2月号
触媒のうた 36
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字・六車明峰
先ず訂正。
11月号の「竹中郁と中野重治」で、竹中郁さんのことを人は「詩人さん」と呼んでいたと書いたが、その号を読まれた詩人、安水稔和氏よりのお教えで、それは間違っていると。「詩人さん」と呼んでいたのは、安水氏を含めた「ぽえとろ」の同人たちだけだったと。「ぽえとろ」は安水氏が神戸大学在学中に結成された同人誌で織田正吉氏も参加しておられた。
さて宮崎翁。この一月二日に92歳の誕生日を迎えられたが、その精神力に感服させられる。昨年春には大病を患われ、半年間の入院生活。秋に退院されたが、今も週二回のリハビリに通っておられる。
翁の奥様、信子様も91歳とご長寿である。その奥様からのご依頼で、一冊の古書をネットで入手した。『二百十日』(昭和十八年刊)という句集である。信子さまのご尊父の柴田笥浦(本名・勉治郎)さんが昔出されたもの。奥様、大切にしておられたのに、いつの間にかなくしてしまって、ということだった。
それをお届けした時の宮崎翁の話。
「家内の父親は山陽電鉄(当時は宇治川電気)の社長だったんですがね…」
元々は山電の親会社の重役さんで、社長と意見の相違があり左遷された先が山陽電鉄の社長だったという。
「それで思い出すことがあります。椎名麟三が戦前に車掌をしていたのが山陽電鉄でした」
ということで今回は椎名麟三。
椎名麟三―1911年~1973年。兵庫県飾磨郡(現・姫路市)出身の作家。複雑な家庭に育ち、様ざまな職業を経て山陽電鉄の車掌に。そこで共産党に入党。後には転向し、キリスト教に入信。1955年、『美しい女』で芸術選奨文部大臣賞受賞。
『美しい女』は山陽電鉄に勤めていたときの体験をもとに書かれた小説。
「椎名さんにお会いした時に、『うちの家内の父親が山電の社長だったんですよ。椎名さんが勤めておられたころの』とお話ししました」
翁とは長いおつき合いだが、未だにポロっと思いがけない話が出るので油断がならない。
わたし、調べてみました。すると柴田勉治郎さんは句集は勿論のこと、俳句の研究書も何点か刊行しておられ、かなりの文人だったようだ。
「するとね、『ええっ!そうだったのか。どうせ社長なんてものは芸者遊びばかりしてるおっさんだろうと思ってた』と大いに驚かれました」
そんなこともあって、宮崎翁は椎名とは折に触れ一緒に飲む仲だったと。
「あの人の小説は面白くないでしょ。実存主義文学などともてはやされた時代がありましたが、いわゆる流行作家ではありませんでしたからねえ。あ、そうだ、一度明石の旅館に訪ねて行った時のことですがね、こんなことがありました。頬をタオルで押さえながら出てこられました。どうされたのかと思ったら、髭を剃ってて切ってしまったと。そのことをその後書かれた小説に使っておられました。その旅館というのが実は連れ込み旅館でした。今でいうラブホテルですね。そんな所に平気で一人で泊っておられました」
その小説、『断崖の上で』(1959年刊)をわたし読んでみました。椎名の小説を読むのは恥ずかしながら初めてでした。すると、最初の場面に出て来ました。
―十月の朝だった。長山悦雄は、旅館の二階の洗面所で、ひげをそっていた。その窓からは、晴れわたった空の下に、明石の海が光って見え、その向こうに淡路島がゆったりと大きく横たわっていた。(略)だが、次の瞬間、この平穏無事のかたまりのような男は、あっと小さな叫び声をあげて左顎の下に手をあてていたのであった。(略)やがて彼は、おそるおそる手をはなして顎の下を見た。すると、ニキビを大きくそり落してしまったらしく、血が噴き出るようにたらたら流れて来るのだ。手拭いで何度も押えてみたが、どうにもとまりそうにもなかった。―
ここから明石の町を舞台に庶民の物語が展開されて行く。翁は「面白くないでしょ」とおっしゃるが、意表を突く表現が次々に出て来て、わたしには面白かった。
「何度もお会いしましたが、ちっとも偉そうにせず、いつも変わらないいい人でしたよ。激しく意見が違う人に対しても、批判はしても決してその人を憎むというようなことはないんです。組織の人ではありましたが、それに依りかかるということもなく構えるところもなく、実におつき合いのしやすい人でしたねえ」
わたしの手元に、椎名があるフアンに宛てた直筆ハガキ(掲載写真)がある。
―二三日前まで、明石にいました。また来月行くつもりで居ります。姫路市外の小さな村が故郷なので、そのとき、二十何年ぶりでたずねて見るつもりです。―
消印は昭和29年4月8日。住所は東京都世田谷区。丁度、『美しい女』を執筆中のころであろう。ハガキはすでに黄色く変色している。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。