3月号
神戸で始まって 神戸で終る ㊺『横尾忠則 ワーイ!★Y字路』展
『Y字路』とは、1本の道がY字型に左右に分かれる場所、つまり三差路、岐路のことです。昔は追分けと呼ばれていて、時代劇などによく描かれた場所です。右に行くか左に行くか、運命の分かれ目として、象徴的なポイントになっていました。ギリシャ神話では、このY字路にヘカテという女神がいて、この場所を守護していたらしいのです。
そんな場所を僕は絵の主題として長年描いてきました。僕がY字路に出合って、この三差路を絵のモチーフにしたのは、全く偶然です。小学校時代、学校に行く途中に模型屋がありましたが、この店が丁度三差路のど真ん中にあって、右の道は少し山に面していましたが、左の道は車道にもなっていて広い通りですが、僕はその日の気分で左右の道を選んでいました。
ある日、といっても郷里の西脇を去って何十年も経った頃、あの懐かしい模型屋さんを訪ねてみようと思って、夜のホテルを抜け出して、その場所を訪ねてみることにしました。ところが、かつての模型屋はすでに解体されてなくなっていました。そこで、せめて写真でもと思って撮った写真が、僕にとっては不思議な光景に映ったのです。そこで、この場所を風景画として描いてみたくなったのです。
それがY字路を描く切っ掛けになって、それ以来、随分沢山のY字路を描いてきました。西洋の数ある風景画の中に、なぜか誰もこの奇妙な場所を絵のモチーフにしていないのです。例えばフランスの画家ユトリロは、随分沢山のパリの風景を描いています。パリは凱旋門を中心に道路が放射線状に分かれていますから、至る所にY字路が出来ますが、誰ひとりとしてこのY字路に気づかないのか、それとも絵にならない場所として初めから誰も相手にしなかったのか、こんなに面白い場所なのに誰も絵にしない。ということは、もしかしたら、あまりにも当たり前すぎて、逆にモチーフにしなかったのかもしれません。誰かがこのY字路を発見してモチーフにしていたら、多分僕は描かなかったと思います。誰も描いていないので僕はこのY字路を僕のモチーフにしたのです。
僕のこのY字路の絵を見た人の多くは、至る所でY字路に出合うようになったという人が増えました。車を運転していると度々Y字路に出くわす。その都度僕の絵を思い出すという人が、実にたくさんおられます。中には、カメラマンの多くが急にY字路を撮るようになり、映画や、アニメや、コマーシャルまでにもY字路が登場し始めました。僕がY字路を描く以前にはそんな現象は全くなかったのです。
僕のY字路が画集に掲載されて海外で出版されるや、イギリスの有名な作家が早速Y字路の写真を撮って、自作のモチーフにしました。これはアイデアというかコンセプトの盗用です。しかしこの作家は、あまりにも有名で、しかも作品の露出度が多い作家だけに、彼の作品を見たあとに僕の作品を見れば、僕がマネをしたように思われてしまいます。
まあ、それはそうとして、僕のY字路の作品はほとんどが夜景です。また絵画で夜景をモチーフにした西洋絵画はあまりありません。一、二点は夜景を描いているのはあるとして、僕のように大半の風景画が夜景であるというのは珍しいと思います。しかし、明治期に小林清親という版画家がいますが、この人は随分沢山夜景を描いています。明治になって電燈が街に出現するや、彼は電燈を描くことで文明を描こうとしたのです。それが小林清親の夜景であります。
僕にとってY字路は夜景である一方、日本のY字路は農道を原形としています。そのような前近代的な地形に対して、西洋近代を象徴する電燈文化、つまり小林清親的な夜景が僕の中で融合しました。中には昼間の明るいY字路も多数描いていますが、やはりY字路は夜景でなければならないと僕は考えています。あの暗い、人っ子一人もいない夜のY字路こそ、Y字路の思想ではないかと思うのです。Y字路は消失点が二点あります。向こうの闇の中に消えていく左右、二つの消失点があります。一般的な風景画はだいたい消失点は一点、ひとつです。それに対してY字路は二つあります。そこが他の風景画と異にしているのではないかと思っています。
よく人から聞かれます。どちらの道へ行けばいいのでしょうか?と。そんな時、僕は面白がって、「どちらに行っても地獄ですよ」と脅かします。Y字路はある意味で人生の岐路です。またそのように見てもらっているような気がします。われわれは常に岐路、すなわちY字路に立たされているのです。朝起き、夜寝るまでに、いくつものY字路に出くわしているのです。朝食を和食にするか、洋食にするか、どの靴を履いて出掛けるか、今日はどの道を通って駅に行くか、こんな具合に一日中、Y字路に出くわしているのです。そういう意味では、人生はY字路だらけです。今日一日、何も迷わないで、何も考えないで、スラスラと一日が終ったというような人は、もしかしたら一人もいないんじゃないでしょうか。
われわれは毎日、一生、Y字路にぶち当たっているのです。そう考えるとY字路の絵は、少しは面白く見ていただけるんじゃないでしょうか。僕のこのエッセイを読んだあとにもう一度Y字路を見ていただくと、色々な発見があるのではないでしょうか。Y字路作品を美術的に見ていただくと同時、見る人の思い、願望、迷い、時には苦悩、または快楽、そうした「生き方」と照らし合わせて見れば、もう少し、ご自分の問題としてY字路が何かを語りかけてくるのではないかと思います。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。
横尾忠則現代美術館(神戸市灘区)にて『横尾忠則 ワーイ!★Y字路』展、開催中。
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/