6月号
近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトを学ぶ|Chapter 1 ライトのあゆみ|平尾工務店
平尾工務店がお届けする「オーガニックハウス」の基本的な理念や意匠を編み出した世界的建築家、フランク・ロイド・ライトについて、キーワードごとに綴っていきます。
初回となる今回はプロローグとして、フランク・ロイド・ライトの足跡をご紹介しましょう。
ライトはアメリカ・ウィスコンシン州で、日本で大政奉還があった1867年に生誕。母のアンナはお腹に宿していた時から彼を建築家にすると決めていたとか。思春期は叔父の農場で働き、大自然の中で過ごします。
17歳の時にウィスコンシン大学マディソン校で土木を学びますが半年ほどで中退、シカゴに移って本格的に建築家を目指し、ジョセフ・ライマン・シルスビーの事務所に勤めます。程なくアドラー&サリヴァン事務所へ移り、恩師ルイス・サリヴァンのもとで腕を磨きました。
1896年に26歳で独立。ウィンズロー邸など個人宅を多く手がけ、大地と一体化するようなプレイリー・スタイルを確立してその名を知らしめます。また、日本にも興味を持ち、1905年に初来日。浮世絵のコレクターやバイヤーとしても活動し、帰国後はシカゴ美術館で広重展をプロデュースしました。平尾工務店三田モデルハウスのモデルとなったメイハウスはこの頃の作品です。
ところが…1909年、施主の妻とダブル不倫の末駆け落ち。大西洋を渡ったライトはドイツの出版社から作品集を出しヨーロッパで名を売るとともに、浮世絵の売買で経済的な苦境をしのぎます。ほかにも使用人による殺人放火事件や再婚の末の不倫など、スキャンダル続きだった40~50代はアメリカでの仕事が激減。かわって帝国ホテルやヨドコウ迎賓館など日本で名建築を生み出しました。
還暦を過ぎ、巨星はアメリカで再び輝きます。1932年には建築家育成学校、タリアセン・フェローシップを開校。1937年には落水荘で世界をアッと言わせます。また、大衆向けの理想的な住宅をコンセプトとするユーソニアンハウスや、自然との融合を目指す有機的建築という独自の哲学を提唱。その後もグッゲンハイム美術館などの名作を手がけ、1959年に91歳で亡くなるまで類い稀なる手腕を発揮しました。
FRANK LLOYD WRIGHT
フランク・ロイド・ライト
1867年にアメリカで生まれたフランク・ロイド・ライトは、91歳で亡くなるまでの約70年間、精力的に数々の建築を手がけてきました。日本における彼の作品としては、帝国ホテルやヨドコウ迎賓館、自由学園明日館が有名です。彼が設計した住宅のすばらしさは、建築後100年経っても人が住み続けていることからわかります。
これは、彼が生涯をかけて唱え続けてきた「有機的建築」が、長年を経ても色褪せないことの証明でしょう。フランク・ロイド・ライトが提唱する「有機的建築」は、無機質になりがちな現代において、より人間的な豊かさを提供してくれる建築思想なのです。