2026年
1月号

⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol62 ■映画監督■ 行定 勲さん

カテゴリ:文化・芸術・音楽

 新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
 第62回は、今から21年前。一大ブームを巻き起こし、社会現象にもなった日本映画の傑作『世界の中心で、愛をさけぶ』などで知られるヒットメーカー、行定勲監督が登場。全国で公開中の新作映画「楓」の製作秘話などを聞いた。

文・戸津井 康之
撮影・鈴木 厚志

〝遠慮〟する心…日本人の感情を日本人監督として描く覚悟

恋愛映画の意義

〝恋愛映画の巨匠〟と呼ばれて久しい。
2004年の大ヒット作『世界の中心で、愛をさけぶ』を始め、『ナラタージュ』(2017年)など恋愛をテーマにした数々のヒット作を手掛けてきた。
新作のテーマの柱も〝恋愛〟だ。
21年前、興行収入約85億円を記録した『世界の中心で、愛をさけぶ』を、やはり意識していたのだろうか?
「実はこの作品を撮ることが決まった当初はあまり意識していなかったのですが、どう撮ろうか、と考えを巡らしているうちに徐々に意識するようになりました」と心情を吐露した。
これまで、行定監督はずっと「同じテーマばかりで映画を撮りたくない。様々なジャンルを撮りたい」と言い続けてきた。理由として、「イメージが染みつくのは映画監督にとってはよくないから」とも語っていた。
この言葉を裏付けるように、2023年に公開された前作は女優、綾瀬はるか主演の東映大作『リボルバー・リリー』。ジャンルはハードボイルドのアクション大作だった。
「ジャンルにこだわらず撮る」という行定監督の覚悟に変わりはないが、それでも映画界は〝恋愛映画の巨匠〟を放ってはおかない。それは、まるで行定監督に課せられた宿命のように…。
《恵と恋人の亜子(福原遥)には共通の趣味があった。二人は星が好きで天文の本や望遠鏡などに囲まれながら暮らしていた。だが、毎朝、亜子が家から出かけていくと恵は眼鏡をはずし、きちんと分けていた前髪を手で崩す。実は彼は、ニュージーランド滞在中、交通事故で亡くなった双子の弟、恵に成りすました恵の兄、涼(福士蒼汰)だった…》
タイトル『楓』は人気バンド「スピッツ」のヒット曲『楓』から来ている。
今作の監督を引き受けた経緯が面白い。
「プロデューサーから、〝『スピッツ』は好きですか?〟と聞かれたので、〝好きです〟と答えました」
いかにも懐の深い行定監督らしい承諾の仕方だが、「元々、『楓』は好きな曲で断る理由はなかったから」と言う。
数々のヒット曲を持つ「スピッツ」だが、彼らの曲が映画の原案となるのは初だった。

日本人独特の感情とは

「楓の花言葉には『調和』『美しい変化』『大切な思い出』『遠慮』の意味がありますが、私が惹かれた言葉は『遠慮』。この心情を核に恋愛を描きたいと思いました」
〝遠慮する=相手を慮る〟という心情は、「とても日本人らしい感情ではないか」と考えたからだ。
そう〝意識〟したのには理由がある。
この映画を撮る前作として韓国の連続ドラマ『完璧な家族』の監督と脚本を依頼され、単身、韓国へと渡った。
「映画『リボルバー・リリー』の公開直後には、もう韓国へ向かっていました。当初は配信だけの予定で全8話分の脚本を書いていたのですが、急遽、地上波(韓国の大手テレビ局「KBS」)での放送も決まったので、12話分まで増やして書くことになりました。急に計画が変わるのは、韓国では珍しいことではなくて」と苦笑しながら振り返った。
韓国の地上波の連続ドラマを外国の監督が撮るのは初めて―という快挙でもあった。
約1年、韓国に拠点を移してのドラマ撮影。「とても刺激的でいい経験になりましたが、撮影手法の文化や慣習は日本とはだいぶ違っていて戸惑いも少なくなかった」と明かした。
「韓国のキャストもスタッフもとても優秀」と話す一方、「皆が必ず自分の意見を言います。そうしてほしいという要求ではなく、自分はこう思うという意思表示なのですが、自分の意見を言わない者は信用されないということが分かりました。日本ではなかなか思っていても口にして言えないですよね」
連続ドラマを撮ること自体、初めての経験。重鎮監督にとって〝初めて尽くし〟の手法の違い、ものの考え方の違いを〝アウェーの地〟で経験することになったのだ。
韓国で無事放送され、日本へ帰国した後の一作目となったのが、映画『楓』だった。
そこで、心に響いた言葉が「遠慮」だったのだと言う。
「とても日本人らしい感情だと改めて気づかされました」。海外での初のドラマ制作に疲れていた後だけに、「撮りながら心のリハビリにもつながった」とも打ち明けた。
完成した映画の試写を、『楓』を作詞・作曲した「スピッツ」のボーカル、草野マサムネたちと一緒に観た。
「草野さんは『昔の自分に、この曲は将来、映画になるんだよ』と教えてあげたい、と言って喜んでくれたみたいです」
本人は試写後、他の人にこう感想を伝えたというが、行定監督は「直接話してほしかったですね」と少し悔しそうに笑みを浮かべた。
実は『楓』はシングル用に作られた曲ではなく、1998年、アルバムのなかの一曲として生まれた曲だった。

故郷・熊本復興への思い

この日の大阪での取材前日まで故郷・熊本にいた。ディレクターを務める「くまもと復興映画祭」に出席していたのだ。
2016年4月、熊本地震発生時。行定監督は地元のラジオ番組に出演するため熊本市内のホテルに滞在中、震災に見舞われた。
「ホテルの前の熊本城の石垣が目の前で崩れ落ちていくのを見ました」と振り返る。
被災した熊本市民を励まそうと、映画祭が企画され、翌年から毎年、映画祭のディレクターとして参加してきた。
「今回の映画祭では『楓』を先行上映したのですが、アクシデントがあって…」と、そこで起きたエピソードを教えてくれた。
突然、機材の故障で上映ができなくなった。
「すぐに復旧しそうになかったので、慌てて舞台へ上がって、その説明をしました」
そこで、「もし帰りたい人がいたら申し出て下さい。鑑賞料金は払い戻しますから」と提案したという。
「一人も帰る人はいませんでした。観客約千人全員が復旧を待ってくれたんです」
約45分後。無事、映画の上映が始まった。
行定監督はほっと胸をなでおろすと同時に、「故郷の人たちの映画祭への強い愛情を感じました」と話し、一方で「年々少しずつ関心が薄れつつある地方都市の映画祭を続けていく意義と映画監督として自分に課せられた責務を改めて痛感しました」と言う。

日本映画に問われるもの…

「同じものは撮らない」という覚悟で新作ごとに撮影手法などをアップデートしてきた。今作の撮影監督は新進気鋭の韓国人カメラマン、ユ・イルスン。『完璧な家族』でタッグを組んだカメラマンだ。
行定監督は、「日本人らしいラブストーリーを韓国で活躍するカメラマンが撮ったら、どうなるだろうか」という期待を込めての抜擢だったと話す。
イルスンは中学時代、岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)を見て、「将来、映画のカメラマンになりたい」と決意したと言う。この撮影現場で岩井監督の助監督を務めていたのが、若き日の行定監督だった。そしてこの現場で照明を担当していた中村裕樹が、今作『楓』の照明を務めた。
『世界の中心で、愛をさけぶ』では日本とオーストラリアが舞台となったが、『楓』では日本とニュージーランドが描かれる。
そして大切な人を失うという切ないテーマ。
2本の映画が21年の時を経て、時折、オーバーラップする…。
だが、行定監督が恋愛映画のなかに込め、描こうと挑み続けてきた繊細な心の感情表現は、より重厚に、より色濃く、そしてより力強く投影され、スクリーンから放たれる。
この感情の一つが、行定監督が『楓』の花言葉のなかで最も心に残った〝遠慮=慮る心〟であり、涼や亜子ら登場人物が、それぞれ胸の奥底に秘めた〝遠慮〟の思いが、観る者の胸に迫ってくる。
アジアの映画ファンたちに絶大な人気を誇り、韓国で連続ドラマを撮った日本の重鎮監督は、現在、台湾で新作映画を撮る計画があると教えてくれた。
「日本人の繊細な心情を映画で世界へ伝えていくこと」。それが、自分にしかできない日本人監督としての責務の一つではないか…。
〝恋愛映画の巨匠〟は新境地を拓きながら、今、改めて強くそう自覚している。

行定勲監督は日本映画の将来像についても熱く語ってくれた

行定勲監督が、恋愛映画の新境地に挑んだ『楓』のワンシーン

『楓』のワンシーン。二人にはそれぞれ言えないことがあった…

新作の秘話について語る行定勲監督

映画『楓』

出演:福士蒼汰、 福原遥 ほか
監督:行定勲
脚本:髙橋泉
原案・主題歌:スピッツ「楓」(Polydor Records)
音楽:Yaffle
製作幹事:アスミック・エース/東映
配給:東映/アスミック・エース
制作プロダクション:アスミック・エース
C&I エンタテインメント
Ⓒ2025 映画『楓』製作委員会

行定 勲(ゆきさだ いさお)

1968年8月3日生まれ。57歳。熊本県出身。熊本の高校を卒業後、上京し、映像専門学校に通いながら、岩井俊二、林海象監督らに師事。助監督としての経験を積みながら、1998年、『OPEN HOUSE』で監督デビュー。『GO』(2001年)で2022年の第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞をはじめ、その年の数々の賞レースを総なめにし、一躍脚光を浴びる。『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)が興行収入85億円を記録し、ヒットメーカーの地位を確立。その後も『ナラタージュ』(2017年)、『リバーズ・エッジ』(2018年)などコンスタントに作品を発表。2023年は、綾瀬はるか主演の大作『リボルバー・リリー』、昨年2024年は、韓国の地上波の連続ドラマ『完璧な家族』の脚本、演出を務め、国内外で話題を集める。

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