4月号
触媒のうた 14
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
わたしのペンネームは出石アカル。兵庫県北部の町、出石が好きというのが由来の一つだ。昨秋には長い間の念願だった出石城跡へ上がってきた。観光客のだれもが訪れる中腹の城跡ではなく、戦国時代の石垣が残っている有子山頂上の古い城跡である。聞きしに勝る急峻、しかも雨中の登山だったので少々難儀したが山上では晴れ間も出て、絶景だった。ほかに登山者はだれもおらず、聞こえるのは野鳥の声と木々を渡る風の音のみ。眼下には時が止まったような街並みがあった。
そんな話を宮翁さんにしていると、翁が昔を懐かしむように「出石には岡本久彦先生という人がおられましたが…」と。
ということで、今回は神戸に関するものから離れるが、翁が覚えておられたちょっといい話を紹介しましょう。これも書き残しておくに値するものだと思う。
岡本久彦先生はわたしの家内の出身校、出石高校の教師だった人。
「立派な人でね、世の中には無名でも素晴らしい人がいらっしゃるものだという見本のような人でした」
岡本先生は教師をしながら但馬の歴史の研究をしておられる人だった。著書に『但馬のやきもの―古代から現代まで』『但馬の史都・出石の歴史散歩』などがある。しかし、わたしは架蔵していない。こちらの図書館にもない。ネットで調べたが古書価格が高い。でも読みたい。で、家内の同窓生、奥村忠俊さんに借用をお願いした。
奥村さんは出石名物「出石そば」の店を営む人で、わたしは出石へ行くと時間が許せばその店「出石城」に立ち寄り、彼が打ったおいしい蕎麦を頂く。出石の蕎麦は軟弱ではない。田辺聖子さんは出石の情景がふんだんに出てくる小説『お気に入りの孤独』の中で次のように書いておられる。
―コシのある、しこしことした蕎麦は、すすりこむには手応えも存在感もありすぎて、簡単にいかない。(略)町は典雅でものやさしいが、この蕎麦は、たけだけしい。信州上田のお殿サンは、この味と別れることができなんだのであろう、と思うと微笑される。いかにも昔のサムライが好きそうなごつごつと飾り気のない、旨い蕎麦だと思った。―
そう、たしかに野性味のある蕎麦だ。
それを食べながら、わたしが行くと忙しいにも関わらずいつも客席に顔を出して下さる彼との会話を楽しむのを常としている。
彼は元出石町長。出石はその後、豊岡市と合併したので、出石町最後の町長さんだった。今は豊岡の市会議員さん。しかも出石高校の同窓会会長。この人なら持っておられるに違いないと思った。が、以前持っていたのだが探しても見つからないと。で、出石の図書館を当たって下さったが、「ボロボロのがあるだけで」ということで、岡本先生のご遺族から一冊だけ残ってるというのをお借りして下さった。申しわけなくありがたいことだ。
岡本先生は亡くなられて3年に満たない。こんなことだったらお元気な時に一度お目にかかっておくのだった。
翁の話。
「一度、作家の田辺聖子さんを岡本先生にお会わせしました。そしたらね、田辺さんがすっかり岡本さんのお人柄に感心されて、その時の話をたしか朝日新聞の随想に書かれたことがありました」
お借りした『出石の歴史散歩』の見返しに紙片が貼ってあり、それにはこう書かれている。
「出石は私の愛する美しい町である。この町のそぞろ歩きにたずさえるには、これはまことに好個の、たのしい歴史案内である。田辺聖子」
田辺さんの推薦文だ。ただし印刷物。
しかし残念ですね。この田辺さんの推薦文はどのような所に載ったものかは知らないが、本の帯文にしてもらえれば良かったのに。時期がずれていたのですね。
田辺さんには出石を舞台にした小説がある。先に掲げた恋愛小説『お気に入りの孤独』という本に入っている「かくしごとについて」という短編。
わたし、この機会にもう一度読んでみました。岡本先生の『出石の歴史散歩』と合わせて。すると見えて来ました。小説はなるほど聖子さんの創作だ。しかし舞台となっている出石の歴史案内は、この岡本先生の『出石の歴史散歩』に拠っているのがはっきり分かる。田辺さんはこの本を手に出石を取材されたのだ。
『出石の歴史散歩』は昭和58年発行。「かくしごと」は平成10年前後に書かれている。
さて、宮翁さんの岡本先生に関わる話はこれで終わりではない。日本の歴史学界にも影響を及ぼしたという取っておきの秘話は次号で。
つづく
※宝永三年(一七〇六)に藩主仙石政明が信州上田からのお国替えに際し、そば職人を伴って来たとの伝承あり。
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。