12月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第30回〜
アクシオンの探索
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の存在を解明する︱― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
高エネルギー加速器研究機構の多田と申します。
前回は、「冷たい暗黒物質」の候補二つのうち、ニュートラリーノの探索実験についてお話ししました。今回は、もうひとつの候補、アクシオンの探索実験についてお話ししましょう。
前々回もお話しした通り、ニュートラリーノとアクシオンはまるで真逆の性質を持っています。そのため、同じ「冷たい」暗黒物質だといっても、その探索方法はまるで違います。
前回お話ししたように、ニュートラリーノはとても重いので、ほかの粒子とぶつかるとそれを弾き跳ばします。その弾き跳ばされた「反跳」粒子を捕まえることで間接的にニュートラリーノを観測する、ということでした。しかしこの方法は、アクシオンには使えません。なぜなら、アクシオンは電子の一〇〇〇億分の一、ニュートラリーノの一京分の一の質量しかないと考えられているからです。この軽さでは、ほかの粒子を弾き跳ばすことはできません。
そこで、アクシオンの性質を理論の面から考えていきます。未だ発見されていないわけですから、実物を調べることはできません。すると、第28回で紹介した、アクシオン研究の第一人者であるピエール=シキヴィエが、アクシオンが磁場中で電磁波に変わることを見つけ出したのです。ただし、とても強い磁場が必要です。アクシオン自体は、これまた第28回でお話しした通り、宇宙に、そして我々の身の回りにもいくらでもあります。しかし、これが電磁波に変わる確率はとても低く、それは磁場の強さに比例します。アクシオンを電磁波に変えるには、共振空胴(Cavity)という、金属でできた容器を使いますが、我々が手で持てるくらいの容器、例えば数リッターくらいの容積の共振空胴だと、数テスラほどの磁場をかけても、一秒間に一個のアクシオンが電磁波に変わるていどです。数テスラという磁場は、人類がつくることができる最も強力な電磁石である超伝導電磁石でようやく発生させることができるくらいの強さです。それをもってしても、一秒間に一個しかつくれないのです。そしてこれを計測するのがどれくらい困難かを説明しましょう。アクシオンが冷たい暗黒物質であった場合、それが電磁波に変わると、二ギガヘルツていどの周波数の電磁波になると考えられています。これが一秒間に一個だとすると、その出力は、〇・〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇一ワットしかないのです。二ギガヘルツというと、ちょうど電子レンジの周波数帯くらいで、通信にもよく使われているので、アンテナで拾うのが普通です。しかし、このような低出力の電磁波を、周囲の雑音と区別して検出するのは普通ではありません。雑音のほうが何桁も大きいのですから。みなさんの家の電子レンジの出力は数百ワットもあるでしょう!
最初、シキヴィエ率いるグループは、この電磁波を、極低温に冷やした特殊なアンプを使って検出することを試みました。それでも雑音のほうがはるかに大きく、困難でした。そこで、京都大学で考え出されたのが、リドベルグ原子を使った検出方法です。図に、その概略図と、実際の実験装置の写真を示します。共振空胴は、二つ用意します。まず、下の空胴を超伝導電磁石の中に入れ、その強力な磁場(七テスラかけます)でアクシオンを電磁波に変えます。前回お話しした通り、アクシオンはどこにでもありますから、空胴を用意するだけでその中に勝手にアクシオンが入っています。アクシオンが変化した電磁波は、隣の、磁場をかけていない超伝導空胴の中に入ります。この電磁波を検出するのですが、アンテナを使わず、リドベルグ原子に吸収させます。リドベルグ原子とは、その中の電子のひとつが電離寸前の極めて高い軌道まで上がった原子のことです。リドベルグ原子にはルビジウムなどを使います。ルビジウムの蒸気に空胴に入る寸前でレーザーを照射し、電子を極めて高い軌道に上げます。そしてそのリドベルグ状態になって空胴の中に入ったルビジウム原子は、アクシオンが変化した電磁波を吸収して、さらに高い軌道へと移動します。それが空胴を抜けた直後に、電圧をかけてこれを電離し、信号として捕えます。電磁波を吸収したリドベルグ原子と、吸収しなかったリドベルグ原子とでは、電子の軌道が異なるために、電離するための電圧が異なるので、吸収したか否かを判断できます。これで電磁波をひとつずつ区別して検出できるのですが、問題は雑音で、同じような周波数の「アクシオンとは関係のない」電磁波が、空胴の中を漂っています。この雑音電磁波の数は、温度に比例し、信号と同じ一秒間に一個ていどにするには、〇・〇一ケルビンもの極低温にしなければなりません。その温度まで冷やすために、希釈冷凍機という特殊な冷凍機で空胴を冷却します。
…と、ここまで説明してきましたが、読者のみなさんはついてきていますでしょうか。何が何やらわからないほどに複雑ですよね。ご安心ください、この仕組みは、物理学者から見ても複雑すぎるのです。この方法を最初に聞いた物理学者の一〇人のうち一〇人が、これを「複雑すぎる」と言います。この実験は、あまりに複雑すぎることから、実はうまくいかなかったのです。
改めて、この写真をご覧ください。装置の周囲にいる人の中に、金髪がいるでしょう? そう、これは、僕が京都大学時代に携わった実験だったのです。実験名は、Cosmic Axion Research with Rydberg Atoms in the Cavity in Kyoto(空胴中でリドベルグ原子を用いた宇宙アクシオンの京都での探索実験)、略してCARRACKです。CARRACKとは、帆船の一種で、たとえばコロンブスが西インド諸島に辿り着くのに用いた帆船サンタ・マリアがこれに当たります。もう、名前からして複雑でしょう?
この実験に携わることで、僕は学者の基礎として本当にいろんなことを学びましたが、一番大きな学びは、「実験は、単純でなければならない」ということでした。

PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。












