10月号

神戸で始まって 神戸で終る 64
実に明るく陽気な「死」の展覧会『復活!横尾忠則の髑髏まつり』
~横尾忠則現代美術館~
『復活!横尾忠則の髑髏まつり』と題した展覧会が、9月13日から横尾忠則現代美術館で開催されます。
何が「復活」かと思われる方に、今回のキュレイターの平林恵さんは、「2020年、コロナ禍により開催直前で中止となった本展を再構築して新たな祝祭としてお届けします」と語る。
平林さんがキュレイションする展覧会はいつも面白い。美術の文脈をいつも見事に逸脱してくれる。ということは反芸術か、と勘ぐりたくなるが、そんな「反」のつくアバンギャルド展ではない。「反」ではなく「非芸術」的に仕立ててくれる。芸術が芸術であるためには、「反」ではなく「非」でなくてはならない。「非」とは、頭脳的ではなく、肉体的であるということです。
平林さんは、僕の作品は生命力に満ち溢れていて、常に「死」の影が漂うと見てくれています。生が溢れた結果、死の影か。なるほど。生と死は相対的なもので、二律背反する概念ではありません。
骸骨や首吊りのロープのような暗示的な記号から、空襲で赤く染まった空、亡くなった同級生の写真など、自身の記憶に由来するモチーフまで、横尾作品に散りばめられた様々な死のメタファーは、鮮やかに力強く、鑑賞者を挑発すると語ってくれています。
そして本展の第1章では、死と再生の象徴である髑髏に加えて、僕自身の寓意に着目し、絵画を通して、僕の死生観を辿るという展示構成になっています。
さらに、第2章ではグラフィック作品による髑髏まつりを展開したかと思うと、第3章ではポスターに登場する髑髏たちが日常と非日常を往来します。絵画のファインアートとグラフィックのコマーシャルとHIGH&LOWの関係をここでは無化してしまいます。キュレイター平林の今日における美術とグラフィックの関係をここで破壊したがっているのかもしれませんね。以上で、平林の本展のキュレイションの意図は多少読めたかと思います。あとは、会場に足を踏み入れて、言葉にならない言葉を体験していただきたいと思います。
ここまで死を前面に押し出した展覧会は、今までなかったのではないでしょうか。人間は、というか全ての生き物は必ず死にます。死ぬために生まれてきたのです。人間は何のために生まれてきたのか。生老病死を通じて、好きなことをして、美味しいものを食べて、恋をして、お金をうんと貯めて、幸福な一生を送るためです、と言われそうですが、それでもなおかつ死にます。
そのような人間の宿命を、様々な運命体験を通して語ってきた作品が展示されています。
僕は、人間は死ぬものだ、生きるために生まれてきたんだ、なんて、いろいろややこしいことを考えながら、死をテーマにした作品を次々に創作してきたわけではありません。気がついたら、そんな作品を描いていた、というのが本音です。そこを美術館のキュレイターが創造的に面白おかしく(失礼!)見せてくれるのです。
さて、この辺りで話題をメキシコに振ってみましょう。メキシコに旅行された方なら誰でも経験されているかと思いますが、メキシコの生活の中には、死がこっそり、というか堂々と入り込んでいます。街やお店の至るところで、われわれは、死のメタファーに出会います。お菓子屋の店頭にズラッと並んだお菓子のパッケージでは、色鮮やかな髑髏が、こちらを眺めて笑っています。
街をタクシーで走ると、信号待ちで横断歩道の手前で止まります。すると子どもが、大きい等身大の骸骨を抱きかかえて、車の中の観光客に売りつけます。こんな風景はメキシコでは日常茶飯です。死と生活が完全に一体化しているのです。メキシコに行くと、われわれは自然に哲学者にさせられてしまいます。
エジプトに行った時は、あちらでもこちらでも家を建てていました。どう見ても手造りの家です。「どうして皆んな家を建てているのか?」と聞いたら、次のような答えが返ってきました。
「死んだあとに住む家です」と。大半の日本人は、人は死んだら無になると思っていますが、エジプトの人たちは死んでも生きているのです。生と死を切り離すのではなく、一直線に生と死を結びつけているのです。日本人は、生の終わりを無と考えています。だから虚無的になってしまうのです。その点、メキシコもエジプトも生死を分別していません。ひとつのものとして、生死を考えています。僕のこの展覧会も、そういう意味ではメキシコ的でエジプト的です。
われわれの日常は、常に死から逃れられません。新聞には毎日、著名人の死亡記事が掲載され、テレビ画面からは死の情報がひっきりなしに流れてきます。今回の「髑髏まつり」展はそういう意味では、避けて通ろうとしても避けられない死一色の、しかし実に明るく陽気な死の展覧会になっているのではないかと思います。
本展のキュレイターの平林さんが、この間、僕のアトリエにやってきました。頭のてっぺんから足の先まで、持ち物も全て髑髏と骸骨一色のファッションとグッズでやってきました。
彼女はいつも、自分がキュレイションする展覧会には、そのテーマそのものに変身してやってきます。頭脳的な展覧会を構想するのではなく、常に肉体的に展覧会をとらえているのです。つまり、対象になりきって、見事にコスプレをしてしまい、いつも僕を喜ばせてくれます。
ぜひ、今回の「髑髏まつり」を思いっきり楽しんでください。思いっきり遊んでください。では、会場でお会いしましょう。

瀬戸内晴美「幻花」野ざらし(十)のための挿画
1975年 作家蔵


Experimental Report
2008年 横尾忠則現代美術館蔵

髑髏サンダル
作家蔵

復活 ! 横尾忠則の髑髏まつり 2025年 デザイン横尾忠則
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。

撮影:横浪 修
横尾忠則現代美術館では『復活!横尾忠則の髑髏まつり』開催中!












