11月号
連載 教えて 多田先生! 素粒子物理学者の宇宙物理学教室|〜第17回〜
質量を与えるメカニズム
自然界で最も大きな存在が宇宙、そして最も小さな存在が素粒子と
考えられている。素粒子を研究することで、宇宙のはじまり、人間の
存在を解明する︱― 日本の誇りをかけて、その最前線で日々研究に打ち込む素粒子物理学者・多田将先生。この連載で謎に包まれた宇宙について多田先生に教えていただきます。さあ、授業のはじまりです!
前回は、もともとひとつだった力が、宇宙の相転移にともなって別の力に分かれていったという話をしました。たとえば、電弱力とも言うべき力が、電磁力と弱い力に分かれていったように。分かれる前は同じ力だったのが、別の力となったのは、言い換えれば、両力の媒介粒子が、ある時期までは区別がつかなかったのに、その時期を境にまったく別の粒子として認識されるようになった、ということです。媒介粒子は、電磁力は光子、弱い力はウィークボゾンで、両者は質量からしてまるで違います。前者は質量がないのに対して、後者は巨大な質量を持ちます。相転移が起こったときにこの違いが生まれたということは、その瞬間に、ウィークボゾンにだけ質量を与えるような「なにか」が起こったことを意味します。今回はその「なにか」についてお話しします。
そもそも「質量とはなにか」と問われれば、みなさんならどう答えるでしょうか。質量には重力質量と慣性質量とがありますが、後者のほうであれば、それは「動きにくさ」の指標です。「重い(質量の大きな)ものほど動きにくい」を定量的に表わすものです。みなさんが中高生のころに習った運動方程式は、これを式で表わしたものです。「質量がないものが質量を獲得した」ということは、つまり、「それまで自由に動き回れていたものが、急に動きにくくなった」ということを意味しています。
このことを頭に入れてもらった上で、粒子が質量を獲得するための機構、ヒッグス機構というものを説明しましょう。この名前は、これを考え出した物理学者ピーター=ウェア=ヒッグスから採られています。この機構の要となるのはヒッグス粒子です。このヒッグス粒子がどのように働くのかを考えるために、次のようなたとえ話を挙げてみましょう。
ここに、パーティー会場を考えます。パーティー会場には、すでにゲストがいることとします。かんたんにするためにゲストは二人とします。一人は有名な芸能人とし、もう一人は僕としましょう。パーティーが始まる前は、この二人に差はありません。芸能人の方も、僕も、どちらも、自由に動き回って、料理を食べたり(パーティー前に食べるのもあれですが)、トイレに行ったり、好き勝手にできます。ここでは両者とも「質量がない」状態です。
そしてあるとき、会場に相転移が起きます。パーティーが始まるのです。するとなにが変わるのでしょうか。そう、お客さんたちが入ってきます。お客さんたちは、ゲストを見ると、芸能人の方のほうに群がり、次々に話しかけることでしょう。サインを求めたりもするでしょう。するとその芸能人の方は、お客さんたちの相手に追われ、自由に動き回れなくなります。食事をすることも、トイレに行くこともできなくなります。「動きにくくなった」、つまり、「質量を獲得した」のです。
一方、僕に話しかけるお客さんは誰もいませんから、僕はパーティーが始まろうが始まるまいが、同じように自由に動き回れます。つまり、「質量はないまま」です。
このときのお客さん、ゲスト(粒子)を選別して一方だけにまとわりついて「動きにくくする」、言い換えれば「質量を与える」ものが、ヒッグス粒子です。
まとめると、パーティーが始まる(相転移)前までは、芸能人の方(ウィークボゾン)と僕(光子)に区別がなかったのに、パーティーが始まると、お客さん(ヒッグス粒子)が芸能人の方だけに群がり「質量を与える」ことで、両者は「別もの」となった、ということです。パーティー会場(宇宙)にヒッグス粒子が現われる、つまりヒッグス粒子が誕生する瞬間が、この「弱い力と電磁力が分かれる相転移」の瞬間なのです。エネルギーとしてのみ存在した(正確にはヒッグス場として存在した)ヒッグスが、粒子として姿を現わしたために起こった相転移です。第14回の例で言うと、水蒸気が水滴になったとたんに我々に観測されるようなものです。
このヒッグス粒子は、永らく理論上のものでしたが、二〇一二年に、人類最大の加速器LHC(LargeHadronCollider)を用いた実験によって発見されました。ピーター=ヒッグスは翌二〇一三年にノーベル物理学賞を受賞しました。
このようないくつかの相転移によって、ひとつだった力から、まず重力が分かれ、次に強い力が分かれ、そして弱い力と電磁力が分かれたのです。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。