10月号

連載エッセイ/喫茶店の書斎から 113 タオルとプラッシー
二ヵ月に一度の「さくらFM」ラジオの出演を終えて帰る時のことだ。番組パーソナリティの久保直子さんから「お渡しものがあります」と。
古くからのリスナーさんから届いたものとのこと。
イラストのようなカラフルな宛名文字の大きな封筒を開けると、見覚えのあるタオルだった。
昔、わたしが米屋をしていた時に、年末にお得意様にお渡ししていた歳暮のタオル。新規の顧客開拓にも活用したのだった。懐かしい。
毎年泉南の業者に作ってもらっていたが、その営業さんのゴンタ顔も思い出した。今も元気にしておられるだろうか。
あの時代はみな店名を真ん中に大きく入れていたもの。しかしわたしは端の方に小さめに、そして平仮名でと注文したのだった。正式の店名「今村米穀店」ではなく「お米のいまむら」と。
このタオル、わたしのところには一枚も残っていない。よく残っていたものだ。
手紙が添えられていた。差出人は「甘辛しゃん」とある。匿名だから一部公開してもいいだろう。
《押し入れから、このタオルがでてきました。子どもの頃、今村さんのお米屋さんから配達してもらってました。わたしが心待ちにしていたのは、お米と一緒に配達してくれるプラッシーのほうでした。このタオル、もしかしたら四十年ちかく前かもしれません。
次回スタジオにお見えになったら愕かせてあげてください。もし、なにか訊かれたら「リスナーが突然届けてきたのよ」で、お願いします。》
郵送ではなく、放送局の郵便受けに直接に投函してあったのだと。
さて、どなたなのだろうか。内容からして、それほど若くはないようだ。どんなお仕事をなさっているのか。大いに気になるが、予想がつかない。
「愕かせてあげてください」とある。ハイ、大いに愕かされましたよ。
「書いたものは残る。誰が読むか知れない。だから恐い」というが、放送も怖いものだ。誰が聞いておられるか分からない。
ところで文中に《わたしが心待ちにしていたのは、お米と一緒に配達してくれるプラッシーのほうでした。》とある。
この「プラッシー」だが、当時、米屋の専売品だったタケダの瓶入りオレンジジュースのことである。お得意先に24本入りのケースで買ってもらっていた。
人気のあった飲み物で、夏はよく売れたものだった。しかしわたしは、冬場にも販売に力を入れていた。毎年年末が近づく12月の初めにお得意さんに訪問販売をかけた。「クリスマスお正月用に」と子どもさんが居る家庭に狙いをつけて。
年末のボーナスが出た後あたりの日曜日(休業日)に、問屋さんのトラックに200ケース積んできてもらい、営業さんに手伝ってもらってお得意さんを回るのだ。営業さんも自分の成績が上がるので協力してくださった。仲良くしていた西本絋二さん。
一人一ケースずつ抱えて、お得意さんの玄関に二ケースを重ねてチャイムを鳴らす。「クリスマス用に買って下さい」と。
大の男が二人で頼み込むのだ。するとほぼ買って下さるのである。これは日頃の信用のお陰。二ケースはダメでも「それじゃあ、一ケースだけ」と。
一日で200ケースのプラッシーは売り切れたものだった。そして、大抵の家庭で、クリスマスまでに消費してしまい、後日追加注文が入る。わたしも米屋も元気だった時代の懐かしい思い出だ。
一緒に回ってくれた営業の西本さんからそのころにプレゼントされた本がある。昔色になってしまっているが、今も大切にしている。井上靖の詩集『北国』。若き日のわたしは、その巻頭の詩「人生」に深い感動を受け詩に興味を持ったのだった。
《M博士の「地球の生成といふ書物の頁を開きながら、私は子供に解りよく説明してやる。
(略)
しかるに人間生活の歴史は僅か五千年、日本民族の歴史は僅か三千年に足らず、人生は五十年といふ。父は生まれて四十年、そしておまへは十三年にみたぬと。
わたしは突如語るべき言葉を喪失して口を噤んだ。人生への愛情がかつてない純粋無比の清冽さで襲つてきたからだ。》
その西本さんも昨年お亡くなりになってしまった。
「甘辛しゃん」さん、いろんなことを思い出させてくださってありがとうございます。

(実寸タテ8㎝ × ヨコ19㎝)
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・代表者。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)、随筆集『湯気の向こうから』(私家版)ほか。












