7月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.44 歌舞伎俳優 十代目 松本 幸四郎さん 八代目 市川 染五郎さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第44回は、長年、時代劇ファンに親しまれてきた人気作を、キャスト・スタッフを新たにし、映像化した新シリーズ「鬼平犯科帳」SEASON1の劇場版最新作『鬼平犯科帳 血闘』に親子で出演した歌舞伎俳優、十代目松本幸四郎と長男、八代目市川染五郎の登場です。
文・戸津井 康之
撮影・服部プロセス
世界に誇る時代劇に臨む覚悟…
代々受け継ぐ英雄像への思い
託された鬼平の系譜
「これぞ時代劇の王道。世界に誇れる日本の時代劇ができた。そんな自信があります」
取材で開口一番、松本幸四郎はこう熱く語り始めた。
穏やかで謙虚な幸四郎の表情が、いつになく険しく力が入っているのも無理はないだろう。
原作者である時代小説作家、池波正太郎の生誕100年記念として2024年に新シリーズのドラマと映画が公開されることが発表された『鬼平犯科帳』の主人公…。この特別な年に五代目鬼平(長谷川平蔵)として指名されたのだ。
さらに、謙虚な彼が「この役は特別」と強調するほどに鬼平への思い入れは強い。
祖父の初代 松本白鸚が初代の鬼平を務め、父である二代目白鸚の弟、つまり叔父の二代目中村吉右衛門が長らく四代目の鬼平を演じ、綿々と築き上げられた〝国民的英雄像〟を引き継ぐことになったのだから…。
「実は叔父さま(吉右衛門)とはかつて鬼平のドラマで共演させてもらっているんです。そのときの叔父さまは楽屋にいるときから、すでに鬼平そのものでした」としみじみと振り返った。
そこにいたのは、幼い頃から可愛がってもらってきた優しい叔父の顔ではなかったのだと。
撮影現場の目の前で〝鬼平を体現〟していた吉右衛門は実の父、つまり幸四郎の祖父の当たり役を受け継ぎ、1989年から2016年まで28年間にわたって演じ続けてきた。
その〝称号〟を8年ぶりに受け継ぐプレッシャーたるや想像に難くない。
そう向けると、幸四郎は「もちろんです。鬼平を演じるプレッシャーは、それは大きかったです」と素直に認めたうえで、「それでも私がいつかはやらねばならない役だったのだとも思っています」と語気を強めた。
五代目鬼平を託され、長男、染五郎が若き日の鬼平を演じることに対し、「この流れは運命のようにも感じます。そしてそれこそ血なんだと…」と秘めた思いを吐露するように言葉にした。
息子として…。いつにない父のプレッシャーを撮影現場で直に肌で感じ取っていたのだろうか。
取材中、静かに、だが熱く鬼平を演じることの意義や意気込みを語る父の言葉を隣で聞いていた染五郎は、「〝父の挑戦〟の場に参加できて本当によかった。父の助けになれたらと思って演じました」と自身もプレッシャーを感じながらも現場で考えた〝親子共演の意義〟を噛みしめるようにして語り、「若い頃の鬼平を演じていて、この役がとても好きになり、強い愛着を覚えるようになりました。できれば、また演じてみたい」と続けた。
親子で挑む壁
染五郎にとっては曾祖父と大叔父が演じてきた鬼平。そして父がそれを受け継いだ。
「出演が決まって、過去の鬼平犯科帳の映像を観させていただきました。こんなにも面白い時代劇だったのかと思いました。もっと、早く観ておけばよかった…」
そう反省を加え、染五郎が語ると、幸四郎が、「遅くはないです。今でいいんです。だって、もし、5年前だったら、今回のように一緒に鬼平を演じることはなかったでしょうから」と笑った。
〝同一人物〟を演じているため、〝親子共演〟のシーンは残念ながらないのだが、劇場版の中で印象的なシーンがある。
〝荒々しい放蕩無頼な若き日の鬼平〟(染五郎)の顔から〝信奉厚い火付盗賊改方の鬼平〟(幸四郎)の顔へ…。怖いもの知らずの鼻っ柱の強そうな表情から、人生の辛苦を幾つも乗り越えてきたしたたかな男の表情へとつながるシーンは、まるで、代々受け継ぐ鬼平役の重みを伝えるドキュメンタリーのようでもあり感慨深い。
池波が初代白鸚をイメージしながら書いたといわれている鬼平は、二人にとっても特別な役なのだ。
「実は父と鬼平の役作りについて打ち合わせしたり、話し合ったりしたことはありません。ですが、このシーンは最初に父が撮っていたので、その表情や所作などを見て確認し、父が演じる鬼平の顔へとつながるように…と意識しながら演じています」
長男がこの場面の役作りについて解説する姿を隣でうれしそうに幸四郎が見つめていた。
今から3年前。2021年に公開された劇場版アニメ「サイダーのように言葉が湧き上がる」で染五郎は主人公の〝俳句で自分の思いを人へ伝えるシャイな高校生〟の声優役に抜擢された。声優初挑戦だった。
同作のプロデューサーの一人を取材したとき。この染五郎抜擢の理由を聞いてみた。
「歌舞伎座で演じる彼の声、佇まいを見ていて、彼しかいないと決めたんです」とそのプロデューサーは答えた。
この話を染五郎に伝えると、「あのときは、まだ高校生でした。だから等身大で自然に演じることができたんです。今ですか?もう、あの頃のように演じることはできないでしょうね」と笑いながら振り返った。
すると幸四郎が、「プロデューサーたちが、染五郎の舞台を見にきてくれたり、出演依頼の思いを込めた手紙を送ってきてくれたり…。熱心に出演を依頼されたんですよ」と当時の状況を教えてくれた。
真剣なアニメ製作者たちのラブコールを何度も受けながら、その期待にこたえようと染五郎の出演を親子で快諾したという。
そこには、親として子に、「新たな世界へ挑戦してほしい」という思いもあったはずだ。
それから3年が経ち、高校生から今、19歳に。身体も自分と同じ身長まで成長し、長男はたくましさを増した。
すべては歌舞伎のために…
長年にわたり、幸四郎は歌舞伎の舞台のほか、映画にドラマ、ミュージカルなど幅広いジャンルに挑み続けてきた。
その理由が知りたかった。
「どんな仕事の依頼でも、出来る限り断りたくないと思っています。歌舞伎俳優は、どんな役でも演じられる。また、どんな役でも演じられなければいけない。そう考えてやってきましたから」
父の二代目白鸚がそうだった。
米ニューヨークのブロードウェイの本場で、ミュージカル『ラ・マンチャの男』を英語で演じてニューヨーカーを驚かせ、NHK大河ドラマ『黄金の日日』『山河燃ゆ』で主演し、歌舞伎ファンだけでなく、全国のドラマファンを魅了してきた。
歌舞伎俳優という枠を大きく超え、国民に親しまれていく姿は、エンターテインメントの世界へ身を捧げているかのようにも見えた…。
片や、その父を見てきた幸四郎は、舞台『アマデウス』でモーツァルトを演じ、映画『阿修羅城の瞳』では主演を張り、さらに数々のテレビドラマにも出演し続けている。
幸四郎は、自身の活動を振り返り、こう言う。「まるで父がやってきた背中を追っているようですね」と。
そして、こう続けた。
「自分のためだけだったら、これらの活動はできなかったのかもしれません。すべては歌舞伎のために。そう思いながら演じてきたからできる。これからも…」
近年のドラマでは、一昨年、2022年にTBS系で放送され、社会現象ともなった、二宮和也主演のミステリードラマ『マイ・ファミリー』に出演し、二宮の友人役でIT企業の代表を演じた。現代劇で見せる、その圧倒的な存在感は視聴者を沸かせた。
「ドラマの放送中、私が誘拐犯ではないか、と疑う声も多く上がっていましたね」。幸四郎が笑いながら話すと、「気になって毎週、夢中でドラマを見ていました。とても面白かった」と染五郎も笑顔で答えた。
鬼平犯科帳の新シリーズは5月に全国の映画館で封切られた劇場版他、ドラマ3本がSEASON1として時代劇専門チャンネルで放送される。
取材時。「今は京都の撮影所でSEASON2の撮影に入っています」と幸四郎が語った。
撮影が行われているのは祖父や叔父が通い、鬼平シリーズを作り上げてきた他、数多の日本時代劇の歴史と伝統を紡いできた〝聖地〟である京都・松竹撮影所だ。
「間違いなく、世界一の職人たちが集まったから作り上げることができた時代劇が、この鬼平犯科帳。新たな鬼平の歴史を、力を合わせて作っていかねばならないと思っています」
新境地へと、また一歩踏み出した幸四郎と染五郎。親子の果てしない挑戦は、まだまだ続く。
松本 幸四郎(まつもと こうしろう)
1973年、東京都出身。二代目松本白鸚の長男。
’78年、父が主演したNHK大河ドラマ『黄金の日日』に子役で出演。翌年3月に歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を名乗り初舞台。’81年10月に七代目市川染五郎を襲名。古典から新作歌舞伎まで取り組み、二枚目から実悪、色悪、女形まで務める。また、劇団☆新感線の舞台など歌舞伎以外でも幅広く活動し、テレビ・映画の作品にも多数出演。’05年には映画「阿修羅城の瞳」「蟬しぐれ」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞、報知映画賞最優秀主演男優賞、日刊スポーツ映画大賞主演男優賞を受賞。’18年に十代目松本幸四郎を襲名。
市川 染五郎(いちかわ そめごろう)
2005年、東京都出身。十代目松本幸四郎の長男。祖父は二代目松本白鸚。’07年に歌舞伎座「侠客春雨傘」で初お目見え。’09年、歌舞伎座「門出祝寿連獅子」で四代目松本金太郎を名乗り、初舞台を踏む。’18年に歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」において「勧進帳」で源義経を勤め、八代目市川染五郎を襲名。’22年6月に「信康」で歌舞伎座初主演。’24年に映画『レジェンド&バタフライ』で、第47回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞。