4月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から 119 「十四年目の声」
なんということだ。
十四年間も不義理をしていたとは!
「喫茶・輪」の書斎の一角に、詩人杉山平一先生の本が並ぶコーナーがある。そこで探し物をしていた時のこと。思いがけないものが出てきた。
ジャケットに「杉山平一さんを偲んで」と題されているCDである。そして、
《NHK関西ラジオ「ラジオエッセイ」
2012年5月30日(水)放送》とある。
さらに「どうぞお手許にお納めください。木津川」と、これは木津川計さんの直筆だ。
この木津川さんについては、2020年9月号の本欄に詳しく書いているが、一言でいえば、関西芸能界の恩人といえる人。約半世紀にわたって季刊誌『上方芸能』を発行され続けたのだった。数年前にスパッと引退なさったが、お元気になさっているだろうか。
この放送は、杉山先生が97歳でお亡くなりになった直後ということになる。ご命日は2012年5月19日。
これはきっと、杉山先生のご遺族が木津川さんからいただかれたもの。それがなぜここにあるのか?わたしには一瞬意味が分からなかった。しかしどう考えてもわたしがお借りしたまま返すのを忘れているとしか思えない。
事情を知りたく、そのころの日記を調べてみることにした。きっと何か記しているはず。
あった。2012年7月19日。
《思いがけないお客様が。杉山平一先生のご息女、初美さんが暑い中わざわざお出で下さった。しかも自転車で。昨秋、「喫茶・輪」で催した「詩書展」に先生に付き添って来ていただいて以来のこと。恐れ多いことだった。(略)
お持ち下さったCD、これがいい。
木津川計さんのラジオ放送「杉山平一さんを偲んで」
杉山先生の詩を紹介しながらの感動の放送だ。》
間違いない。やはりお借りしたまますっかり忘れていたのだ。すぐお返しすることになっていたのだろうが、十四年間もこの書棚の奥に隠れていたのだ。初美さんも不審に思っておられたに違いない。しかしそのうちに時が経ってしまい、請求するタイミングをなくしてしまわれたのだ。ああ、申しわけないことだった。杉山家にとっては大切なもの。それをなんということ。
わたしはあわてて初美さんへの電話に向かって深々と頭を下げたのだった。初美さんは「え?そんなことありましたか?」と忘れていたかのように言って下さったが…。
お返しする前に改めて録音を聴いてみた。約八分間だが、木津川さんの語り口がなんともいい。真情がこもっていて今でも涙を催す。
わたしのパソコンに取り込ませてもらい文字起こしすることにした。プリントに残そうと思ったのだ。
ところがプリントにして読んでみて、これは表紙を付けて冊子にしようと考えた。そうすれば、杉山先生の著書と並べて書棚に置ける。
そうして出来上がったのが、16ページの冊子。
その中から一部分だけ紹介しよう。
《杉山さんを一言で申しますと、やはり「希望の詩人」であったと申し上げるものであります。
八十九歳で発表した「マッチ」という次の詩が多くの人に夢をもたらしたんです。
アンデルセンの少女のように
ユメ見ることのできるマッチを
わたしは まだ何本か持っている
であります。八十九歳です。》
そしてわたしが書いた「あとがき」。
《語りの名手、木津川計さんの、その素晴らしい声音を文字化することの無粋は承知の上でこのようなものを作った。
しかし、木津川さんの語りを知る人が読むならば、その語り口が聞こえてくるだろう。読みながら木津川さんの佇まいを思い浮かべ、そしてその声をお聞きいただければ幸い。今村欣史》
素人の不細工な手作りだが、わたしはやっと忘れ物をお返しした気持ちになったのである。

■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。












