12月号
映画をかんがえる | vol.33 | 井筒 和幸
87年、確かに、世の中は浮かれまくっていたようだ。テレビ番組では『金子信雄の楽しい夕食』なんていう料理番組があったり、政治について左派右派が好き勝手に言い合う『朝まで生テレビ!』が始まったり。はたまた、郷ひろみの結婚披露宴が生中継されたり、コント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』も始まったりと。金子さんというのはボクら世代が熱狂した『仁義なき戦い』で老獪で小心者の親分をコミカルに演じ、大いに笑わせてくれたあの名優だ。この大先輩は後のボクの二時間ドラマでお呼びするのだが、その現場の本番直前でも、『仁義なき戦い』の自分の名セリフを急に親分顔になって演じてくれて、皆で笑い過ぎて撮影が進まなかったのを思い出す。なんと、その親分さんがテレビで毎日、自慢の手料理を披露していたのだ。ボクもよく見ていた。よっぽど暇だったのかな…。とにかく、何でもありのテレビ界は景気が良かったようだ。年表で追うと、11月末には大韓航空機爆破事件が起きていた。その前年、ソウルで開かれたアジア映画祭に『犬死にせしもの』(86年)を出品して渡韓した時は当地で南北の緊張感は感じなかった。でも、この頃、ボクは朝鮮半島のことをそんな深刻には考えてなかった。やっぱり、どこか浮かれてたんだろうと思う。
故郷に帰った折に、天王寺新世界の洋画三本立て専門館で見つけたB・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』(87年)もいま一つだった。後の二本は憶えていない。デパルマに幻滅したから観なかったのかも。画面展開より勇壮な音楽に引っ張られるまま、デパルマ流の凝ったカットもなく、ありきたりの勧善懲悪劇で終わっていたからだ。捜査官と悪党の銃撃戦はスローモーションカットのオンパレードで勿体ぶっていて乗れなかった。でも、暗黒街のボス猿、アル・カポネに扮したロバート・デ・ニーロだけは別格で、役になり切っていた。彼は語っている。「演じることは自分を表現することで、自分の中にある感情や人格から役柄に合った部分を選び出すことだ」と。彼こそ“役者”だろうな。
年が明け、退屈しのぎに観て時を忘れた映画もある。『アンタッチャブル』で凡庸な捜査官だったケビン・コスナーが、『追いつめられて』(88年)ではソ連のスパイ役を生き生きと演じた。彼と恋に落ちるショーン・ヤングも国防長官の愛人で殺される役だが、セクシーで自然な感じが良かった。S・キューブリックの久々の『フルメタル・ジャケット』(88年)はベトナムの戦場で心が空っぽになる米兵たちをスリリングに描く2時間だ。気休めにはならなかったが。
春のある日、前年に続いてまた、ニューヨークに出向く仕事を頼まれ、かったるくて刺激のない日常から脱出できると思うとワクワクした。ただ、仕事は映画撮影ではなく、フジテレビの深夜番組ロケだ。撮影には違いないが、ENG(エレクトロニック・ニュース・ギャザリング)システム。つまり、フィルムでなくビデオテープで収録するドキュメント番組で、テレビの演出は一度もしたことがないので、すぐにでも行きたかった。東京の景気だけは上向きでも、ボクは日々、退屈でしようがなかったのだ。痛快無比な冒険映画の一つぐらいあってもよさそうだが、そんなものは見当たらなかったのだ。
その深夜番組は「NY者(ニューヨーカー)」という粋なタイトルがついていた。ゲストを連れて行き、日がな一日、当人が日本でやったことがない事をして過ごす30分番組だ。5番街でタコ焼きの屋台を牽くのも良し、ハドソン川を泳いで渡るも良し。何かに挑む姿を追うのだ。制作部が「ゲストは誰にします?」と訊くので、「友人の竹中直人に、昔の彼女が当地に住んでるらしいから訪ねに行かそう」と提案するとすぐに決まった。でも、「制作費の節約でもう一人ゲストを送ります。誰がいいです?」と。
ボクが「時間もないし、この際、オレでどう?自分で自分を撮るわ。『タクシードライバー』のラストシーンを再現したい」と言うと、「それは名案!」と制作チーフが認めてくれた。冒険映画を超えるこの冒険談はまた来月号で。乞う御期待。
PROFILE
井筒 和幸
1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。