5月号
神戸鉄人伝 第113回 声楽家 老田 裕子(おいた ゆうこ)さん
剪画・文
とみさわかよの
声楽家
老田 裕子(おいた ゆうこ)さん
ある時はイタリア歌曲を、ある時はドイツ歌曲を、ある時は日本歌曲を、自在に歌いこなす老田裕子さん。あたたかく柔らかな歌声は、多くの人々を魅了してきました。「実は人前でしゃべるのは苦手!私の場合、自分の言葉で語るより歌詞の方が感情を込められます」とおっしゃる老田さんに、お話をうかがいました。
―音楽とのご縁は?
小学生の頃、「少年少女合唱団に入りたい」と珍しく自ら志願し、入団しました。中・高時代も合唱部で、歌うことは好きでした。獣医になりたくて理系クラスにいたのですが、高2の秋に「獣医学科への進学は無理」と悟り進路変更、人よりもできるものがあるとしたら歌かな、と思い音大を受験することに。ピアノは3歳から細々と続けていたので、合唱部の先生にソルフェージュの特訓を受け、何とか大阪音楽大学に合格できました。
―音大時代はどのように過ごされたのでしょう。
周囲は早くから音楽の道を目指し、演奏できる人、何より音楽をたくさん聴いてきた人たちです。まだ受験のための勉強しかしていない自分に気付き、このままではいけない!と努力しました。大きな変化が訪れたのは20歳の時。成人式直後に阪神・淡路大震災を経験したのです。あの時は惨状の中で「音楽が何になるのか」と思いました。
―そんな心境から、どうして音楽の道に?
被災生活の中で音楽を聴いて、心が揺さぶられるのを感じました。自分が演奏する側ではなく聴く側になった時に、音楽の持つ力の大きさを知ったのです。それからは「自分は歌しかできないから、それをやるしかない」ではなく「自分にできるのが歌なら、力がつくまで勉強を続けよう」と思うようになりました。
―演奏家を志すようになったのは?
正直、自分の歌唱力がどれくらいなのか、わかっていませんでした。卒業試験で1番になって、初めて自分の立ち位置を自覚したのです。指導教官の川下登先生は何も言わず、私が気付くまでのびのびさせてくれたのですね。それで欲を出して、演奏家の道を目指してもいいのではないかと思い大学院へ進みました。
―その後数々の賞に輝き、ソリストに。
初出場の第51回全日本学生音楽コンクール全国大会で第1位、その後も第24回飯塚新人音楽コンクール第1位、第9回神戸新聞松方ホール音楽賞大賞と受賞が続きます。自分ではそれほどと思っていないのに結果が先に出てしまう感じで、それに見合う演奏ができているのか、とても不安でした。
―神戸市混声合唱団でも活躍されました。
院を卒業した後は教育助手をしながら、二期会研究所で2年間オペラの勉強もしました。ミュンヘンにも1年留学し、帰国後に神戸市混声合唱団に入団します。実力あるメンバー揃いで市民との距離も近く、活動は有意義でした。私自身の仕事が増えたのでやむなく退団しましたが、アカペラの機会などが無くなってしまったことはちょっと寂しいです。
―これからの活動は?
ドイツで勉強してきたことを、ようやく形にしたいと思います。5月31日に豊中で「イタリア歌の本《ウィーンで花開いたイタリアの恋の唄》」というコンサートを開催します。自分が取り組んできたことを、お客様にも楽しんでいただけるように頑張ります!(2019年2月27日取材)
蕾が徐々に花開くようにプリマドンナへと成長した老田さん。本当に実力ある人は、力まずとも結果を出せるのかもしれません。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。