8月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~(52)後編 島尾敏雄
特攻からの生還…覚醒した文学への情熱
映画化された二人の出会い
作家、島尾敏雄と妻、ミホ。二人の生涯は波瀾に満ちていた。その出会いは第二次世界大戦末期の1944年12月。
第18震洋特攻隊指揮官を命じられ、鹿児島県の奄美群島加計呂麻島の基地へ着任した海軍少尉の島尾は、温厚で礼儀正しい人柄から島民たちに先生と呼んで慕われていた。
島の小学校教員だったミホも島民たちに優しい島尾を慕う一人。島尾も、またミホに惹かれ、二人はごく自然に惹かれあっていった。
だが、島尾は自ら死を覚悟し、この島へやって来た特攻隊員だったのだ…。
1945年6月。沖縄が米軍に制圧され、加計呂麻島の基地で出撃を待つ島尾たちの特攻の日は目前に迫っていた。
二人がどのように出会い、恋に落ちていったのか。それをつぶさに描いた映画がある。
2017年公開の映画「海辺の生と死」はミホの同名小説と島尾の小説「島の果て」を元に越川道夫監督によって製作された。
カゲロウ島(加計呂麻島がモデル)に赴任してきた海軍の朔中尉(永山絢斗)と恋に落ちる島の小学校の代用教員、トエ(満島ひかり)の物語。朔のモデルは島尾、トエのモデルはミホである。
特攻を決意した島尾の壮絶な体験を、ミホの視点から臨場感豊かに描き上げた秀作。越川監督は島尾夫婦の熱心なファンで「いつか自分の手で映画化したい」と構想を温め、ミホ役には「満島ひかりしかいないと決めていた」と明かしている。
映画公開前に満島を取材した。このとき彼女自身、「自分にしかミホを演じることはできないという覚悟でした」と語った。その真摯な眼差しが強く印象に残っている。
「幼かった頃、祖母が暮らす奄美大島へよく遊びに行っていました。島は私のルーツです」と彼女は話し、この映画への出演は「運命だった」と熱く語っていた。
また、「共演者もスタッフも島のことを詳しく知らない。島のことを本当に分かっているのは私だけ。島を代表するつもりで演じていた」とも。
沖縄出身の満島は加計呂麻島の方言や島の歴史やしきたりなどを学び、共演者やスタッフに教える役割も担っていた。島に伝わる伝統の歌を満島が切々と歌い上げるシーンは胸に響き、感動的だ。
ミホの方言のイントネーションは、「島尾さん夫婦のご長男、伸三さんがセリフを自分の声で録音してくれました。それを聞いて私はセリフを覚えたんですよ」と教えてくれた。
「敏雄生誕100年・ミホ没後10年記念総特集 島尾敏雄・ミホ/共立する文学」(河出書房新社)の中に、ミホが講演で敏雄の特攻について語った話が収録されている。
《彼が特攻戦で出撃するときには、私はこの形見の短剣で自決しようと心の中でそっと思いました》
ミホは自決を覚悟するほど敏雄を愛していたのだ。
《それほど遠くない日にそれはまいりました》
運命の日は刻一刻と近づいていた……。
二人の運命
1945年8月13日の夕方。ついに島尾の部隊に特攻命令が下され、それを伝えるために彼の部下がミホのもとへ駆け付けた。
《『隊長が往かれます、隊長が往かれます』といって縁の沓脱ぎ石のところで泣き伏しておりました》
ミホの回想は続く。
《私は井戸端にいって井戸の水を汲んで、自分の身を清めてから、真新しい肌着と襦袢を身につけました》
島尾の出撃を見届けてから死のうと、ミホは浜辺に向かった。
《わたくしはその浜辺に正座して短剣をじっと抱いて時の至るのを待っておりました》
13日未明から14日朝方にかけて。島尾の隊への出撃命令は出ぬまま翌朝を迎えたが、部隊はそのまま待機し続けていた。
《わたくしにとりましても、同じく死刑台の上に在るような…》
ミホは島尾の出撃を待つ間の心境をこう吐露する。
特攻命令が出ないまま、8月15日終戦。
《隊長をはじめ搭乗員全員が、そしてわたくしも死の淵から生の側へと立ち戻り、戦後を生きることになったのでございます》
生死の間際をともに海辺で見た二人は生き延び、結婚を誓いあう。
復員後、島尾は実家のあった神戸に戻り、文学活動を始めた。
島尾はミホを神戸へ呼び、1946年3月、結婚。二人の子供も神戸で生まれた。
彼は現神戸山手短期大学の非常勤講師や現神戸市外国語大学の助教授として働きながら、1947年10月、同じく復員兵の作家、富士正晴らとともに神戸を拠点とする同人誌「VIKING」を創設。作家として精力的に作品を発表し続ける。
彼が創設した「VIKING」からは、その後、高橋和巳や久坂葉子、久坂の連載を本誌で手掛けた久坂部羊ら数々の有名作家を輩出している。
彼は「ヤポネシア」という言葉も生み出した。日本という「国」を「島々からなる列島」という概念でとらえていたのだ。ミホの存在が大きく影響していることは間違いないだろう。
二人が〝死の淵〟から生還し来年の夏、日本は戦後80年を迎える。
=終わり。次回は作家、井上靖。
(戸津井康之)