1月号
阪神・淡路大震災30年 新春対談|人間らしい暮らしと、あたたかみのあるまち感性が豊かになり、 新しいものが次々と生まれてくるまち・神戸を
神戸市長 久元 喜造さん | 神戸芸術工科大学学長 松村 秀一さん
阪神・淡路大震災から30年という節目の年を迎えた。神戸は未来のまちへと歩みを進めている。決して忘れてはならない震災の記憶とそこから得た教訓を踏まえた上でのまちづくりについて、市長と建築学者という異なった視点で、久元喜造さんと松村秀一さんに話し合っていただいた。
神戸は地震に「備える」以前に、「起きない」が前提だった
久元 震災前の神戸市民は地震が起きるなど想像もしていませんでした。幼少期から住んでいた私も地震の記憶はほとんどありません。大学進学で東京へ行き、その後も各地に赴任した私に母は「地震がない神戸へ帰って来たらいいのに…」などと言っていました。これが神戸市民の標準的な感覚で、「備える」以前に、「起きない」が前提でした。調べてみると、極めて少数の職員が「直下型地震の可能性を踏まえた対応」を検討していたという資料を見つけました。庁内で共有されることはなかったようです。そして突然未曾有の災害に遭遇し、当時の市長をはじめ、職員の皆さんが自分を顧みることなく全力で対応しました。
松村 私は当時、東京におり、発災から2週間ほどたってようやく帰ってきました。芦屋にいた両親の家は液状化で傾き、兄家族が住む東灘区のマンションは1階部分が崩れ落ちました。父が昔住んでいた甲南本通商店街あたりに行ってみると建物は倒壊して焼け野原、母校の灘校の体育館はご遺体の安置所になっていました。建築の専門家の立場で、個々の建物がなぜ壊れたのかは理論的に説明ができます。しかし、あれほど大規模で強烈な揺れによって起きた現実には「こんなことになるのか!」とただただ驚くばかりでした。
地震はいつ、どこで起きるのか分からない。
常に備えを!
久元 私が防災を担当していた1978年当時、大規模地震対策特別措置法ができ、「東海地震は予知できる可能性が高い」という前提のもと、気象庁長官が出す地震予知情報に基づいて内閣総理大臣が警戒宣言を出した場合の様々なオペレーション計画が立てられました。全面的に否定はしませんが、「地震は予知できる」という幻想を国民に与え、「駿河湾沖を震源に起きる」と思わせてしまったことは罪なことだったと思っています。現実に起きたのは阪神・淡路であり、東日本でした。
南海トラフ地震や首都直下型地震に注意が必要と言われていますが、地震はいつ、どこで起きるのか分からないということを前提にするべきです。経験則から南海トラフ地震は概ね100年から150年に一度の割合で起きる可能性はあり警戒や対策は必要です。その一方で能登半島に対して十分な警戒がなされていたでしょうか。先入観は極めて危険だと思います。
震災直後から進めてきた
災害に強いまちづくり
久元 神戸は震災の翌年から様々な被害想定を作成しながら災害に強いまちづくりを進めてきました。震災後長期間にわたって市内では上下水道が使えず、避難所のトイレは悲惨な状況でした。こんなことが二度と起きないように、翌年から大容量送水管の整備に着手し、20年をかけて完成させています。水を送るだけでなく、市民が必要とする生活用水12日間分を溜め給水拠点として応急給水が可能です。もう一つは、度々浸水していた三宮南部での浸水対策です。神戸の下水道は汚水と雨水の分流式で、雨水は雨水管で流します。3つの雨水ポンプ場と巨大な雨水管を地下に作って、高潮時に雨水が排水出来ない場合に、ポンプを稼働させて海に流すという仕組みを作りました。その結果、2018年の西日本豪雨でも三宮南部では全く浸水していません。東川崎町等の他の地域でも引き続き対策を続けていきます。震災前の神戸市民にとって災害は水害・土砂災害でした。1938年の阪神大水害直後、現在の国土交通省六甲砂防事務所の前身にあたる事務所が開設され、砂防堰堤を造り対策を続けてきました。約80年後の西日本豪雨でほぼ同じ期間にほぼ同じ量の雨が降ったにもかかわらずほとんど被害は出ませんでした。津波対策では南海トラフ巨大地震に伴うレベル2の津波への対策が2022年度に完了、2024年度末には、水門や防潮鉄扉を迅速かつ確実に閉鎖する遠隔操作化事業が完了します。これにより人が居住する地域には浸水しないと想定されます。もちろん災害では想定外のことが起きることを前提にして避難訓練や要援護者に対する避難計画作成が必要ですが、これらの対策で神戸の災害に対する安全性は飛躍的に高まってきています。
松村 震災で一番の問題になったのが築数十年以上たった古い木造の建物が倒壊し、これにより火災も発生して多くの方が亡くなる原因になったことです。その後、日本全体で木造建築の研究が進み、現実的な基準もでき耐震化のための補助金制度も拡充されました。震災後に新築された建物は施工不良や手抜き工事がない限りは大きな被害を受けることはないと思います。震災で一度建物が壊れてしまった神戸は今、更新された状態ですから耐震性の水準は高いと言えます。
地元の資源を活用し、
適材料を適所に使うまちづくり
久元 昨年7月、シンポジウム「三宮の未来を考える」で隈研吾先生のお話をお聞きしました。隈先生はコンクリートや鉄一辺倒ではなく木材を使う建築を志向されておられます。神戸市のタワーマンション規制についても一定の評価を頂きました。神戸のまちづくりの方向性「人間らしいあたたかいまち」を目指すのであれば、ぬくもりが感じられ人にやさしい建築物が構成する都市計画が求められます。
松村 木造建築、あるいは木をできるだけ使う建築は日本の山の問題と直結した事柄として、また最近はCO2削減としてとらえられています。鉄やコンクリートが「悪」とは言いませんが、比べると木材は自然に近い。幼いころから環境教育や自然教育を受け高い意識を持っている若い人たちが建築をすると、自ずと隈さんが目指しているのと同様の方向に向かうと思います。ただし、一辺倒になると問題が起きますから材料に関しては、適材適所だと思います。
まちの宝は、まちの人たちの
価値観で見つけるもの
松村 まちづくりに大切なのは〝宝探し〟。住んで生活している人たちが日頃は「大事だ」と認識していないものの中に神戸らしい〝宝〟があります。それらを空間資源としてとらえ、その中で活動する人間のアクティビティーを重要視しながら新たにフィットする活動をどう入れていくかを考えることが大切です。
全国系のテレビ番組で芸工大OBの西村周治さんが兵庫区梅元町の山の麓で始めた「西村組」の活動が紹介されました。廃屋を見つけて買い取り、複数をまとめて改造して新しく人が住んだり、スモールビジネスを始めたりしているようです。廃屋は普通の人から見たら捨てるべき〝ごみ〟ですが、西村さんたちにとっては宝なのです。文化財が専門家によって文化的レベルを評価されるのとは違い、まちの宝は一般の人たちが「使える」「面白い」などと評価するもの。人それぞれ視点が違い、利用者次第ということです。
久元 人口が減少し住宅は余り、より循環型持続可能な社会が求められる時代にタワーマンションに代表される鉄とコンクリートを使う建物を造り続けるのでしょうか?梅元町ではおそらく築100年以上でグレードの高い建物が老朽化し相当数空き家になっていました。西村組はそこで、いろいろな人たちの参画も得て、本来なら捨てられてしまう建築廃材などを用いながら次々と空き家を改修しています。既にある資産である空き家がデザイン性の高い方法で再生され有効活用されています。荒廃した山の森林資源を間伐して木材を作り空き家を再生し、そこに建築家やクリエーター、デザイナー、DIY志向の一般市民が参画するまちづくり、市街地、海、山、里山など多様な顔を持ち多様な資源がある強みを生かして時代にふさわしいまちづくりをやろうと〝街場の建築家〟たちが動き始め、神戸市もこれを支援しています。
楽しく暮らせるエリアが都心近くにたくさんある神戸
久元 郊外にニュータウンを造ると売れる時代は広々とした一戸建てに住むことがステータスでしたが、次第に郊外から都心へ、一戸建てからマンションへと居住志向が変わってきました。流れに任せた方が良い、駅前のタワーマンション規制は人口増加につながらないなどという考え方もあります。流れに任せると三宮駅前にはタワーマンションが林立し、結果的に大阪のベッドタウンになる。これが神戸市民の望むまちの姿なのでしょうか。三宮駅周辺では市民や他所から来た人たちが楽しく過ごし、居住地と商業地のバランスが取れたまちづくりをしたいと考えています。
松村 いろいろな考え方があると思いますが、守るべきもの、見定めるべき将来の方向性は当然あり、まちづくりを完全に市場に委ねるわけにはいきません。神戸は特徴と伝統のある居住エリアがたくさんあり、三宮まで出てくるのに大した時間はかかりません。大阪へ仕事に行く人が神戸の都心に暮らす?住んで楽しいエリアが他にたくさんあるのに?余計なお世話かもしれませんが、そんな疑問がわいてきたりもします(笑)。
近隣の都心に比べて幾分地価が安い三宮駅前にマンションを造ればある程度の人は集まるでしょう。しかし、神戸の将来と市民の暮らしを考えると三宮中心部はある程度制限を設け、オフィス、商業、文化エリアとするのは良い方向性だと思います。
新たな産業創出には、
あらゆる場面での連携と融合が重要
久元 震災で壊滅的な被害を受けた神戸で都市の成長を考えると、伝統的なものづくり産業を大事にするのと同時に違う分野の産業育成も必要です。ポートアイランドで始まった神戸医療産業都市構想では、お陰さまで約360の企業・団体が集まり日本を代表するバイオメディカルクラスターになりました。今までのものづくりとバイオメディカルが融合した好事例が川崎重工とシスメックスが共同で設立したメディカロイドが開発した国産初の手術支援ロボットです。国からの支援を受け、さらに進化させようとしています。そして、理化学研究所をはじめ、先端医療を担う病院群、神戸大学、甲南大学、兵庫県立大学などの研究機関が次々立地をしたことで、産業構造がより時代の変化に対応できるものになりました。その中でも近年、大学内で研究領域・分野の融合が進んでいます。産学官連携によって、このような流れをさらに加速させることで、新たなテクノロジー、医療機器、創薬の開発が進み、神戸の産業形態を進化させていきます。
松村 デザインが決め手となるケースが昔と比べると増えています。例えば、飲食店で箸袋のデザインにちょっとした工夫をしただけで「かわいい」と評価され急にお客さんが増えるような例もあります。神戸で育まれたデザイン力は他の都市とは違う個性があります。大学の施設内だけでは神戸で育まれたことにはならず、学生が地域社会と接点を持てる環境づくりが重要です。芸工大でも個々の先生方にお任せするだけでなく大学として進めていけば神戸独特の感性が形になり、産業との連携も当然起きてくると思います。
久元 「神戸市民の皆様、神戸は滅びない。新しい神戸は、一部の人が夢見た神戸ではないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、あたたかみあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美わしの神戸よ。そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる」。亡くなられた陳舜臣先生の震災直後のエッセーです。これは明確な方向性を示しています。そこで大事なのはデザイン力です。新しく造るだけではなく既にあるものを生かして考える構想にはデザインが不可欠です。このまちでクリエイティブな取り組みをしたいと思う人たちが活躍できるフィールドを提供し、感性が豊かになり、新しいものが次々と生まれてくるまちであってほしいと思っています。