8月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~ (64)後編 阿久悠
故郷を見つめ続け…何度も立ち上がる被災者たちへのエール
憧れの神戸
生涯5000曲以上もの作詞を手掛けた阿久悠は小説家の顔も持っていた。昭和の歌謡史に、その名を刻む稀代のヒットメーカーは小説家としても、また、歌と同じように〝日本人の心〟を言葉で鼓舞し続けた。
売れっ子作詞家となった阿久は1979年刊行の「瀬戸内少年野球団」をはじめ、1982年には長編推理小説「殺人狂時代ユリエ」で横溝正史ミステリ大賞を受賞するなど作家としても活躍する。「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補となり、映画化やドラマ化もされた。生まれ故郷・淡路島を舞台に、野球少年だった阿久の人生を辿った自伝的小説で、映画では、島の学校の先生役を夏目雅子が演じ話題を集めた。同作は女優、夏目の遺作となり、共演した渡辺謙にとっての映画デビュー作だった。
1990年に講談社から刊行された「飢餓旅行」のなかにも淡路島時代の阿久の少年時代が色濃く投影されている。
終戦直後の1946年。淡路島で暮らす恩田幸吉の一家が、故郷の宮崎県へ帰省する家族旅行の物語。幸吉が戦死した長男の遺骨を、故郷のお寺へ納めるための家族旅行だった。
阿久の両親は宮崎県出身で、父は警察官として淡路島で勤務していた。阿久の一回り年上の兄は19歳で戦死している。
小説の一家は幸吉夫婦と次男、三男と末っ娘の5人家族。物語の主人公、9歳の三男、圭太が阿久の〝分身〟となって五日間の家族旅行を振り返る…。
《瀬戸内海は北西の風を受けて大時化であったが、東海岸が面している大阪湾は、波一つない静かな海であった。
風もなく、全くの温暖で、これなら、何かいいことが始まりそうな予感さえ抱かせた》
一家はまず、淡路島から神戸へ船で向かう。家族旅行は阿久少年にとって「何かいいことが始まりそう…」な希望に満ちた未知の冒険だったに違いない。
《神戸行きの定期船は、堂々たる客船を思わせた。西海岸の、如何にも連絡船という感じの小さな船と違い、太い煙突が誇らしげにそびえ立ち、二本柱であった》
この一文を読んで、鋭い読者の方たちは、阿久が作詞した〝あの曲〟の歌詞を思い浮かべるのではないか。
そう、前編で紹介した阪神・淡路大震災の被災者を元気付けるために、作曲を手掛けた平松愛理とともにつくった曲「美し都~がんばろやWe love KOBE~」を。
《♪ あそこで逢ったら 希望という名の船に乗る》
幼いころ、淡路島の港から神戸へ向かう船内で抱いた阿久少年の希望。それは、戦後の焼け野原から、復興を遂げた故郷・淡路島と神戸へ込めた願いであり、戦後、不死鳥のように復興を遂げていった故郷の姿を、震災後、再び〝傷ついた街〟に重ねたに違いない。
阿久の心の奥底から湧き上がる希望への切なる願いを、彼は小説や歌のなかで何度も繰り返し、発してきたのだ。
歌い継がれる魂
小説「飢餓旅行」のなかで、戦後直後の神戸の様子が赤裸々に綴られている。
淡路島から3時間の船旅で、ようやく神戸についた幸吉一家。
だが、憧れの街である神戸の現実を目の当たりにした圭太は愕然とする。
《神戸の街は、まさに廃墟であった》からだ。その描写は、さらにこう続く。
《瓦礫に埋もれていると云ってよかった》
筆者は新聞記者時代、阪神・淡路大震災発生直後、神戸支局へ応援に駆けつけ取材した。
阪急三宮の駅舎は無残に崩れ落ち、神戸市街一帯のビルは傾き、倒壊寸前になっている光景は、阿久が戦後に見た、まさに「瓦礫に埋もれた廃墟」そのものに思えた。
避難場所となった小学校の校舎に毛布を敷いて避難していた高齢の女性を取材すると、意外にも穏やかな笑顔でこう答えた。
「戦時中の神戸の街はもっとひどかったから。どうということはないですよ。だって今、私は生きている。命があるのですから。当時、空襲で多くの市民は亡くなってしまった…」
深くしわが刻まれた笑顔を見ていて、取材中、涙が込み上げてきた。おばあさんは何度も何度もこんな大惨事を乗り越えてきたのだ。
「こうして今、生きているじゃないか…」
その後、東日本、熊本、能登…と日本各地を襲う大震災などの試練に被災者たちが立ち向かう姿を取材するとき。あのとき、こう語っていたおばあさんの笑顔が脳裏に浮かぶ。
《淡路島にも飢えはあり、空襲はあり、いやというほど戦争の理不尽さを味わって来たつもりであったが、眼前にひろがる地獄図と比べると、夢のような天地だと思えた》
神戸は地獄図だった…。そんな地獄から立ち上がる市民の姿を見ながら彼は育ち、作詞家、小説家となったのだ。
決して屈することのない日本人の強さ、希望を、阿久は生涯、信じていた。
今も歌い継がれる阿久作詞、阿久の盟友、森田公一作曲によるヒット曲「時代おくれ」(1986年)で、シンガー・ソングライターの河島英五は、力強くこう歌う。
《♪ 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい》と。
阿久の魂は、これからも日本人の心に希望の火を灯し続け、〝時代おくれの男〟として、歌や小説のなかで生き続けていく。
=終わり。次回は高田屋嘉兵衛。
(戸津井康之)












