5月号
甲南学園 100周年インタビュー|立野 純三 さん
一歩先を見越し、 世界を見据え、 大きく育ってほしい
今、噛みしめる平生釞三郎先生の言葉を現役の学生たちにも伝えたいと話す甲南大学同窓会長の立野純三さん。学生時代のこと、社会に出てからのこと、そして現役甲南生への思いをお聞きしました。
平生先生の言葉を知り、触発される環境づくりを
―立野会長が甲南大学を選ばれた理由は。
親しい甲南生が皆さんおおらかで、学生生活を謳歌しておられたからでしょうか。入学後は自由にさせてもらったと思います。ゼミの先生が言っておられたのが、「学生は準備の段階、卒業して就職したら否が応でも仕事をしなくてはならない。もちろん勉強が第一だけれど、今はあくせくすることなく学生にしかできないことを楽しみなさい」。今、私が大学へ行ったら「学生の本文は勉学だ」と言っていますけれどね(笑)。ただ、一生のうちどこかで努力をしなくてはいけない。私自身も社会に出てから与えられた仕事一つひとつに対して勉強し、努力してきました。
―甲南といえばやはり、平生先生の精神がありますね。
正直、在学中はあまり知りませんでした。社会に出てから言葉の意味を重く受け取れるようになりました。特に「世界に通用する紳士たれ」は、海外に行ったときつくづくと感じました。学生時代、海外に出ておけばよかったと後悔しました。学生として行くのと、仕事として行くのでは違いますからね。これから学生たちが社会に出ると、日本だけでは生活はできない時代になっていくでしょう。海外から人が来ますし、海外に留学する機会もいくらでもあります。どんどん活用して、一度は出て行ってほしいと思います。平生先生も、先を見越して仰っていたのではないでしょうか。平生先生の言葉を現役の学生たちに教えることが大事です。学園史資料室にある平生先生の資料を学生が見て、触発され勉学に生かすという環境を作るべきです。
―甲南大学では留学には力を入れておられるようですね。
今のところ姉妹校はアメリカだけですが、ヨーロッパには伝統のある大学がたくさんありますし、これからはアフリカにも広げるなど、先見性を持って取り組まなくてはいけないでしょうね。他に先駆けて、美術系やIT系の学校と提携することもできます。留学して戻ってきた学生が甲南を卒業し、世界で活躍する時代を作らなくてはいけません。
同窓生の強い絆を関西から全国レベルに広げよう
―卒業後の絆は強いですね。
関西では横のつながりが強く、仕事上でもいろいろな場面で助けられています。特に青年会議所では、陰でサポートしてくれるという安心感がありました。甲南生は素直ですから、卒業後、仕事を始めてからの伸びしろが大きいのでしょうね。上場企業に就職してトップまで上り詰めた同窓生もおられます。なかなかできないことだと思いますよ。今年は卒業式で、甲南学園同窓生で学生ベンチャー初の成功者、堀場雅夫さんの「仕事はおもしろおかしくやらないと成功しない」という話をしました。偉大な先輩がたくさんおられるのですから話を聞く機会を持ち、誇りを持ってほしいと思いますね。
―甲南学園は100周年を迎えます。同窓会長としての思いは?
全国、海外も含めると36の甲南会があります。各地で盛大に甲南学園100周年を祝ってくださいとお願いしています。秋の「オール甲南の集い」にも集まっていただき、甲南の良さをアピールしていかなくてはいけません。甲南学園は高校まででも良かったはずです。しかし戦後、平生先生は強い意志を持って大学を開学されました。その意味をもっと広めなくてはいけません。今のところ、関西エリアの学生がほとんどです。東京にも5千人以上の卒業生がいます。100周年という絶好のチャンスを利用して、甲南を全国レベルで広めてほしいと思っています。
人生はどこかで必死に勉強し、努力する時期がある
―甲南大学卒業後、(株)ユニオンに入社されたのですか。
3年ほど他の会社に勤めてから入社しました。1990年、社長に就任しましたが、ちょうどバブルがはじけ、売り上げは落ちていく一方、よくここまで持ち堪えたものだと思います(笑)。
―ユニオンは60周年を迎えたそうですね。
建築資材関係の会社に勤めていた先代が、戦地から帰って独立し問屋業を始めました。1958年、ドアハンドルメーカー「ユニオン」としてスタートしましたので、昨年60周年を迎えました。ちょうど東京オリンピック、新幹線開業、大阪万博開催のころ、ドアハンドルをオーダーする時代になり、それに応えて信頼を得てきました。
―ここまで成長した理由は、どこにあると思われますか。
デザイン性があるということでしょうか。ドアハンドルは建物の顔です。ユニオンのドアハンドルを使うことで建物に品格が出てきて、空間の雰囲気までも変えてしまいます。現在は約3千種類のドアハンドルがあり、国内で出来た建物のドアハンドルのシェアはほぼ90%です。それに関連してさまざまな製品で新しいものにチャレンジしていることも理由でしょうか。また、「工場は絶対に持つな」という先代の遺言で、デザインと販売だけに特化し、製造は外注したのもよかったのだと思います。
―人生で努力する時期が、ユニオンでの仕事の中にあったのですね。
ドアハンドルは先代が作ったものです。私も何かで成功しなくてはいけないと考えていました。アメリカへドアハンドルを持って行きましたが、「まるでジュエリーだ」と称賛されるけれど、全く売れない。そこで見つけたクローゼットドアを日本に持ち込みましたが、最初は全く売れない。センチや尺が標準の日本にインチで持ち込んで売れるわけがないことにも気づいていなかったんです(笑)。日本生産に切り替えて、売上100億まで伸ばしました。莫大な投資をし続けた売れない5年間、先代はよく黙って見守ってくれたと思います。これが私の自信につながりました。
次の世代を育てることも、私たちの責務
―これからのユニオンについて。
ドアハンドルに特化していえばデザインや素材で世界一です。設計事務所の指定を取ろうという意図でニューヨーク、そして新たにシンガポールに事務所を構えました。アメリカでは既に大きな実績を作っていますし、ヨーロッパへ持って行っても好評を得ています。2006年にはイタリアミラノサローネに出展し話題になりましたが、売れず(笑)。13年ぶりに今年出展予定ですが、今度こそ売れると確信しています。「日本のユニオン」は先代が作りました。私は「世界のユニオン」に育てたいですね。
―ユニオン造形文化財団では若手の育成にも力を入れておられますね。
デザイン賞は毎年、一人の建築家にテーマを決めていただき、応募作品を選考し優秀賞と佳作、懸賞金を贈呈しています。調査研究や国際交流、在外研修に対しては助成金を出しています。25年続いていますが、どちらも毎年対象となった10人前後、また挑戦したという多くの人材が世の中に出て活躍してくれています。ありがたいことだと思っています。
―先を見越す、社会に貢献する、平生先生に通じるものがありますね。最後に、甲南学園で学ぶ若い人たちに一言お願いします。
こじんまり収まらず、世界を見据え大きく育ってほしい。そして皆さんは今、恵まれた環境に置かれているのですから感謝の気持ちを忘れず、将来はその恩を親御さんや甲南に返していってほしい。お返しするのは金額の大小ではないんですよ、気持ちです。私も最近やっとそんなことが分かってきました。心の片隅にでもこの言葉をとどめておいていただきたいと思います。
―平生先生の「人生三分論」。ぜひこれからも、後輩たちに伝えていってください。本日はありがとうございました。
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