2024年
11月号
子供の頃から足が速かったものですから、中・高・大の10年間短距離走者として練習に明け暮れておりました。中学時代は全日本三位、高校時代には近畿大会優勝、大学時代にはオリンピックを目指しておりましたが夢破れました。証券業界では営業一筋に歩んで来ましたが、社長就任以降は運用力強化に日夜取り組んでおります。

未来を駆ける神戸の新風 VOL.16|神戸唯一の独立系証券会社 改めて問う、投資の本質とは

カテゴリ:神戸, 経済人

投資ブームである。新NISA導入や株高を受けて注目を集めているが、一方で、SNS詐欺被害が急増するなど負の側面も目立っている。
 そんな中、20年以上前から正しい金融教育の必要性を説き、投資の本質に徹底的に向き合っている地場証券会社が神戸にあった。中央区に本社を持つ「光証券」だ。設立は1948年という老舗証券会社で、現在は神戸で唯一の独立系証券会社だ。
 今回は、代表取締役社長・森中寛氏に会社としての取組みと、昨今の金融経済を取り巻く環境について話を伺った。

※本稿は、投資を推奨するものではありません。金融商品のご購入に際しましては、ご自身の判断と責任においておこなってください

地場証券としてお客様の近くにいる存在でありたい

御社は、神戸唯一の地場証券会社として「独立独歩」という言葉を掲げておられますが、その想いをお聞かせ下さい。
独立独歩と強調しますのはなぜかと申しますと、証券投資の世界において、独立しているということが、極めて大切なことだからなんです。どういうことかと申しますと、投資戦略には、「買い」、「売り」、「見送り」という3つの選択肢があるわけですが、この決断をする時に、親会社があったりして、お伺いを立てないといけない立場だと、瞬時に動けない可能性がありますよね?そうではない、独自の判断ができるということがベースで必要だと、私共は考えています。

貿易で栄えた神戸には1967年まで証券取引所があったそうですが、廃止後も御社は神戸に残り続けられていますね。
かつては神戸の地場証券会社が38社ほどあった時代もあったそうです。しかし、ほとんどの証券会社が統廃合、廃業されていきました。
神戸証券取引所が閉鎖後、私共も、大阪取引所で商いはしていましたが、大阪支店は作りませんでした。むしろ、特に神戸から西、兵庫県内のお客様を大事にしていこうとの方針で経営を続けてきました。

独立独歩の投資戦略、地域の顧客を大事にしてきた、この2点が唯一の地場証券会社として残られている要因なんですね。
やっぱり、お客様の近いところにいることを大切にしたいと思っています。

ウォールストリートの迫力に魅了され、金融の世界へ

社長ご自身は、どのような経歴でこの世界に入られたのでしょうか?
実は、光証券は、私が大学生の時に、当時の所有者から父が買収した会社です。なので、元々は全く知らない世界なんですよ。
それまで父はダイヤモンドの加工販売をやっていたんですが、当時、ソ連が人工ダイヤを開発したという話を聞き、「これからの時代は株や!」と転身。
私は、父の仕事を見て育っていたので、ダイヤモンドの仕事をするつもりでいました。

そこから金融の世界に入った理由は何だったのでしょうか?
完全に嵌められました(笑)
ダイヤモンドを扱うには、結局、目利きが必要です。そのための学校があるんですよ。ニューヨークにある世界的な宝石の教育機関であるGIAです。そこに行きたいと父に告げたところ、「お前ニューヨークに行ってどうやって生活するんだ?」と言い出しまして。「俺に考えがある」と、当時、関係が深かった岡三証券に口を利くから給料をもらいながら勉強しろということで、一旦は就職し、1983年にニューヨークの現地法人に赴任しました。
しかし、誤算がありました。GIAには昼間のコースしかなく、夜間がなかったのです。社長に「ダイヤモンドの勉強をしに来たので証券の仕事はしません」と伝えましたが、「せっかく来たんだから3カ月だけ証券の世界を見てみろ」と諭されました。
そこで見たウォールストリートの迫力や熱気に、ダイヤモンドの世界よりダイナミックで面白いと魅了されましてね。そこから証券人生が始まりました。
そして、岡三証券で証券取引の基礎を修得し、営業を経験した後、1986年に光証券に入社しました。

それから、バブル崩壊など厳しい時代になりましたね。
私共は、一般個人の方の資産をお預かりする売買委託取引、リテールを得意としてきましたが、1996年に東京証券取引所の正会員に入会したことをきっかけに、自己資本で株式を売買するディーリング業務に特化した部門を東京に開設しました。
この部署の成績が良く、バルブ崩壊や阪神・淡路大震災で落ち込んでいた業績をカバーして余りある業績を上げていました。
私が社長に就任したのは2003年ですが、その3年後には、過去最高の経常利益34億円を計上します。しかし転機は、日本取引所グループが2010年に導入した新売買システムでした。注文処理の速度が、1000分の1秒単位。これがきっかけに、腕利きのディーラーたちが勝てなくなったのです。そこで、2018年に苦渋の決断でディーリング部門を閉鎖しました。

その後、リテールの原点回帰や、コロナ禍ではモバイル端末を使った接客方式の導入など、時代に合わせた経営をされていますが、経営上で大事にされていることは何でしょうか?
金融の世界は信用の世界です。要するにお客様から如何にご信頼いただくかということに尽きると思います。「森中が言うんだったら信じるわ」と、言ってもらうしかないわけです。そのために、できることを一生懸命やるだけです。

投資は「不労所得」ではなく、「不“老”所得」

最近では、金融教育の義務化や金融経済教育推進機構の設立など、金融業界を取り巻く環境が変化しています。これをどのようにご覧になられていますか?
ようやく一歩進んだな、という印象です。私も、過去20年くらい教育の必要性について唱え続けてきました。
株式会社って何なのか?投資って何なのか?という基本的なことを学んでいないので、いま問題になっているSNSを使った投資詐欺に引っかかるなど色んな問題にぶつかっていると思います。なので、義務教育のうちにしっかりとお金の勉強をすることが大事だと思っているんです。そうすると日本人はもっと裕福になりますよ。
資金が増えると選択肢が増えるんですよ。そのあたりを若い人に早く分かって欲しいと思います。

これまで日本は、「株は不労所得」と、ネガティブな印象を持たれていましたが、これから徐々に変わってくるのかな、と思います。
私は「不労所得」ではなく、「不“老”所得」という言葉に変えたいと思っています。皆さんがリタイアされて所得が無くなっても、良い企業を見つけて投資すれば、その投資先がずっと稼いでくれる……、本来投資はそういう事なんです。
これから高齢者がどんどん増える時代になりますが、高齢者でも、お金があったら行きたいとこへ行けるし、食べたいものも食べられるし、色んなことができますよね? そういう社会を目指したい、そのお手伝いができればと思って、一生懸命地元でやっています。

本社1階にあるチャージング・ブル像。マンハッタン・ウォール街近くにある雄牛の銅像でウォール・ストリートの象徴でもある


子供の頃から足が速かったものですから、中・高・大の10年間短距離走者として練習に明け暮れておりました。中学時代は全日本三位、高校時代には近畿大会優勝、大学時代にはオリンピックを目指しておりましたが夢破れました。証券業界では営業一筋に歩んで来ましたが、社長就任以降は運用力強化に日夜取り組んでおります。

光証券株式会社
代表取締役社長
森中もりなか ひろしさん

光証券株式会社

神戸市中央区加納町3丁目4-2
TEL:078-391-2305(代)
営業時間:8:30~17:00
https://www.hikarishoken.com/

〈プロフィール〉
蔭岡翔(かげおか しょう)

放送作家・脚本家
神戸市東灘区在住。関西の情報番組や経済番組などを企画・構成。日本放送作家協会関西支部監事。日本脚本家連盟関西地区総代

〈取材を終えて〉

新NISAの開始、日経平均最高値更新、令和のブラックマンデーなど株式相場の世界が大きな関心を集めた今年。書店に行けば、たくさんの投資の本や経済に関する本を目にするようになった。そんな注目を集める今が、改めて金融について学ぶ良い機会になるのではないかと感じた。
そして一人一人の金融リテラシーの向上が、2024年1〜6月で被害額500億円超と言われる「SNS型投資詐欺」の撲滅にも繋がるのではないかと思う。

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