12月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.61 ■ 女優 鈴木 京香さん ■ 俳優 松谷 鷹也さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第61回は、2年前、28歳で早世した元阪神タイガースのスラッガー、横田慎太郎と彼の闘病生活を支えた家族や仲間たちの葛藤の日々を描いた映画『栄光のバックホーム』で母子役で共演した女優、鈴木京香と新人俳優、松谷鷹也。二人のキャスティング秘話も、まるで映画のように感動的な〝奇跡の物語〟だった。
文・戸津井 康之
撮影・黒川 勇人
甲子園のマウンドでの祈り…〝母子〟の奇跡の物語は永遠に…
天国へと連携されたボール
今年9月26日。鈴木と松谷の二人は、阪神甲子園球場のマウンドに立っていた。
横田慎太郎が現役時代に使っていた背番号〝24〟と〝SHINTARO〟の文字が刻まれたグラブは松谷の右手にはめられていた。
試合開始前のファーストピッチのセレモニー。鈴木からボールを受け取った松谷は力強い速球でストライクを決めると、ホームベースを背にし、しばらく甲子園の夜空を見つめていた。笑顔で松谷に駆け寄った鈴木もその横で両腕を空へ捧げるようにしながら拍手する姿が印象的だった。
二人に確認したかった。
何をしていたのですか?
「私がマウンドへボールを運んで行ったとき。(松谷)鷹也君が天国にいる慎太郎さんに話しかけているように見えたんです」と鈴木は答えた。
あの瞬間。確かに鈴木からボールを託された松谷は投げる直前、胸にグラブを抱え、天に向かって祈っているように見えた。
「慎太郎さん、一緒に投げよう」
そんな祈りだったと松谷が教えてくれた。
ノーバウンドでストライクを取った後、ほっとしたように天を仰ぎ見る松谷のそばに、そっと寄り添う鈴木。
「今、慎太郎さんと甲子園球場のマウンドに一緒に立っていますよ」
そう伝えた松谷も、慎太郎と同じくかつて甲子園を目指した高校球児だった。
慎太郎と鷹也へ―。鈴木の拍手は〝二人の息子〟へ贈る〝母〟からの拍手のように見えた。
《遡ること6年前のこの日。阪神鳴尾浜球場で行われたウエスタン・リーグの引退試合に慎太郎は出場していた。もう正確にボールが見えなくなった眼で…》
取材は、このファースト・ピッチが行われた翌日、大阪市内で行われた。
鈴木と松谷、二人の心の奥には今も慎太郎が元気なころのままの姿で現れ、脳裏には彼の笑顔が鮮明に蘇っているに違いない。取材中、何度もそう感じた。
慎太郎のことを話す二人の瞳には涙がにじんでいた。
〝奇跡のバックホーム〟が生んだ映画化
《2013年、鹿児島実業高校3年の横田慎太郎(松谷鷹也)はドラフト2位指名を受け阪神タイガースに入団する。〝大器のスラッガー〟としての期待を背負っての入団3年目。開幕戦一軍のスタメン選手に選ばれ、初ヒットを放つ。順風満帆な野球人生が始まった…かに見えたが、体の異変に気づく。ボールが二重に見えるのだ。脳腫瘍と診断される。母、まなみ(鈴木京香)は仕事を辞め、慎太郎の看病に専念する。3年が過ぎ、日常生活が送れるほどに回復した慎太郎だったが、プロ野球選手の道をあきらめ、引退試合に臨む。最後のプレーで慎太郎が見せたセンターからの渾身の〝奇跡のバックホーム〟は球場中を沸き立たせた…》
「偶然、この慎太郎さんの奇跡のバックホームのドキュメンタリー番組を見ていたんです。私はあまり野球には詳しくなかったので、この話は知らなかったんです。もっと早く慎太郎さんの話を知っておけばよかった。そう思いました」と鈴木は振り返る。
2年前のことだった。それからしばらく経って映画化の企画が立ち上がる。
「慎太郎さんのお母さん役を演じてくれませんか?」。映画を企画した秋山純監督たちからの出演依頼だった。
鈴木は驚いたという。
「企画を聞いて〝あっ、あの彼の物語ではないか〟。こんなことが本当に起こるのか。奇跡ではないかと思いました」
当時、鈴木は体調を崩して休養中だった。
「この役は絶対に引き受けたい。そう思いましたが、夏の酷暑のなかでの映画撮影は過酷です。今の私の体力で持つのだろうか、迷惑をかけないだろうか…と、当初は不安で悩みました」と打ち明けた。
また、そのころ、すでに休養明けの復帰作も決まっていた。
フランス帰りのシェフ(木村拓哉)とともに東京でフランス料理の店をオープンするために奮闘するパートナーを鈴木が演じた人気ドラマ『グランメゾン東京』の劇場版への出演が決まっていたのだ。
この仕事と同時期に新たな映画出演を引き受けることが、容易な決断ではなかったと想像できるだけに、鈴木が「慎太郎の母を演じたい」とこの作品に懸けた強い覚悟が理解できた。
育まれた友情
一方、松谷は、まだ脚本ができていない段階から映画製作の企画に携わっていた。
脚本を担当したのは秋山監督と同じ神戸出身の中井由梨子。後にノンフィクション『栄光のバックホーム』(幻冬舎文庫)を刊行する著者である。
中井はかつて高校球児だった松谷に、野球の知識を補ってもらうために取材での同行を依頼していた。慎太郎の父と同じく、松谷の父も元プロ野球選手。巨人にドラフト2位指名された投手だった。
「僕は俳優を目指しながら、秋山監督の事務所で映画製作のスタッフとして働いていたんです。脚本の話を聞いて、僕が力になれるのなら何でもいいから手伝いたかった」
2021年、中井とともに取材で鹿児島を訪れ、初めて慎太郎と出会う。
年齢は一歳違い。甲子園を目指した元高校球児で同じ左投げ左打ちのサウスポー。
「すぐに意気投合しました。でも当時はまさか僕が、慎太郎さん役を演じるなんて想像もしていませんでした」と振り返る。
一年かけて2022年、脚本の初稿が完成した。主演候補には、何人もの有名俳優の名が挙がっていたという。
何度も会って話をするうちに慎太郎と松谷は〝夢を追う若者同士〟互いに心を通わせるようになっていた。
取材を続けるなかで、慎太郎は試合で使っていた愛用のグラブを松谷へ贈る。松谷は俳優として最初に着用した衣装を慎太郎へ贈った。二人は親友となっていた。
「映画になるのなら、松谷さんに僕を演じてほしい」
2022年8月、松谷が主演に抜擢される。〝この願い〟は慎太郎の遺言だったのだろうか…。翌2023年7月18日、慎太郎は還らぬ人となった。28歳だった。
涙の試写会
鈴木と松谷は完成した映画の試写をスタッフたちとともに東京の試写室で初めて観た。
これまで数多くの映画やドラマに出演してきた鈴木が語った言葉を聞きながら心が揺さぶられた。
「出演作を初めて観るときは客観的に観られないものなんです。自分の演技の反省点ばかりに目がいって。でもこの映画は違いました。ずっと泣きながら観ていました」
隣で松谷が照れくさそうに「僕は泣くというよりも、ずっと嗚咽していました」と号泣しながら観たことを打ち明けた。
すると鈴木は助け船を出すように、「だって試写室にいた関係者がみんな肩を震わせて泣いているんですから」と続けた。その表情は息子を気遣う優しい母の顔になっていた。
日々成長
「この映画に出演することは奇跡かもしれない。だから絶対に出ます」
出演を決めた日のことを振り返りながら、しみじみと語る鈴木。
松谷は慎太郎が亡くなった日。秋山監督の助監督として、別の作品の撮影現場に入っていたが、慎太郎が入院していた神戸のホスピスへ駆け付けた。秋山監督から「行ってこい」と送り出されて…。
国内外で数多くの映画が製作されているが、こんな〝奇跡のキャスティング〟はめったに起きるものではない。だが、こんな奇跡が起きるから、多くの人々が映画に魅了される。
それを鈴木と松谷、二人の俳優が身をもって教えてくれた。
取材の最後に、鈴木が、慎太郎がタイガースへ入団したときに書いたサイン色紙のことを話し始めた。サインの横にこんな言葉が添えられていた。その言葉は「日々成長」。
鈴木が松谷に言った。
「私たちもこれからサインを書くときに『日々成長』って書こうよ!」
〝先輩俳優から後輩〟への激であり〝母から我が子〟への励まし…。そして、己を鼓舞する声に聞こえた。



『栄光のバックホーム』
企画・監督・プロデュース:秋山純
脚本:中井由梨子
原作:「奇跡のバックホーム」横田慎太郎(幻冬舎文庫)
「栄光のバックホーム」中井由梨子(幻冬舎文庫)
出演:松谷鷹也 鈴木京香
前田挙太郎 伊原六花・山崎紘菜 草川拓弥
萩原聖人 上地雄輔
古田新太 加藤雅也 小澤征悦
平泉成 田中健 佐藤浩市 大森南朋
柄本明 高橋克典
主題歌:「栄光の架橋」ゆず
協力:阪神タイガース 特別協力:東宝
配給:ギャガ 制作:ジュン・秋山クリエイティブ
© 2025「栄光のバックホーム」製作委員会
オフィシャルサイト
2025年11月28日(金)より、OSシネマズミント神戸ほか全国公開中!

鈴木 京香(すずき きょうか)
1968年生まれ、宮城県出身。森田芳光監督作『愛と平成の色男』(89)で俳優デビュー。NHK連続テレビ小説『君の名は』(91)で注目を集める。『119』(94/竹中直人監督)で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。『ラヂオの時間』(97/三谷幸喜監督)、『39 刑法第三十九条』(99/森田芳光監督)、『竜馬の妻とその夫と愛人』(02/市川準監督)で同優秀主演女優賞、『血と骨』(04/崔洋一監督)では同最優秀主演女優賞を受賞した。主演したドラマ『セカンドバージン』(10/NHK)は社会現象となり、2011年には映画化。また、2019年放送の人気ドラマ『グランメゾン東京』(TBS)ではヒロインを演じ、同作を映画化した『グランメゾン・パリ』(24/塚原あゆ子監督)も大ヒットを記録。

松谷 鷹也(まつたに たかや)
1994年生まれ、神奈川県出身。小学3年から本格的に野球を始め、高校時代は投手として活躍。身長185cm、体重74kg、左投げ左打ち。読売ジャイアンツにドラフト2位指名された元プロ野球選手の松谷竜二郎さんを父に持つなど、横田慎太郎さんとの共通点を多く持つ。本作の脚本を務める中井由梨子が率いる野球型俳優エンターテインメント集団「東京モザイク」では4番ピッチャーとして活動。役作りのために福山ローズファイターズの練習生として体重を94kgに増やし野球に打ち込んだ。また、秋山純のもとで制作・助監督としての経験を積んでいる。












