1月号
出会いと学びの旅から Vol.13
ヘレンケラーが学んだ
パーキンス盲学校
ボストン滞在中に、パーキンス盲学校を訪れました。
パーキンス盲学校といえば、すぐヘレンケラーを思い浮かべますが、この学校は1835年創立以来、アメリカの盲教育に多大な貢献をしたばかりでなく、二重、三重の障がいを持つ、いわゆる重複障がい児教育への道を開いた学校としても世界中に知られています。
事前に訪問を約束していた時間に伺うと、盲人の婦人が盲導犬を伴って校内を案内してくれました。このパーキンス盲学校は1835年にパーキンスという実業家の寄付とハウ博士の努力によって設立されました。その時一番最初に入学してきたのがローラ・ブリッジマンという5歳になる女の子でした。彼女は目も見えず、耳も聞こえないという二重の障がいを伴っている盲ろう児でしたが、ハウ博士の献身的な努力と新しい指導法によって、2年後にこの少女は言葉を覚えるようになりました。
当時、ほとんど不可能と思われていた盲ろう重複障がい児の教育に初めて成功したことが、この学校を一躍有名にしました。この輝かしい業績を打ち立てたパーキンス盲学校の教育目標は「誇り高き盲人を育てること」にあります。
校庭を歩いていると、盲児たちが元気よく走り回っていました。子どもたちは単に目が不自由というだけで、他の子どもたちと何ら変わりがないので、他のこどもたちができることならなんでもカリキュラムに入れて盲児たちにさせており、盲児だからできない、ということはこの学校では通用しないそうです。
見学を終えて戻ってくると、正面入り口の2階に若き日のヘレンケラーがサリバン女史から教えを受けている大きな写真が掲げられていました。ヘレンケラーがこの学校で学んだのは1889年から1893年までで、彼女の幼い頃の苦闘は映画「奇蹟の人」で描かれています。現在では重複障がい児の教育は奇蹟ではなくなり、教育方法と訓練によって可能なことをこの学校の生徒たちが証明しています。
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