1月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~ (69)前編 大谷光瑞
僧侶と探検家の両立…規格外の宗教家が六甲に築いた〝夢の城〟
インド探検で見た世界
明治から大正、昭和に至る日本の変革期を生きた浄土真宗本願寺派第22世宗主、大谷光瑞(1876~1948年)は世界的な冒険家としての顔も持っていた。その肩書は多岐に渡り宗教家であり探検家であり伯爵。多趣味で国営競馬馬主の肩書も持ち、従来の宗教家のイメージを覆す異彩を放つ存在だった。
この個性豊か、かつ規格外の宗教家、光瑞が1909年、六甲山の麓に、世をあっと驚かせる豪華絢爛な大邸宅の別荘を構えた。
その名は「二楽荘」と命名された…。
1876年、光瑞は浄土真宗本願寺派第21世法主の父、大谷光尊(明如上人)の長男として京都で生まれる。上京し学習院大学などに通うが、退学し京都へ帰郷。1900年、日本を離れ、英国留学中の1902年、西域を調査する探検隊を結成し、インドへ向かう。
仏教について考古学調査を行っていた1908年、光瑞は、須磨月見山別邸が皇室に買い上げられて武庫離宮となったため、新たな別荘地の候補地を神戸で探していた。
作家、津本陽の小説『大谷光瑞の生涯』(角川文庫)のなかに、こう記述されている。
《「俺は今度こしらえる別荘を、家内休養の場とするのみでなく、門末からえらんだ人材を教育するためにも使いたいのや」
光瑞は候補地を兵庫県武庫郡本山村岡本の
天王台にきめた。
現在の神戸市東灘区岡本で、甲南大学北側の丘陵である》
なぜ「二楽荘」と名付けたのか?その理由はこうだ。
《光瑞は六甲山の山裾にあたるこの地に、海と山を楽しむという意味を込め、二楽荘と命名した別荘を建てることにした》のだった。
すべてが規格外
続く記述から、その広大さが想像できる。
《頂上の平坦地は二千坪であるが、敷地総面積は八十二町歩(二十四万六千坪)で、周囲をひとまわりするのに三日かかるといわれた》
広さだけでなく建築物も規格外だった。
《「いままでの日本建築は、こしらえても何の新味もない。また西洋建築をまねたところで、これもつまらん。伝統をふまえつつ、あたらしい未来をのぞむにふさわしい建物をこしらえるのや」》
こうして、洋風建築とインド風建築が合わさった〝摩訶不思議な建築物〟が建てられる。
《荘内にはインド室、アラビア室、エジプト室など各国の特色を凝らした部屋があり、珍奇な美術工芸品が飾られている。
応接室の調度も豪華をきわめている。
中国古碑の拓本、大蛇の首の剥製の電気スタンド笠。銀製の食器類…》
学生を養成する私塾(武庫中学校、後の武庫仏教中学)と図書館兼宿舎や「私立六甲測候所」と命名した私設の測候所まで備えられ、高価な英国製の精巧な器械が設置された。
広大な敷地に建つ各施設を移動するために、3本のケーブルカーまで建設された。
また、植物に造詣の深かった光瑞は、世界各地から植物を二楽荘へ集めた。
《一時二楽荘園芸部には高山植物のみでも何百種とあり、各国の石楠花でも三百余種もあった…》という説明から、光瑞が「園芸部」を設け熱心に植物収集していたこと、また、その徹底した収集癖も伺い知ることができる。
《神戸と大阪の中間にある六甲山腹、海抜約百メートルの突端にある学校からは、大阪湾、紀淡海峡が一望できる。
背後には海抜千メートルの六甲山が屏風のようにつらなっている。
海岸一帯は白砂青松の別荘地であった。
「たいていの人がこの住吉のあたりを通ると二楽荘を見あげたものであった。紅のスレートでたたんだ二層楼の異様な洋館。そして西面の角にはドームをいただき、避雷針をかねたスパイヤーが天空を射ていた
インドのマハラジャーの王宮に似た景観であったと、山本はいう》
武庫中学で学んだ山本晃紹氏の言葉だ。
光瑞は〝何ものにも拘束されない、自由な天下無敵の学校を作るのが夢〟で私塾を作る。
校内を歩く光瑞の姿を、教え子の山本は、こう述懐している。
《「私たちの眼から見れば象のように大きな巨人が象の皮のブラウン色の靴――ブーツとシューと二そろいあったのだが――をはいて、アッシュの握るところが大体カギになった、先には六角の二寸くらいな頑丈な鋒のついたステッキをついた、頭にはこの頃の登山帽のようなキレの帽子をいただいた猊下が、毎日午後、ほとんど時計のように誰かお伴をつれて学校をまわって歩かれたのである」》
身長約182センチ、体重約80キロ。光瑞は当時の日本人の平均を上回る堂々たる体躯を誇っていた。教え子たちが〝象のような巨人〟と仰ぎ見る光瑞が、夢と莫大な資材を投じて築き上げたのが「二楽荘」だった。
光瑞の執念が注ぎこまれた大邸宅は、建築家たちから「本邦無二の珍建築物」と評され、数年後には閉鎖され、1932年に焼失した。
現在、跡地の一部に甲南大学理学部が建つ。光瑞に通じる建学精神を持つ甲南大創設者、平生釟三郎へ…。六甲の麓に〝二楽荘の片鱗〟が受け継がれたことは興味深い。
今、その〝異形〟を見ることはできない。
=続く。
(戸津井康之)












