3月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第9回〜
前回は、「我々はなぜ存在しているのか」につながる、物理学最大の謎についてお話ししました。フィクション作品であれば謎は謎のままにしておいてもよいのですが、現実の世界ではかならず解き明かさねばなりません。なぜなら、それこそが我々物理学者の使命だからです。
我々の世界の仕組みを説明する理論体系として、標準理論なるものがあります。これはひとつの理論ではなく、これまでに人類が理論や実験や観測によって得てきた知見を積み上げてできた体系で、この世界で起こる現象をほぼ完璧に説明できています。これまでこの連載でお話ししてきたのも、それに沿った話でした。「ほぼ」というのは、前回お話しした、物質と反物質の非対称性がそのままでは説明できないからです。このようなときに、「では、標準理論は間違っているのだ、新たな理論体系を一から構築しなければならない」と考えるのは早計です。なぜなら、この非対称性以外のことを、標準理論以外に完璧に説明できるものは他にないからです。であれば、標準理論を否定してしまうのではなく、物質・反物質問題も解決できるよう、「少し修正」するのが筋というものです。実際、標準理論は、そうやって多くの人たちが弛まぬ努力によって「修正」して、今の形になったものです。一人の天才がいきなり考え出した理論ではなく、「人類が積み上げてきた体系」というところに、その価値があるのですから。
物質・反物質の非対称のことを、「CP対称性の破れ」と言います。「C」とは「Charge」、つまり電荷のことです。「P」とは「Parity」、一般生活では馴染みのない言葉ですが、空間配置のことです。第7回でお話ししたスピンのことを思い出していただければ、要するにスピンが左巻きか右巻きか、ということだと思っていただいて結構です。その第7回では、物質と反物質では、この電荷とスピンがともに正反対になっている、ということをお話ししました。ですから、ここで言う「CP対称性」とは、電荷とスピンがどちらもちょうど正反対になっていて、それを同時にひっくり返す、つまり「反転」させればまったく同じものになる、ということを意味しています。そしてもし物質と反物質で寿命が違うのであれば、CPを反転させても同じものにはならない、つまり「CP対称性が破れている」ということになります。
このCP対称性の破れの問題について、一気に解決するのではなく、クォークとレプトンに分けて考えてみます。第4回で、クォークとは強い力が働く素粒子、レプトンはそうではない素粒子だという話をしました。
まず、クォークについて、標準理論の枠内で、このCP対称性を説明する理論を考え出したのが、小林誠先生と益川敏英先生です。その理論はそのまんま、「小林・益川理論」と呼ばれます。この理論では、それぞれのクォークは完全に独立した粒子ではなく、互いに少し「混じって」いて、しかもそれが三世代分計六種類あった場合に、CP対称性の破れが起こりうる、ということが述べられていました。第4回でお見せした一二種類の素粒子の表は、さも当然のように示しましたが、実はこの小林・益川理論以前にはなかったものなのです。この理論が発表された時点で発見されていたクォークは、アップ、ダウン、ストレインジの三種類だけでした。しかしこの理論は大胆にもさらに三つのクォークが必要であることを述べ、そしてその後、実際に残りの三つのクォーク(チャーム、トップ、ボトム)が発見されました。小林・益川理論が発表されたのは一九七三年、益川先生は三〇代前半、小林先生に至っては二〇代の若さでした。しかしお二人がノーベル物理学賞を受賞されたのはそれより三五年後の二〇〇八年です。なぜか。理論というのは、いうなれば「言ったもん勝ち」であって、実験で証明されなければ本当かどうかわからないからです。この理論通りにクォークは計六種類発見されましたが、決定的となったのは、我々高エネルギー加速器研究機構が一九九九年から始めたBelle実験で、複数のクォークで構成されるB中間子と反B中間子との間でCP対称性の破れ(壊れ方が異なる)を発見したことでした。この成果により、小林・益川理論はその正しさを証明され、お二方はノーベル賞を受賞されたのです。余談ですが、僕が学生の頃、益川先生は京都大学理学部で現役の教授であり、僕は講義も受けたことがあります。また、僕が高エネルギー加速器研究機構の素粒子原子核研究所に着任したとき(二〇〇四年四月一日)には、小林先生は同研究所所長で、僕は小林先生から辞令をいただきました。
クォークについてはこのように説明がついたとして、レプトンではどうでしょうか。それについては次回お話しします。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。