8月号
恵比寿工匠の挑戦
恵比寿工匠代表取締役 中田 義成 さん
安藤建築の社屋から職人の未来を照らす
長らく携わった総合建設業を離れ、これまでとは違うアプローチでものづくりにチャレンジする中田義成さんに、世界的建築家の安藤忠雄氏が手がけた新社屋や、事業の内容などについてうかがった。
はじまりは一冊の雑誌
─安藤忠雄さんと出会ったきっかけは。
中田 コンビニでたまたま手に取った一冊の雑誌です。『ブルータス』という雑誌で、表紙に「安藤忠雄があなたの家を建ててくれます。」と書いてあったんです。ちょうど舞子に土地があったので、そこに建てたいなとその企画に応募したら多数の中から選ばれて設計して頂くことになりました。当時、建設地周辺は今とは違った環境でした。舞子駅近くにあったファストフード店の使用済み容器が打ち捨てられ、成人図書の自動販売機が並んでいました。少し離れたところには目立ったおしゃれな飲食店もありましたが、そこに安藤建築がひとつ建ったとたん、一気に近所の雰囲気が変わってきたように思います。今は有名チェーンのカフェや素敵なレストランができています。安藤さんの建築は存在感があるだけでなく、周りを変える力があるんだなと。
─それが「4×4の家」ですが、完成時はいかがでしたか。
中田 住み心地は全く言うことないです。やっぱり圧倒的に設計がすごいと思いました。僕は大学で建築を学んでいた頃から安藤さんの作品を見ていて「俺でも設計できそう」と思っていたんですよ。すごくシンプルだから。でも全然違うんですよね。建物を設計する時って、ものすごく情報が多いんですけれど、それをきれいに収めてきっちり仕上げる。安藤さんの設計は、機能的で美しく、余分なものがなくてシンプル、建物に入って初めて感じられる空間の拡がり、これしかないよな、という完成形が練り上げられているんです。あの敷地を見てこの設計に行き着くのはあり得ない。私なんかの思考の延長線上にはない設計で、もちろん私が100年考えても到達できません。できたものを見れば何とでも言えますけど。
─施工は当時所属していた建設会社でしたが、工事はいかがでしたか。
中田 それまでもコンクリート打ち放しの経験はありましたが、壁だけ、外側だけではなく、内外、壁床、柱梁、全てが打ち放しはレベルが違いました。技術というより精神が試されます。コンクリートが固まって枠を取ったら終わりなので、はじめからすべてが整合してないといけない。すべてを考え尽くしていないと破綻します。後から「あれ忘れてた」はダメ、後戻りができないんです。奈良の薬師寺に「不東」という額が掲げられてます。西に経典を求めた三蔵法師の「絶対に東へ戻らない」という決意を表したものなんですが、まさに全てを考え尽くすまで安易に工事を進めない「不東」の精神での取り組みでした。
無駄がない安藤建築
─そして今回、社屋の設計を安藤さんに依頼しましたが。
中田 恵比寿工匠を立ち上げるにあたり、淡路島の岩屋で土地を探してたんですよ。知り合いから「岩屋にいい土地あるよ」と連絡があって。そしたらまさかの岩屋違い、灘の岩屋だったんです(笑)。2003年に「4×4の家」に携わり、安藤さんから多くを学び、以降もいろいろな設計事務所にお声がけいただいて、いろいろな仕事をさせていただきました。そして今回、作り手としての卒業という感じで、再出発には安藤さんに是非お願いしたいと。安藤さんから設計してもいいとお返事頂き、着工してみたら全然卒業のレベルに達していなかったです。安藤建築を理解し切ったつもりで、手のひらから筋斗雲で何千里もすっ飛ばして、休憩中に柱に落書きしたらそれは安藤さんの指で、全然手のひらから出られてなかった、という感じでショックを受けました。
─建築模型はご自身でつくられたそうですが。
中田 ふつうは施主がつくるものじゃないんですけどね。でも僕は、県内で一番模型つくるのが上手い社長の自信がある(笑)。図面は平面と立面だけですから、どういう空間かわからないんですよね。でも、模型にするとその収まり方がわかるんです。建築家ってパズルのように図面を描くんじゃなくて、空間をイメージして、要素を配置します。模型をつくることで、空間の拡がりや空間の関係が着工前になんとなく理解できました。
─新社屋が完成して、ご感想はいかがですか。
中田 ここは敷地がとても狭いんです。5m角くらい、車2台分くらいのスペースしかないのですが、それでも広く感じるんです。希望もちゃんと叶えられている。例えば、敷地が少し斜めになっているのですが、その部分にエレベーターがきれいに収まっています。当然ですが、私の知る限りこの敷地にこの設計ができる建築家は他には知りません。間違いないです。建物ができてから、「いい敷地を見つけましたね」と言われることもありますが、「4×4の家」同様、安藤さんの建物が建つと敷地がよかったように見えるんです。それまで誰も見向きもしなかった土地なのですが。
職人を憧れの仕事に
─恵比寿工匠とはどんな会社ですか。
中田 職人や業者のマネジメントの会社です。建物を建てるとき、普通は施主が工務店に依頼し、工務店が業者や職人を選んで工事しますが、恵比寿工匠ではその業者や職人の紹介や調整をおこないます。また、この社屋を建てる時のように工務店なしで建築チームを組むとか、いまDIYも浸透してきていますのでそこにプロのサポートを入れたりとかも考えています。
─なぜそのような事業をはじめようと思ったのですか。
中田 これまで総合建設業の世界に身を置いていましたが、現場で素晴らしい建築に貢献しているのに日の目を見ない技術者や技能者に申し訳ないと思ってたんです。つくったのは「〇〇建設」と名前が出るんですよね。でも立派な仕事をしたのは、大工さんとか、左官さんとか、金物加工する人とか、さまざまな業者さんや職人さんなんですよ。だけどそういう人の名前は建築雑誌とかに出てこない。名もなき名職人がいっぱいいるのですが、もっともっとそういうところにスポットを当てて、もっと報酬をもらって、もっと楽しく仕事してほしいなと思ったんです。建設会社に囲い込まれて、安定して仕事を続けるという考えもありますが、中にはプロ野球のFAのように、厚遇や新たな機会を求めている職人もいる。その熱い思いを応援したいというのもあります。
─職人の世界は旧態依然というイメージですが、実態はいかがですか。
中田 いまJR灘駅近くで屋根工事のお手伝いをしているんですけど、形状が独特で加工が難しいんです。30歳前後の若い職人に依頼しているんですけれど、その職人さんは自分の子どもも職人になって欲しいと言ってました。そして、子どもも父ちゃんみたいになりたいと言っているそうです。僕らの時代は、職人が子供に「あんたは安定したサラリーマンになりや」だったのに、いまは回り回って子供が親の職人世界に憧れる。めっちゃいいことじゃないですか。その若い職人たちが休憩時間にスマホ見ながらワイワイやっていたので、「はよ仕事しいや」と注意しようと思ったら、ドイツの板金職人の動画を見てました。「見てくださいよ、この鋏めっちゃデカいですよね!こんなんできる職人おるんですね」と勉強しているんです。時代は変わってる、もっともっとこういう職人が育つ土壌を作らなあかんなと。元々職人は死ぬほど働いて死ぬほど稼ぐ意欲が旺盛な人が多いんです。24時間仕事のことが頭から離れない。仕事が大好きなので、「みんなゆっくり働こうぜ改革」は迷惑なんです。ガシガシ働いて、仕事に情熱を注いで、家族から尊敬され、後輩から憧れられるのが本来の姿だと思います。
神戸は職人が育つ街
─なぜ神戸で起業したのですか。
中田 素晴らしい職人は、素晴らしいものが判別できるクライアントがいないと育たないんです。神戸は目が肥えた人が多いので、技術力の高い職人が育っています。綺麗な収まり、おしゃれな佇まいが実現できています。また川崎重工とか神戸製鋼などがあるので、金物ひとつとっても、曲げ、メッキ、溶接、いろんな種類の職人たちが揃っています。機械製造や造船、建築といった豊富なものづくりのフィールドの中で腕を磨くチャンスが多いので、いい人材がいっぱいいるんです、我々がそれを知らないだけで。そんな腕利きの職人や業者を探していく会社が恵比寿工匠なんです。
─阪神間モダニズムの名建築も、良い職人がいてこそですよね。
中田 富裕層がこだわったいい家を建てていますからね。そういう文化的な背景も、職人が育つ素地です。
─今後の抱負を。
中田 職人の中には仕事が好きで、ずっと働いていたい人も多いです。努力に勝る天才なし、夢中に勝る努力はなし。好きでやっているとスキルが上がり、こだわりも出てくるので、さらに腕も上がる。そこって技術者とか技能屋の本領というか、もっと伸ばしたいところじゃないですか。そういう職人にスポットを当てて、職人が憧れの職業になって、稼ぎもついてきて家庭も円満で。誇りを持っていい仕事ができるためのバックアップをしていきたいですね。
私はまだまだ酸っぱい「青りんご」です。仕事の前には兵庫県立美術館に行って、安藤さんの「青りんご」をさすって、彼方にうっすら見える小さな希望の光を目指したいと思います。
恵比寿工匠代表取締役 中田 義成さん
1968年生まれ
東北大学工学部建築学科 卒業
東京大学大学院工学研究科建築学専攻 修了
神戸大学大学院経営学研究科経営総合分析専攻 修了
建設会社、住宅メーカーの研究員を経て現職
■本店
〒150-0013
東京都渋谷区恵比寿二丁目24番9号
TEL:03-6432-5679
■神戸店
〒650-0024
神戸市中央区海岸通5 商船三井ビル310
TEL:078-335-8428