6月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊿後編 大森一樹監督
ゴジラの未来を予見… 自衛隊も全面協力
大阪を破壊するゴジラ
〝平成ゴジラ〟シリーズの幕開けを飾る新作の監督に指名されたのは東宝の重鎮監督たちではなく、新進気鋭の大森一樹監督だった。
フリーランスの大森監督がメガホンを託され、平成元年(1989年)に公開された「ゴジラVSビオランテ」は観客動員数200万人を超えるヒット作となった。
〝ゴジラ生みの親〟と呼ばれた元東宝映画会長、田中友幸がプロデューサーに指名したのは、後に東宝映画社長となる若手プロデューサーの富山省吾だった。
「ゴジラVSビオランテ」の製作秘話を聞くために富山を取材したとき。
「当時、田中は新しい時代のゴジラを作るという思いで大森監督を抜擢し、脚本も任せたのです。そして、また、プロデューサーも自分から私に引き継ごうとしていたのです」と振り返った。
さらに、特撮シーンを撮る特技監督には、後に〝東宝最後の特技監督〟と呼ばれる気鋭のアイデアマン、川北紘一を抜擢。
こうして大森監督は作り手を一新したチームの指揮を任され、平成ゴジラシリーズは動き始める。
映画界のそれまでの常識を突き破ってきた大森監督だが、ゴジラシリーズでも、その〝剛腕ぶり〟を発揮しようとしていた。
ゴジラお馴染みの光景として、国会議事堂をはじめ、日本各地を代表する建築物が、ゴジラをはじめ怪獣たちの戦いに巻き込まれ、次々と破壊される場面は大きな見せ場の一つ。
大森監督と当時のプロデューサー、富山が、こんな秘話を教えてくれた。
「舞台は大阪。当時、建設中だった関西国際空港や大阪城近くの大阪ビジネスパークの高層ビルなどを壊そうと考えていたのですが、すべて許可が必要なんですよ」と大森監督。
その許可の問題についてプロデューサーだった富山は「当時、〝ゴジラで壊したい〟と許可を求めると大抵、企業や自治体は協力してくれたのですが、『ゴジラVSビオランテ』の際は難交渉でした」と明かす。
とくに、まだ建設中だった関西国際空港について富山はこう説明する。「当時、地盤沈下が問題視されており、最初は猛反対されました。しかし、結局、『ゴジラなら…』と許可してくれたんですよ」と苦笑した。
さらに、「今だから明かせる」と語っていた、こんな秘話も…。
「映画の中では、当時の防衛庁の架空の部署である『特殊戦略作戦室』や、これも架空の自衛隊の階級である『特佐』を登場させたのですが、自衛隊側から、『そんな作戦室という部署や特佐などという階級は存在しませんよ』と、指摘されましてね。困りました」と大森監督は苦笑した。
練りに練った脚本を変えなくてはいけないピンチである。
「いくらフィクションの映画ですから…と話しても許可してもらえない」
だが、自衛隊員が国民を守るために命懸けで戦う姿を描いた大森監督の脚本の意図が伝わり、「『今回だけにしてくださいね』と、結局、最後は許可してくれてほっとしました」と話す大森監督はうれしそうだった。
映画界だけでなく、自衛隊のこれまでの常識、概念をも大森監督は変えていったのだ。
アナログからデジタルへ
さらに、こんな秘話も…。
大森監督が言う。
『ゴジラVSビオランテ』は陸上自衛隊が初めて全面協力してくれた特撮映画なんです。大阪城公園に現れたゴジラと、迷彩服姿の陸上自衛隊員が対決するシーンなどは実は当時、画期的なことだったんです」
2016年に公開された国内の実写版29作目「シン・ゴジラ」へとつながる、ゴジラと自衛隊とのリアルな戦闘シーンは、実は「ゴジラVSビオランテ」から始まっていた。
大森監督のゴジラ秘話はさらに続いた。
「実はミニチュアセットで市街地をすべて再現しているのは、この作品が最後。これ以降はCG映像が採用され、ミニチュア撮影はCG映像へと次第にとって変わられていく。アナログからデジタルの時代へと移り変わっていくのです」
国内の実写30作目となった「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」で山崎貴監督は今年の米アカデミー賞視覚効果賞を受賞。アジア勢初の快挙となったが、このVFX技術の進化の流れもまた、大森監督が手掛けた平成ゴジラから始まったといってもいい。
今から6年前。2018年、兵庫県の明石市立文化博物館で、ゴジラをテーマにした大森監督の講演会が開催され、筆者が司会を務めた。
講演後、大森監督と参加者との質疑応答のコーナーで、最後に一人の男子小学生が元気よく手を挙げ、こんな質問をした。
「僕は大森監督に憧れています。どうすれば映画監督になれますか?」
大森監督は真剣な表情で「とにかく今は本をたくさん読むこと」とアドバイス。すると講演会に急遽飛び入りで参加してくれた富山がこう付け加えた。
「大森監督はたくさん脚本を書いて映画監督になったんですよ。あなたもたくさん文章を書きなさい。そして将来、映画の脚本を書いてください」
若き大森監督とともに歩んだ盟友の言葉。その答えを隣で聞きながら、大森監督が男子児童に優しく微笑みかける姿が印象的だった。
=終わり。次回は作家、島尾敏雄。
(戸津井康之)