれど。小さい頃は本山に住んでいました。
─灘校のご出身ですが、どんな学校でしたか。
福丸 勉強はしなくてもいいんですけれど、しないと自分がしんどいんですよ。もともと酒造家がお金を出し、嘉納治五郎さんが理想の教育をとつくった学校で、自己判断できる人材を育てる気風なんです。何事も自分で考えてやる。自由でしたが自己責任の厳しさがありましたね。
─そして京都大学法学部へ進学されました。
福丸 高校の頃から漠然と舞台をやりたいという思いがあったんですが、親にしたら選択肢を狭めるのは早いと。世間を知らない高校生にしたらその理屈に勝てるだけのものはないので、大学に進学することを決めました。京大法学部の卒業生はいろいろな仕事に就いていたので、幅広い可能性があると感じて。漠然とでしたけれど。
─落語に興味を持ったのはいつ頃ですか。
福丸 小学生の頃ですかね。もっとたどると絵本が好きで、図書館に笑い話やとんち話のコーナーの並びに子ども向けの落語の本があったんです。たまに枝雀寄席とかをテレビで観て、小学校中学年の頃は結構落語を覚えていたんですよ。
─ご両親の影響ですか。
福丸 そうではないんです。でも、芸能の血筋なのでしょうか、母方の祖父が能楽師でした。母が幼いときに亡くなっているのでもちろん僕は会ったことはないですけれど、大阪能楽会館の建設に尽力し、残念ながら落成直前に他界し、追善能がおこなわれたそうです。
─大学卒業後から入門までは何をされていましたか。
福丸 フリーターでした。舞台に立ちたかったので、正社員にはならないでおこうと。その期間は人生で一番舞台を見た時間で、人生で一番幸せな期間でした。落語、芝居、歌舞伎、音楽などジャンルを問わず、NGKや浪花座へも毎週のように行きました。わかぎゑふさんの芝居なんて面白かったですよね。劇団には入っていませんでしたが、一人芝居や即興演劇、漫才などの活動もおこなっていました。そんな時期に一度は忘れていた「落語が好きだ」という感覚を思い出したんですよ。
落語の匂いを感じ入門
─それで英語落語をはじめたのですか。
福丸 24~25歳の頃に、演じる活動の中で英語落語に出会ったんですよ。桂枝雀師匠も通われていた英語学校の英語落語クラスに通いました。やる側としては英語落語から落語に入ったんですよね。実はアマチュアの時に日本語で落語をやったことがないんです。
─英語落語と日本語の落語の違いはどんなところですか。
福丸 新作は難しいですね。英語は言葉の分量が多いんです。日本語の落語で間が重要なのは、日本語って短いフレーズで会話ができるからなんですよ。でも英語は論理的なので、そのリズム感と日本語のリズム感は違う訳です。だから僕はフレーズを短くして、日本語のリズム感で英語をしゃべる感覚でやりました。英語らしい英語じゃないですけれど。
─外国人にウケるんですか。
福丸 例えば旦那が嫁さんに怒られるというようなシチュエーションは世界共通なんです。ですから「動物園」「天狗裁き」「子ほめ」「転宅」「芝浜」など、人間関係をベースにしたものはウケるんですよ。落語は比較的人間関係がベースの笑いが多いので、そんなに悩まなくていいんです。
─そして、福團治師匠に入門しますが。
福丸 もちろん高座は観ていましたし、入門前から共通の知り合いが数人いるなどご縁があって。最終的な決め手になったのは、直にしゃべった時。落語の匂いを感じたんです。僕はもともと自分自身でしゃべるというのが苦手で、立体感のある落語を目指しているんです。触り心地のある落語というのか、しゃべっている落語家自体は消えていくけれど、話の世界はどんどん立体的になっていくというのが自分に向いているだろうと。しゃべっている落語家自体が前に出る噺もあるし、それは凄いことなんですけれど、自分にはできない。最終的に漫才が向いていないと思ったのはそこなんですね。自分自身としてしゃべることの壁を感じて。自分は消えて登場人物が生きる。うちの師匠はそういう落語なんですね。音を聴いているけれど立体的な。
─修行はいかがでしたか。
福丸 人間でぶつかる感じでした。入門間もない頃に師匠は「わしは自分のええところも悪いところも全部見せる。だからお前もそういう風にぶつかってこい」と言ったんです。その頃師匠は67歳くらいでしたが、何十も年下の者になかなかそんなこと言えませんよね。そう言われたらそう行くしかない。だから自分をさらけ出し、正解を探すような次元ではなく、考えずに体が動くようにする訓練みたいな感じでした。そこそこ年齢を重ね出来上がっていた自分を一度崩す過程は、僕だけじゃなく師匠も相当エネルギーが必要だったと思います。師匠は喜怒哀楽すべてのマックスまで1秒で行きますから、常にフラットな状態でいないといけないんです。そういう師匠だからこそ台詞に嘘がない。嫌な台詞も良い台詞もクサい台詞も本気で言えているし、いろいろな感情にひゅっと行けるんです。善人にも悪人にもなりきれ、その瞬間は落語家としての姿が消えるんです。
─「福丸」という高座名は藤本義一さんの命名だとか。
福丸 藤本さんと師匠は古い付き合いで、気が合っていたんですね。でも、なぜ藤本さんが僕の高座名を付けてくれたかはわからないんです。
文化鑑賞人口の増加を
─地元の神戸に定席寄席ができて感慨深いのではないですか。
福丸 喜楽館の建設委員をさせていただき、確かにそういう思いはあります。しかし、できるまでが大変でしたから、感慨に浸っている場合じゃなかったですね。自分が観る側の時だったらすごく良かったと思います(笑)。
─今後はどう喜楽館に賑わいを生み出していこうと思いますか。
福丸 比較的バスの便が便利なので、バスで寄席に行けることをもっとアピールしたいですね。いかに観光とリンクさせていくかも課題です。喜楽館の存在にチャンスを見出してまちづくりが進んでくれれば良いですね。あとは落語にとどまらず、文化鑑賞人口を増やすことを舞台人全員でやっていかないといけないと思います。
─最後に、今後の抱負を。
福丸 もっといろいろな噺をできるようにしたいですね。そして良い落語、終わったときに観客がふと我に返るような、違う世界に浸ってもらえる落語を目指していきたいと思います。
神戸新開地・喜楽館
(新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)