3月号

6通のブルックリンからの手紙|大江千里|
2通目|習慣の違いや文化の違いについて
進化中の
N700S的ハグとキス
ツアーで神戸に帰りました。芦屋ではたくさんのエアハグ&キス、盛り上がりました。
聴きにいらしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。そこから東京経由でブルックリンへ。
ジャズ大学の頃、周りのみんなは上手にキスやハグをしてました。
「どうやったらあんなふうに映画の中のような自然な抱擁ができるのか」じっと観察してました。みんな照れがなくてストレートで…。どうやら変に構えない方がいいような気がして、ざっくりと実地で試しました。
初めての相手が40代のシンガー。「子育てが終わった女性枠」で入学した子です。彼女とのハグ&キス、それはまるで“新幹線N700S”が新神戸駅に入ってくるスピードで、「弾丸」って感じに近かった。かなりのスピードを維持し、直線に。こっちも食い止めるかんじで唇を唇でキャッチ。アメリカ人はこういうスリリングなハグ&キスを日常行っているのか、そう思いました。
ところが、そうではなかった。それ以来、僕が20歳のドラマーとシェアしてるアパートに彼女が「あのキスは嘘だったの?」とベルを鳴らすようになったのです。「やはりアメリカ人といえど唇同士のキスは特別なもの」だったと僕はその時知りました。時はすでに遅し。ルームメートが「千里はそんな気持ちでやったんじゃない」と代わりに伝えてくれたのだけれど、「違う。あれは互いに本気だった」と彼女は一歩も譲らない。授業で一緒にバンドもやるわけですから、気まずかったです。練習が終わり帰り際には再び緊張が走る。
“新幹線N700S”とのハグ&キスは避けたい、だからといって警戒してるのが相手に伝わるのも失礼です。結局、時間がかかったけど、今は笑い話で語れるほど互いに友人化し、不器用だったよねと笑い合える間柄になったのですが、興味深いのが彼女自身も「ハグはいいけど同時に唇を触れるほっぺのキスは緊張する」と言ってた点です。アメリカ人でも緊張してたんですね。勉強になりました。
そもそも人が出会う時に触れ合うのは、その相手を愛しく思うからであって、心を突き動かすままに自然でいいのではと思うようになってからはずいぶん楽になりました。
そういえば神戸から移動した東京で、N700Sとは違うタイプのローカル線ハグ&キスを経験しました。相手は長いことNYに住んでた友人で、ご飯を食べたのですが、別れ際、久々NY時代普通にやってたハグとエアキスをしたら、なんと互いに照れが入ったのかスピードが掴めず、柔道部で黒帯取った弟子と師範が抱き合うみたいに「ぐわしっ」となりました。でもそれが逆にものすごく伝わった。感動が残ったんです。
僕は日本人同士であればお辞儀をして挨拶をする方が基本的には好きですが、狂おしいほど気持ちが昂ったときに心のまま表すハグ&キスもいいものだなと。どんな形であれ、相手を思いやり伝え合う儀式は素敵だなと。
今ブルックリンでこれを書いてますが、ついこの前聞いたばかりの、「黄色い線の内側までお下がりください!」のアナウンスが耳に残ります。
経験を積めば積むほど、知らないことにチェックマークが入り、人生のキラキラ精度が増えていくのも楽しいものですね。深めて参りましょう。
大江 千里
大江千里 profile
1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。2008年、ジャズピアニストを目指し渡米、THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。2012年、自身のレーベル「PND Records」を設立しデビュー。現在、アメリカ、南米、ヨーロッパでライブを行なっている。NYブルックリン在住。