1月号
有馬温泉歴史人物帖 ~其の参拾四~
吉田初右衛門(よしだ はつえもん) 1607?~1651
徳川幕府転覆を謀るも敗れた由井正雪の乱を描いた名作講談『慶安太平記』。その一連の物語の中でも面白いのが怪僧・伝達の逸話で、七代目立川談志もこの部分を選り抜き落語に仕立てています。そのあらすじは…おっと!ネタバレが嫌な方は先にYouTubeで神田阿久鯉・伯山両先生の『宇津ノ谷峠』『箱根の惨劇』をご覧になってから以下をお目汚しください。
江戸の増上寺から京の知恩院へ2千両を届けに向かう伝達に甚兵衛というアヤシイ男がつきまとい同行。甚兵衛は子分と東海道の難所、宇津ノ谷峠で紀州藩の御用金3千両を強奪、見ていただけの伝達も一緒に吉田宿=豊橋まで逃亡。が、捜査網が迫り、甚兵衛は宿場に放火して盗んだ金から2百両を伝達に渡しサイナラ。伝達は京で役目を果たしその帰路、三島で酒や魚をたらふく喰らっていると3人の男が。コイツら実は強盗で、箱根へ先回りして2百両目当てに伝達を襲うが返り討ち!怪力で潰し殺され、亡骸の懐から金まで奪われてしまう。この坊主とは思えぬ所業を見て驚いた正雪がスカウト、これを受け伝達は還俗し吉田初右衛門と改名、やがてチーム正雪の大将となった…なんて話、きっと嘘よねー。
この伝達こと吉田初右衛門、大坂の陣を描いた上方講談『難波戦記』の一節『般若寺の焼き討ち』で家康を追いかける豊臣方の武将、薄田隼人の息子という説もございます。その隼人は、前回ご案内した小早川隆景の剣術指南役の息子という説も。嘘まみれ、説まみれの講談にまみれた初右衛門ですから実在したのかすら疑わしいですが、実はいくつかの文書に正雪の郎党の一人として出てきます。
例えば浜松歌国の雑記『摂陽奇観』には、慶安4年の「七月廿五日、吉田初右衛門召捕、由井正雪徒党人、大坂の大将也、有馬旅宿尼崎屋三郎兵衛方にて、長谷川半兵衛に召捕ルヽ」とございます。似たような内容が複数の文書にございますので、これは事実みたい。謀略が密告により露見し潜伏していた正雪の仲間は捕らえられたのですが、初右衛門の捕縛現場は有馬温泉だったんですね。
で、講談ではどうなっているの?三代目玉田玉秀斎の講談本『立川文庫』では、大坂に潜んだ初右衛門は暑気で体調を崩し有馬で湯治していたが、追っ手が現れたので同行していた家来の長谷川半十郎に自分を縛らせて役人に突き出させた。半十郎はその功で命を助けられて褒美まで得たが心は重く、出家して処刑された初右衛門の菩提を弔った…そうです。虚構なのか?事実なのか?このへんのあやふやさも講談の魅力でございます。

※イラストの肖像は想像です












