2024年
10月号

⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.47 作曲家・ピアニスト 加古 隆さん

カテゴリ:文化・芸術・音楽

新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第47回は、パリでプロデビューし昨年50周年を迎えた作曲家・ピアニストの加古隆。今年51年目のツアーに懸ける〝音楽の詩人〟の挑戦とは…。
文・戸津井 康之
撮影・服部プロセス

時空を超えたセッション… ことばと音楽が紡ぐもの

賢治への思い

昨年、50周年の全国ツアーを開催したが、「まだまだ音楽家としての通過点」と振り返り、キャリア半世紀を超えた今年、「ずっと温めてきたテーマで10月から新たなツアーが始まります」と加古隆は意欲を語る。
そのタイトルは『銀河の旅びと~宮沢賢治と私~』。
詩人、童話作家、宮沢賢治の〝ことば〟と加古隆の〝音楽〟との融合。唯一無二の〝時空を超えたセッション〟に挑もうとしていた。
「宮沢賢治との出会い?話せば長くなりますが、いいですか…」。そう加古は優しく笑いながら話し始めた。
記憶は1970年代後半に遡る。
「イタリアのフィレンツェ。天候が悪い冬にホテルの部屋に何日も閉じ込められていたときでした。たまたまカバンの中に入れていた一冊の本を取り出して読んでいたんです」
それは賢治が亡くなった翌年1934年に出版された短編童話『貝の火』だった。
《今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です。野原の草はきらきら光り、あちこちの樺の木は白い花をつけました。実に野原はいいにおいでいっぱいです…》
「読んだ瞬間、情景が鮮やかに目の前に浮かびました。賢治の言葉は、フィレンツェの冬のホテルの一室から、うさぎがぴょんぴょん跳びはねる、きらきらと光あふれる野原の中へ、私を連れ出してくれたのです」
それからさらに数年が過ぎ、1980年代中頃。
「岩手県花巻市でコンサートがあり、現地のスタッフが『宮沢賢治記念館』へ連れて行ってくれたんです。コンサートが終わった夜。花巻のスタッフが集まっていたとき。賢治の話になった瞬間、みんなの目が一斉に輝いたのです。世代も違う男女全員がです。賢治はこんなにも地元の人たちに愛されているんだと実感した瞬間でもありました」
以来、気になって賢治について調べ始めたという。1988年に発表されたアルバム『KENJI』は、加古が「賢治から聴こえる音楽」を紡ぎ出して作った楽曲集だ。
なぜ、このタイトルのアルバムが制作されたのか。
「音楽プロデューサーから『宮沢賢治をモチーフにしたアルバムを作ってくれませんか』と依頼があったのです。まったくの偶然だったんですよ」
加古にとって賢治との出会いは宿命だったのかもしれない。
コンサートは二部構成。
第一部は『ソロ&クァルテット~パリは燃えているか~』。加古のピアノとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる演奏。現在、放送中のNHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』の挿入曲『パリは燃えているか』、『風のリフレイン』などが披露される。
第二部は『賢治から聴こえる音楽』と題し、朗読を舞台俳優、声優、演出家の加古臨王が担当する。加古の次男である。
「1990年代から、心の中で賢治をテーマに、いつかもう一度、演奏したいと思い続けていました。昨年、50周年で音楽家としての一区切りがついたとき…」。すでに翌年の構想を固めていた。
「賢治に、もう一度、命を吹き込もう」と。

パリで鮮烈なデビュー

1947年、加古は大阪府豊中市で生まれた。
音楽との出会いは小学生の頃。「知人宅に当時、珍しかったレコードプレーヤーがあって、よく聴かせてもらいに通っていたんです」
泊まり込みで夢中になり聴いていたのは一枚だけあったレコード。ベートーヴェン作曲の交響曲第五番『運命』だった。
そして高校一年。「先輩に連れられ、大阪のフェスティバルホールにジャズのコンサートを聴きに行き、大きな衝撃を受けました」
伝説のドラマー、アート・ブレイキーの演奏に魅了され、ジャズにのめり込む。
作曲家を志し、1965年、東京芸術大学作曲科に進学する。
「作曲科に進んだ以上、〝二足のわらじ〟は辞めようと決め、ジャズピアノの演奏はこのとき封印しました」
大学院を経て渡仏。パリ国立高等音楽院で、仏を代表する現代音楽の作曲家、オリヴィエ・メシアンに師事する。
「メシアンからよくこう言われました。『あなたが日本人であることは財産だ』と。当時は私を励ますために、あえてそう言っているのだろうと思っていましたが、後になって知りました。彼は心から日本の伝統文化、芸術に憧れ、愛していたことを…」
パリに留学して1年。音楽院の友人の家でフリー・ジャズのレコードを聴き、「こんなにも音楽は自由でいいのだ、と改めて気付かされ、即興演奏の楽しさに浸りました」
東京芸大入学以来、ずっと封印してきたジャズの演奏。その封印が解かれたのだ。
加古が連日、ピアニストとして仲間とセッションしていると、「米国から来ていたプロメンバーに、コンサートを開くから参加してくれないか、と突然、声をかけられました」
1973年、加古はこの応援メンバーとして参加したコンサートで、プロのピアニストとしてデビューを果たしたのだ。
1980年に帰国。ソロ・ピアニストとして活動を続けていた加古に転機が訪れる。
「敬愛する音楽評論家の野口久光さんから〝一度でいいから、誰でも知っている曲をやってごらん〟とアドバイスされたんです」
そんなことを今、いわれても…と悩みながらも加古は一曲、完成させた。
伝統的なイングランド民謡『グリーンスリーブス』をモチーフに作曲した『ポエジー』。
その印象的なフレーズが、ウイスキーのテレビCMとして放送されるや、加古の名前は一躍、音楽界を超えて知れわたる。
「大きなターニングポイントになりました」と語るように、加古はこの『ポエジー』の作曲を契機に、唯一無二の「作曲家・ピアニスト」として、独自の音楽家としての道を切り拓いていくことになるのだ。

広がる創作ジャンル

『スター・ウォーズ』のジョン・ウィリアムズ、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のハンス・ジマー、『ロッキー』のビル・コンティ…。いずれも洋画の劇伴(サントラの作曲)で知られる現代作曲家たち。日本映画の劇伴を牽引してきた一人が加古である。
2001年、『大河の一滴』(神山征二郎監督)で初めて日本の映画の劇伴を手掛けた。
きっかけを聞くと、「原作者の作家、五木寛之さんから直接、頼まれまして」と言う。
そのとき五木はどんなリクエストを?
「映画を見終わった後も、ずっと頭の中で音楽が流れているような、そんな王道の映画音楽を作ってほしい。それが依頼でした」と加古が明かす。
劇伴の作り方について聞くと、「依頼時には、まだ映像は完成していません。原作や脚本を読み込みながらイメージしていきます」
翌2002年には『阿弥陀堂だより』(小泉堯史監督)の劇伴を手掛け、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。
「小泉監督は具体的にどんな曲にしてほしいかを言わないんですよ。そういうときはこちらからいろいろと聞き出します。質問していて相手の目が輝く瞬間がある。その輝きから判断するのです」
小泉監督は「風」という言葉に目を輝かせたという。
「これはパンフルート(木管楽器)の世界観だ…」
直感的に、すぐに民族楽器の一つ「パンフルート」が頭に浮かんだのだという。
映画やCMとともに、加古はテレビ番組の劇伴も数多く手掛けている。
その代表作のひとつといえば、今回のツアーでも披露する、NHKのドキュメンタリー『映像の世紀』のテーマ曲『パリは燃えているか』。1995年に発表されて以来、バージョンを変えながら、今も『映像の世紀 バタフライエフェクト』の中で流れ続けている不朽の名曲だ。
この劇伴依頼の秘話を一つ。
「NHKから番組のコンセプトを説明され、プロデューサーから100曲ぐらい作曲してほしい」。そう言われた加古は本当に100曲作って提出したという。するとこのプロデューサーは「ふつう、作曲家は10曲くらいを提出してくるのですが」と驚かれた。
〝音楽の詩人〟からあふれ出す音は無限大なのだ。ジャズから交響曲、そして宮沢賢治まで軽々とジャンルを超えながら…。
「演奏も作曲も、まだまだこれからです」。創作の源泉はまだ尽き果てることはない。

加古 隆(かこ たかし)

作曲家・ピアニスト。東京藝術大学・大学院作曲研究室修了後、フランス政府給費留学生として渡仏。パリ国立高等音楽院にて現代音楽の巨匠とも称されるオリヴィエ・メシアンに師事し、アカデミックな作曲家としての道を目指していたが、1973年のパリでフリージャズ・ピアニストとしてデビューするというユニークな経歴を持つ。1976年に、音楽院の審査員全員一致による作曲賞(Prix de Composition)を得て卒業。帰国後はピアノ・ソロ曲からオーケストラ作品まで幅広い分野の作品、映画音楽、ドキュメント映像の作曲も数多く、自身が演奏した60以上のアルバムを発表している。2010年にピアノ四重奏団「加古隆クァルテット」を結成。作曲家・ピアニストとして活躍を続け、演奏家としての音色の美しさから「ピアノの詩人」とも評される。映画音楽での受賞は、1998年モントリオール世界映画祭のグランプリ作品、マリオン・ハンセル監督「The Quarry」の音楽で最優秀芸術貢献賞。毎日映画コンクール音楽賞に、小泉堯史監督「阿弥陀堂だより」(02)「博士の愛した数式」(06)、日本アカデミー賞優秀音楽賞「杉田成道監督「最後の忠臣蔵」(10)、木村大作監督「散り椿」など。2016年度(第68回)日本放送協会 放送文化賞を受賞。2023年はパリでのデビューから50周年となり、記念アルバムとして自選映像音楽集「KAKO DÉBUT 50」をエイベックスから発表。

『銀河の旅びと~宮沢賢治と私~』Takashi KAKO Concert2024
■日時 2024年11月4日(月・祝)
    15:00
■会場 住友生命いずみホール
詳しくはコチラ

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