2024年
11月号
河合隼雄さんと(2000年)

神戸で始まって 神戸で終る 53

カテゴリ:文化人, 現代美術

複数人間とは

先月『自分とのコラボレーション』に登場した“複数人間”。
横尾さんの中にいる“たくさんの小さい自分”とは
どういうことか、一歩踏み込んで聞いてみました。

以前、ユング派の心理学者、河合隼雄先生と公開対談をしたことがあります。その時、先生が「人間は元々、複数の性格をもっています。だけど、そうじゃなく、単一な性格の人もいます」とおっしゃったことがありました。
複数というのは多重人格という意味ではありません。
多重人格は一種の神経症で、トラウマなどが原因で一人の人間の中に全く別の人格が複数存在します。外見は同一人物ですが、全く別の人格をもってしまう。性格や言葉遣い、筆跡も全く別人のように異なり、性格の多面性とは別のものです。
ここで僕が言おうとしている複数人間は、別に病的なものではありません。
本誌編集部の田中さんが「ひとりの人間が違うものの見方ができる、別の視点をもつ自分が複数いるということ?」と話していますが、ハイ、その通りです。それを僕は、小さい複数の私と呼んでいるのです。
人間は元々、矛盾をはらんでいます。昨日の自分と今日の自分が違っている。そんな存在ではないでしょうか。また、それでいいと思います。
でも中には、大変真面目な人で、カタマッタ考え方から一歩も抜け出せないような頑固な人もいますね。そういう人は、もしかしたら単一の人格の方かもしれませんね。白黒はっきりつけて、ゆるぎない信念の持ち主です。
こういう人はこういう人で尊敬の対象になっているかもしれませんが、僕が評価する人は、物事の良し悪しの分別をつける人ではなく、むしろ無分別な、まあ言ってみれば、自由な精神の持ち主で、言葉は悪いですが、何でもありの人、いい意味の優柔不断、どちらだっていいとする人、大阪人的ラテン的人間です。要するに物事を決めつけない人です。
ところが、学校教育が介在すると、妙な道徳性を植え付けてしまって、窮屈で偏った固定化した人間に教育しかねません。このような教育によって、気が付いたら自然に、堅苦しい人間に作られてしまいます。
元々子どもは自由な存在ですが、学校教育の制度の中で、思うような生き方のできない子どもに仕立て上げられた結果、いわゆる単一の、非複数人間になるのではないでしょうか。
私の中の複数人間というのは、なんでもありの環境に対応できる人格。それを僕は複数化された小さい自分と呼んでいるのです。何度も繰り返しますが、出たとこ勝負的に生きることのできる性格といえばいいでしょうか。
強固な思想で塗り込めてしまった人は、その思想に反した対象は受け入れられないかもしれません。僕の創作を種明かししますと、何でもありです。好きなものも嫌いなものも、同時に画面に持ち込んで、ひとつの画面の中で複数の表現として持ち込みます。日常生活もこの創作態度に似ているかもしれません。僕が運命に従った生き方をしてきたというのは、こういうことだったのです。なるべく限定しない、限界をつくらない生き方をしたいと思うのです。
恨んだり苦しんだりする生き方を求める人はいませんが、気がついたらそんな生き方をしてしまっているという部分もあるように思います。
なんでもありの複数人間に対して、自分にはそんなものはいないと線を引いてしまう人もいるだろうと田中さんは話していますが、そういう人は人生に自ら限界を作ってしまっている人です。この宇宙には、限界など最初から存在していません。その人が自分で線を引いて限界を作ってしまったのです。
とにかく型にはめないと生きにくいという人がいます。その、はめた型の中で行動する。まあ、それも悪くはないでしょうが、型からはみ出すことを自らがブロックしているので、そこからはみ出すのが怖いんだと思います。意外と、こういう人は結構多いのではないのでしょうか。
話を最初に戻しますが、河合隼雄先生がおっしゃったように、人間は元々複数的存在なのです。それをそうじゃないと決めつけるのはその人自身なのです。
ある有名な、僕のかつての知人は、フランス料理しか食べないという人で、同じ嗜好の仲間で、フランス料理を食べる会なんて作っていました。その1人と海外に旅行した時、皆と同じテーブルにつきながら、この人は共通の料理に手をつけずにコーヒーだけを飲んでいました。この人は極端ですが、あなたの周囲にもこのような頑固な人はいませんか。こういう不自由な生き方をする人には、同じような人が集まって、変な組織を作っていたりします。
上手く伝わったかどうか余り自信はありませんが、僕は別にこの道の専門家ではありませんので、河合先生が生きておられたら、もっと専門的で高度なお話が聞けたかと思います。大変残念です。

河合隼雄さんと(2000年)

自画像の塔
2001年

「レクイエム 猫と肖像と一人の画家」ポスター・筆者作、写真・篠山紀信

撮影:横浪 修

美術家 横尾 忠則

1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。

『レクイエム 猫と肖像と一人の画家』 2024年9月14日(土)~12月15日(日)
横尾忠則現代美術館(神戸市灘区)にて。

横尾忠則現代美術館

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