2025年
1月号

⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.50 映画監督 小泉 堯史さん

カテゴリ:, 文化・芸術・音楽

新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第50回は、正月の話題作として24日に封切られる時代劇大作『雪の花 ―ともに在りて―』を撮った日本映画界の重鎮、小泉堯史監督の登場です。

文・戸津井 康之
撮影・服部プロセス

「無私の精神」を活写する重鎮監督…
歴史上の〝会いたい人〟を映画で描く

歴史上の人物との
出会いを求め

「新作の題材を決める基準ですか?テーマやジャンルで選ぶのではなく、その人に会ってみたいかどうか。歴史上の人物など自分が〝会いたい人〟を映画で描きたい。これまでも、そう決めてきました」
5年ぶりにメガホンを取った小泉監督は熱意を込めてこう語る。
映画監督になって以来、敬意、そして憧れを抱く歴史上の人物たちの生きざまを撮り続けてきた。
映画『明日への遺言』(2008年)では、第二次世界大戦後、軍事法廷を〝法戦〟と呼び、米国の無差別爆撃の違法性を主張。部下の命を守るため「自分一人を死刑にせよ」と戦った陸軍の岡田資中将を描き、また『峠 最後のサムライ』(2022年)では、幕末の戊辰戦争で日本が東・西軍に二分される中、民衆を守るために中立を貫こうと命を懸けた長岡藩家老、河合継之助の生涯を描きあげた。
いずれも、小泉監督が敬意を表す「己を無に帰し、事に当たった歴史上の人物たち」である。
そして最新作『雪の花 ―ともに在りて―』の主人公は江戸時代末期に実在した無名の町医者、笠原良策だ。
《福井藩の医師、笠原(松坂桃李)は、(天然痘)が蔓延し、多くの子供たちの命が奪われていく事態を憂い、京都の漢方医、日野(役所広司)の元を訪れ教えを請い、種痘という予防接種の方法を知る。藩や幕府、他の医師たちの妨害に抗いながら、笠原は種痘を広めるために妻、千穂(芳根京子)の助けを得て、私財を投げ打って研究を進める…》
小泉監督が笠原に惹かれた理由は、自分の名誉も家族も報酬も財産も顧みず、ただひたすら人の命を救うことに命を懸けた…その「無私の精神」だと言う。
小泉監督が「昔からの愛読書です」という小林秀雄が書いた『無私の精神』について教えてくれた。
その中で「有能な実行家」の条件について小林はこう書いている。
《現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や意識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である》
小泉監督は「己を捨てて誠実に働く笠原良策の姿は、永遠に価値ある歴史を生み、現在に生きる私たちの心に、強く働きかけてくれる…」と映画化を決意。この無私の精神こそ「今の時代に描くべき」と〝笠原との出会い〟をフィルムに焼き付けていく。

映画を撮る理由

小泉監督はこうも語る。
「今や品位を敢えて失わせようとする文化が、消費と手を結び、勝手気ままにふるまっています。それによって破壊されるのは道義的な美しさです」
25年前の監督デビュー作「雨あがる」で清貧の武士、三沢伊兵衛を描いて以来、小泉監督が一貫して映画で世に問うてきたのは、この、道義を重んじる〝人間の美しい在り方〟だった。
今から半世紀以上遡る1970年。小泉監督は26歳のときに黒澤明監督に師事する。
きっかけは黒澤監督の映画『赤ひげ』(1965年)だった。「その映像美に惹かれ、何度も手紙を書き、会いに行きました」とふだんは物静かな小泉監督が当時を思い出しながら熱く語る。いかに黒澤監督に魅了されたかが想像できる。
『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)、『夢』(1890年)、『八月の狂騒曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)で黒澤監督の助監督を務めた。
「まず、黒澤監督は、わら半紙を半分に切って脚本を書き始めます。その原稿を200字詰めの原稿用紙に清書していくのが私の役目でした。黒澤監督が書きあげたばかりの脚本を一番最初に読むことができるのですから。それは、もう光栄でうれしかったですよ」
脚本を清書する際、黒澤監督にはよくこう言われたとも。
「原稿用紙が破れるぐらいの強い筆圧で書け!」と。
〝命を削りながら脚本に魂を入れて書く〟という作業を惜しまなかった黒澤イズムを間近で叩き込まれたのが小泉監督だった。
2000年、黒澤監督の遺稿となった『雨あがる』の未完成の脚本を小泉監督が最後まで仕上げ、そして初監督を務めた。
「黒澤監督が亡くなったとき。本当は、もう映画の仕事を辞めようと思っていたんですよ」と小泉監督は打ち明けた。
「あなたに撮ってほしい。そう黒澤久雄さん(黒澤監督の長男)から頼まれて…」と振り返る。56歳での監督デビューだった。
28年の間、黒澤監督に師事してきた小泉監督の人生を振り返るとき。
その根底には〝無私の精神〟があったことが分かる。

師からの継承

『雪の花―』の撮影カメラマンは上田正治。美術は酒井賢。助監督をしていた小泉監督とともに黒澤組を支えた盟友で、『明日への遺言』など幾多の小泉作品を支えてきた、小泉監督が最も信頼を寄せる小泉組常連である。
デジタル全盛時代、あえてフィルムにこだわるのも〝黒澤組のDNA〟といえるだろう。
「35ミリフィルムを使い、現場では2台のカメラを回しています」と複数台のカメラを駆使する〝黒澤イズム〟も継承している。
デジタル撮影に慣れてきた若い世代の俳優、松坂や芳根たちは「撮り直しの効かないフィルム撮影は緊張します」と明かしているが、小泉監督は、「リハーサルを繰り返した後、この一発撮りの緊張感がいい演技を引き出せるのです」とその理由を語る。
ロケハンにこだわるのも黒澤イズムの継承。日本の四季や雪山の大風吹のシーンなど、セットでは出せない臨場感に満ちている。
劇伴(劇中の音楽)への徹底したこだわりも黒澤譲りだ。劇伴は、『阿弥陀堂だより』や『明日への遺言』、前作の『峠 最後のサムライ』などを手掛けた小泉組常連の音楽家、加古隆。
「今回はチェロとアルト・フルート、ピアノを使った楽曲を依頼しました」と言う小泉監督の期待に応え、加古の楽曲が奏でる静かで、かつ荘厳な調べが重厚な映像に寄り添う。
また、タイトルバックで映し出される力強い『雪の花』の題字は、黒澤映画『乱』などの題字で知られる書家、今井凌雪の弟子、星弘道が揮毫している。
『赤ひげ』を見て衝撃を受け、黒澤組に入った小泉監督。この『赤ひげ』の主人公を演じたのは黒澤の盟友、三船敏郎だった。人の命を救うため、無私の精神で己の命を削る名も無き医師、新出去定―を三船が熱演した。
その55年後の2025年…。
私財を投げ打ち、多くの命を救った無私の精神の魂を持つ医師、笠原良策―を実力派の松坂桃李が演じ、黒澤の愛弟子がメガホンを執った映画が、今年公開される。
黒澤監督から小泉監督へ…。
日本人が忘れてはならない〝無私の精神〟を師弟が映画で次代へと繋いでいく。それは師弟に託された宿命のようでもある。
そう向けると、小泉監督は「言われてみればそうですね。でも、とくに『赤ひげ』を意識して撮ってはいませんよ」と柔和な笑みを浮かべて謙虚に否定された。
現在80歳。だが、長身で堂々とした体格も、まるで師匠譲りで衰えを見せない。
「幸いなことに、とくに病気もなく身体は健康です。撮れる限り、映画を撮りたいと思っていますよ。歴史上には〝会いたい人〟がまだまだいますからね」
前作『峠―』は2020年の公開予定が、コロナ禍、3度の延期の末、当初の予定から1年9カ月遅れで2022年に公開された。
「公開されるまでは、次の作品の準備には入れない」と律儀な小泉監督は〝時〟を待った。満を持して完成した新作がついに公開される。

小泉 堯史

1944年生まれ。茨城県水戸市出身。70年に黒澤プロダクションに参加し黒澤明監督に師事。黒澤監督の遺作脚本『雨あがる』(00)にて監督デビュー。この作品で第56回ヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞、および第24回日本アカデミー賞において最優秀作品賞をはじめとする8部門で最優秀賞を受賞する。その後、『阿弥陀堂だより』(02)、『博士の愛した数式』(06)、『明日への遺言』(08)、『蜩ノ記』(14)、『峠 最後のサムライ』(22)を監督。また『散り椿』(18/木村大作監督)では脚本を務めた。日本アカデミー賞では優秀監督賞を4度、優秀脚本賞を2度受賞しているほか、平成26年度芸術選奨文化科学大臣賞、第39回報知映画賞監督賞など数々の賞を受賞している。

『雪の花 ―ともに在りて―』
■監督:小泉堯史
■脚本:齋藤雄仁 小泉堯史
■音楽:加古 隆
■原作:吉村昭「雪の花」(新潮文庫刊)
■出演:松坂桃李 芳根京子
三浦貴大 宇野祥平 沖原一生 坂東龍汰 三木理紗子 新井美羽
串田和美 矢島健一 渡辺哲/益岡徹
山本學 吉岡秀隆/役所広司
■配給:松竹
©2025 映画「雪の花」製作委員会
2025年1月24日(金)全国公開

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