1月号
6通のブルックリンからの手紙|大江千里|
1通目|食べ物や日常生活、 身の回りのこと
みなさん、今回から6回連載させてもらいます。よろしくお願いします。
僕がエッセイの真似事のような文を初めて書いたのが『神戸っ子』でした。今から42年ほど前。鉛筆を舐め舐め消しゴムで消しつつ何度も推敲した文章が、初めて雑誌の誌面に掲載されたあの喜びを今もしっかり覚えています。
僕はデイープサウス(南大阪)生まれ育ちで、関西学院大学通学時も南海高野線、御堂筋線、そして阪急線を乗り継いで西宮へ通っていました。
母が神戸出身で、「私は根っから神戸っ子。いつか神戸に帰りたい」と毎日言ってたのを耳にタコができるほど聞いて育ったので「神戸はいいところ」とずっと憧れの目線で見つめてました。
1月にもソロで兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、トリオでルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホールでライブをやります。学生の時、軽音学部の定期演奏会でルナホールに出演し、勢い余って飲み物をピアノにこぼしてしまい、部の総会で問題になったことがあります。今も帰るとその時の苦い思い出がよぎります。
僕は23歳、関学4回生でエピックソニーからシンガーソングライターとしてデビューし、47歳でジャズピアニストになるべくニューヨークに渡りました。
2つ目の大学はジャズ専門音楽大学『ニュースクール』。僕の選考はジャズピアノ。関学軽音時代、ジャズ高ロック低な気風の部で、ジャズオーケストラの練習をする管楽器の仲間を羨ましい目で見守ったものです。ジャズの勉強も始めたものの、ちんぷんかんぷん。挫折に挫折を重ね、シンガーソングライターとしてまさか歌って自分がデビューするとは。今思うと僕を拾ってくれたプロデューサー、事務所社長、マネージャー、経理の女性、そして関西のライブハウス時代に、1人また1人と集まって応援してくれたあの頃のお客さんがいてくれたおかげです。
2012年ジャズ大学を卒業しジャズピアニストになり、ブルックリン地区で相変わらず毎日練習をし、作曲をし、次のアルバム『実際には存在しない映画のサントラジャズ』という目標に向かい、日夜頑張ってます。
ブルックリンに日本の食材屋さんは少なく、あってもインフレで買えないので、近所のメキシコ、中国系の店の食材で自炊をしてます。日本へ帰国したときに食べる食事とは比べ物になりませんが、限られた食材で知恵を絞って作る料理には楽しさもあります。日本食ってこうだったよな、そんな想像力をふんだんに使って「近い料理」が生まれると心から安心し笑みが溢れます。
6回の連載は、時空を超えて神戸とブルックリンを繋ぎ、蔵出しの貴重なエピソードを綴りたいです。今思えばずっと旅をしてます。大阪から西宮、東京、ニューヨークのマンハッタンからブルックリン。「一生ニューヨークにいるのですか?」と尋ねられると答えに窮するのですが、毎日が1回きりの旅だという感覚です。
コーヒーを淹れ啜りストレッチし朝ごはんを作る。ピアノを弾いていると、10代の頃から変わらないボロボロのハノンのフレーズに、ポップス時代に作った自分のフレーズを発見してニヤリ。3歳からピアノと一緒に旅をする僕のエッセイ、楽しみにしててください。
大江 千里
大江千里 profile
1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。2008年、ジャズピアニストを目指し渡米、THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。2012年、自身のレーベル「PND Records」を設立しデビュー。現在、アメリカ、南米、ヨーロッパでライブを行なっている。NYブルックリン在住。