3月号

神戸ロータリークラブ創立100周年|神戸RCと共に歩んだ50年
RCの活動は他では得難い貴重な経験
1975年9月、竹馬準之助さん、瀧川清一さんの推薦で神戸RCに入会させていただき、今年で在籍50年を迎えました。東京、大阪に続き日本で3番目に誕生して100周年の神戸RCですから、その半分の時期を共に歩んできました。入会するとすぐに「グリークラブに入れ」と言われ、当時の県立神戸高校コーラス部を全国一に導いた名指導者の柳歳一先生から本格的な指導を受けながら練習しました。家族会の冒頭で毎回、その成果を披露し、拍手喝采を受けたのは懐かしい思い出です。
良きロータリアンの友情に支えられ、奉仕の精神を優しく、時に厳しく教えていただき、私の人生において他では得難い貴重な経験をさせていただきました。
「会長は二度目」気分で始まった1994-1995年度
50年間の神戸RC活動の中で、最も印象に残っている経験は1994年-1995年度創立70周年時の会長を務めたことです。その前々年度1992-1993年度、大白勝さんが3カ月の期間を残して最高裁判事に就任された際、副会長の私が残任期間の会長代理を務めた経験があり「会長は二度目」のような気分で、また有能なスタッフに支えられあまり苦労はなく務めておりました。RI会長はビル・ハントレー、「Be a friend(友達になろう)」と分かりやすいテーマでした。クラブ方針は「伝統と品格を重んじながら楽しい例会にする。他のクラブにメークアップする際は原則として途中退場しない」としました。若い会員を増強し、70周年記念事業に協力して記念誌の制作を進めました。またガバナーノミニーの松岡通夫会員を支援し協力するという方針を決めていました。
一転して、神戸RCで一番哀れな震災会長に
ところが、年末年始と徹夜続きで忙しい時間を過ごし、くたびれ果ててぐっすり眠っていた95年1月17日未明、激しい揺れで目を覚ましました。午前5時46分、阪神・淡路大震災発生。外に出てみると拝殿は地に這っています。
「うるはしき 唐破風持ちし拝殿は 地上に這いて獣の如し」こうして私は、神戸RC歴代会長の中でもおそらく一番哀れな震災会長となってしまいました。
水、電気、ガスが来ない、電話もFAXも使えない中で、とにかく会員の安否を調べなくてはならない。そんな時、ふと「19日は例会日だ」と気付き、「中止」の張り紙をしようとオリエンタルホテルへ行ってみると閉鎖され、中はめちゃくちゃで再開の目途も立っていないとのこと。事務局も例会場も無くなってしまいました。チャーターメンバーで103歳という神戸RC最高齢であり象徴的存在であられた竹田正治会員が震災により逝去されるという悲しい出来事にも遭遇しました。
会長として何とかしなくてはならない。会員の動静やライフラインが落ち着いてきた3月初め、私は生田神社会館の宮司室を事務局として開放する決断をし、4階大ホールで例会を再開しました。当時の計馬ガバナーが例会に来られ、「ロータリーをつぶしたらいかん。出席率にこだわらず、出て来られる人だけで情報交換するだけでいい。とにかく頑張ってください」と激励の言葉を頂きました。
全国各地、全世界RCからの支援、激励に感謝
非常にありがたかったのは、全国各地からの物心両面にわたる救援やお見舞いを頂いたことです。神戸に辿り着くまでに難行苦行をしながら救援物資を担いで届けてくださり、励ましをいただきました。さらに全世界のRCから義援金を寄せていただきました。95年12月3日、RIブラウン会長が阪神・淡路大震災による被害からの復興を視察のため来神し、世界から寄せられた義援金で造られた「ロータリー子どもの家」を評して「神戸の皆さんがいかに子どもに手を差しのべているか、世界のロータリアンに伝えましょう」という言葉を頂きました。
なんとしても守り抜く!神戸RC「四つの宝」
神戸RCには「国際ロータリー認証状」「ポール・ハリスが佩用していた襟章」「絵画ポール・ハリスの生家」「ポール・ハリス来神の写真」という「四つの宝」があり、代々会長の手で引き継がれてきました。震災時もオリエンタルホテル9階の事務局に保管されていました。私が会長の代で失ったとなっては大変です。幹事、事務局員と協力し決死の覚悟で、段ボール30箱の貴重な資料類と共に搬出したのは忘れられない思い出です。「四つの宝」を無事に次期会長に引き継ぎ、波乱万丈の会長任期を終了することができました。退任後も引き続き、倒壊した生田神社社殿復興の職業奉仕の傍ら、震災のお見舞いに会長、幹事自ら訪ねて激励して下さった全国RCへのお礼行脚に幹事と共に東奔西走しました。
心に深く刻まれている言葉「超我の精神」
2006-2007年度、私はRI第2680地区のガバナーを務めました。摂津・播磨・丹波・但馬・淡路地区74クラブ(当時)の公式訪問を終え、07年3月、神戸ポートピアホテルで地区大会を開催しました。特別講演を星野仙一氏に「率先しよう」をテーマに依頼し、懇親会では雅楽の演奏や京都・祇園の「手打ち式」、「ジャズと日本人の心」など神戸らしいプログラムを実施しました。震災から12年が経過し立ち直った神戸を見ていただけたと思います。私の人生で最も心に残る大会となりました。
RIは世界における親善と平和の確立に寄与することを目指した事業および専門の職務に携わる指導者が世界的に結び合った団体です。シカゴ郊外のマウントホープ墓地を訪ねると、創始者ポール・ハリスの墓標にはRI第一標語「Service Above Self(超我の奉仕)」が刻まれています。日本のRCの父といわれる米山梅吉のお墓を訪ねると、墓標に「いさかひも なき漫々の 青田かな」と刻まれています。いずれも私の心に深く刻まれている言葉です。

ガバナー経験者には毎年バッジが送られる

姉妹クラブに贈呈した加藤パストガバナーの書

1994年/95年度の会長を務めた