10月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.59 演劇プロデューサー
笹部 博司さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第59回は、大竹しのぶの「奇跡の人」など傑作と呼ばれる数々の名舞台を世に送り出してきた演劇プロデューサー、笹部博司の登場です。
文・戸津井 康之
撮影・黒川 勇人
企画から配役、脚本、演出まで…
国内外の戯曲を知り尽くす演劇人
名女優の舞台の陰で…
取材した当日は、女優、十朱幸代が久々に挑む一人舞台『燃えよ剣』が、大阪・森ノ宮ピロティホールで上演されていた。
演出家は、十朱が絶大なる信頼を寄せてきた長年の盟友、笹部だ。
笹部は会場後方の客席に座り、一人、じっと十朱の一挙手一投足を見逃すまいと、その渾身の演技を凝視していた。
「まるで、〝お雪〟そのものの人生を舞台の上で生きているようでしたね。演技している…というふうには見えなかったでしょう。あの姿こそが真の女優の演技なのです」
作家、司馬遼太郎の同名の人気小説の朗読劇。十朱は幕末を苛烈に駆け抜けた新選組副長、土方歳三の恋人、お雪を演じた。
舞台が終わった後、控室に戻った笹部は満足そうな笑顔を浮かべていた。そこには安堵したような表情も伺われた。
なぜなら、「演出できるのは稽古まで。演出家は舞台が始まったら、もう何も助けてあげることはできませんから」と語る笹部の言葉を聞いていて、舞台が終わって、一番ほっとしているのは演出家なのかもしれない、と痛感させられたからだ。
この『燃えよ剣』の舞台は十朱と笹部が2013年から〝タッグ〟を組み公演している。
盟友はもう一人。舞台上でピアノを演奏し、劇伴の作曲も手掛けた音楽家、宮川彬良だ。
舞台が始まったら、もう演出家には出番がない―。
そんな笹部の言葉の裏には、舞台に立つ長年の盟友である二人に対し、確固たる信頼関係を築いてきた〝演出家の自信〟が垣間見えた。
よく、舞台はその場限り一回だけのもの。二度と同じものが演じられることはない―と言われる。
その場で、演じる側は一度きりしか演じることができない芝居を、また、見る側は、その場で一度きりしか見ることのできない舞台を目の当たりにする―。それは、まるで演者と観客との一回きりの戦いのようでもある。そう語る舞台人は少なくない。
この日、十朱は女優として一人、会場を埋めた大勢の観客の視線を一身に浴び、プレッシャーをはねのけながら戦っていたのではないか…。
「今日もいい芝居を見せてもらいました」
〝一人舞台〟を戦い切った十朱と、伴奏でサポートする宮川の二人を、笹部は戦友のように頼もしげに、かつ、慈しむように讃えた。
戯曲一筋
笹部は姫路市で生まれ、地元の中学校から姫路高校へ進学する。
「もの心ついたころから読書が好きでした。中でも特に惹かれたのが戯曲だったんです」
戯曲に魅了されて以来、国内外の舞台の戯曲を読み漁った。
「高校入学後、演劇活動を始めました。脚本に演出、俳優も兼ね、一通りすべてやりました。人数が足りないから、何でもこなさなければならなかったんです」と当時を懐かしそうに振り返った。
関西学院大学に進学すると、「すぐに大学の演劇部に入部しました」と言う。
演劇にのめり込んだ笹部は、一年で大学を休学し、上京。老舗の劇団四季の舞台スタッフとして働き始める。
「しばらく劇団四季の裏方として働きました。一年ほど休学した後、故郷の兵庫へ帰り、大学に復学しました」
大学を卒業すると再び上京し、都内の書店に就職した。
「書店で書籍の仕入れなどを任されるようになったので、海外の戯曲集などを取り寄せて、棚に並べることにしました」
当時、東京にさえ、専門的に戯曲集を扱う書店は珍しかったという。
笹部は演劇の知識を生かし、戯曲関連の書籍の仕入れに力をいれる。
「すると、戯曲の翻訳家や演劇関係者たちが書店に集まってくるようになったんです。他にそういう書店がないのですから」
国内外の戯曲に詳しい笹部を直々に訪ねてくる演劇関係者も増え、笹部は独立を決意する。
「古い有名な戯曲などは、それまでも日本で紹介されていましたが、ブロードウェイなどで公演中の最新の戯曲などは、ほとんど日本で紹介されていませんでしたから」
独立後、笹部が書籍化した一冊目の戯曲は『審判』。英作家、バリー・コリンズ作の、一人舞台の最高峰と呼ばれる名作だ。
「本になる前のゲラの段階で、俳優の江守徹さんが、『私にこの戯曲を公演させてほしい』と言ってきたんです」
当時、江守は人気劇団「文学座」で主演を張っていた。
だが、『審判』が書籍化されると、「無名塾」の仲代達也など次々と東京の老舗劇団の看板俳優たちが、こぞって、「うちで公演したい」と言ってきた。
「戯曲の争奪戦が始まったんです」
今、笹部は苦笑しながら語るが、「とても困った事態になりました」と振り返る。
〝激しい争奪戦〟が繰り広げられた結果、最初に申し出てきた江守が、文学座公演として『審判』を上演することが決まった。
1980年、『審判』は東京の文学座の拠点「アトリエ」で計10日ほど上演された。公演のチケットは即完売となる人気。劇場に入れない演劇ファンの長蛇の列ができる過熱ぶりで、その様子は、「NHKの報道番組〝NC9〟(「ニュースセンター9時」)でも取り上げられるほどでした」と言う。
その後も、笹部が手掛ける海外の戯曲の書籍化は、演劇関係者から注目され、次々と有名劇団で舞台化されていく。
生粋の演劇青年
戯曲に詳しい笹部は、舞台公演を見ながら、「この戯曲を演じるのなら、この俳優がふさわしいのではないか」と考えるようになる。
大竹しのぶの『奇跡の人』、白石加代子の『百物語』など、笹部の企画から生まれ、日本演劇史に名を刻んだ名舞台は多い。
「『奇跡の人』は、5年かけて大竹しのぶさんを口説き落としました」と明かす。
このほか、『身毒丸』での武田真治、藤原竜也など気鋭の若手を舞台俳優として抜擢し育てるなど、企画からキャスティングなど演劇プロデューサーとしても頭角を現す。
「配役を決めたり、演出家を選んだり…というのがプロデューサーですが、自分のイメージ通りの芝居にならないときがある。そんなときは自分で演出するしかない。だから、演出家の仕事もだんだん増えていきました」
一昨年、初上演し大好評だった中井貴一とキムラ緑子の朗読劇『終わった人』も笹部が企画し、脚本、そして演出を手掛けた。
原作は作家、内館牧子の同名小説。翌年の再演が決まるやチケットは即完売の人気。
「ベテランの実力派2人には、どう演出するのですか?」と問うと、「この二人には私の方が演出されてしまって…」と柔和な笑顔で、その〝舞台裏〟は煙に巻かれてしまった。
笹部の話から演出家と俳優の信頼関係がいかに厚く深いかが分かる。そんな座組から紡ぎ出されていく芝居の神髄とは。
「舞台の上では演じるのではなく、その人物になりきる…。芝居はフィクションですが、舞台の上で演じている俳優の演技はドキュメンタリーのようなもの。そう思っています」
10月には、中山優馬、柴田理恵、風間杜夫、白石加代子の新旧実力派が〝競演〟する『大誘拐』の公演が控え、来年3月には『終わった人』の再々演が決まった。
さらに、その先に構想中の舞台がある。
タイトルは『老害の人』。
内館の高齢者小説の一作で、友近、千葉雄大の出演で来年5月の上演に向け、現在、準備を進めているという。
「内館原作を戯曲にした公演をシリーズ化できれば」と語る笹部の声に熱が帯びた。
俳優も作家も音楽家もスタッフも…。一緒に仕事をすれば、その企画力や演出力に魅せられ、何よりもその創作への情熱に惚れ込む。
だが、誰よりも芝居の魔力にとりつかれてしまったのは、〝生粋の演劇青年〟の志を燃やし続ける笹部かもしれない。

リーディングドラマ『終わった人』1幕より 中井貴一、キムラ緑子 ©山本倫子

リーディングドラマ『終わった人』2幕より 中井貴一、キムラ緑子 ©山本倫子
『大誘拐』~四人で大スペクタクル~
日時:2025年11月7日(金)~8日(土) (全2回)
会場:サンケイホールブリーゼ
出演:中山優馬 柴田理恵 風間杜夫 白石加代子
原作:『大誘拐』天藤真(創元推理文庫刊)
上演台本・演出:笹部博司
ステージング:小野寺修二
オフィシャルサイト

笹部 博司(ささべ ひろし)
兵庫県姫路市出身。1977年に演劇・戯曲を専門とする出版社「劇書房」を設立。海外のベストプレイシリーズ、寺山修司戯曲集などを出版する。次第に、自社で出版した作品を製作し上演するようになり、1990年に演劇製作会社「メジャーリーグ」を設立。
主な作品は、大竹しのぶ「奇跡の人」、古田新太・生瀬勝久「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」、西城秀樹・鳳蘭・市村正親「ラヴ」、天海祐希「ピエタ」など。白石加代子の作品では、武田真治(初演)・藤原竜也(再演)「身毒丸」、麻実れい「メアリー・ステュアート」、蜷川幸雄演出「グリークス」、白石加代子「百物語」シリーズなどがある。
りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館との歩みは25年になる。1998年のオープン前より関わり、演劇部門芸術監督を2021年3月末まで務める。
十朱幸代「燃えよ剣」、奈良岡朋子「黒い雨」、井上芳雄「夜と霧」などは、レパートリー作品として再演を重ねた。
2016年より“りゅーとぴあプロデュース”による演劇作品製作がスタート。白石加代子「オフェリアと影の一座」、高畑充希・白石加代子「エレクトラ」、井上芳雄・上白石萌歌「星の王子さま」、佐藤アツヒロ・北乃きい「人形の家」、内博貴・渡辺徹「イン・ザ・プール」などがある。
姫路市出身の縁で、2016年より市民参加の舞台を脚本・演出として毎年担当。その集大成ともいえる「アクリエひめじ」オープニングシリーズの市民劇として、辻村深月原作「かがみの孤城」(2017年本屋さん大賞)を2022年4月に上演した。
2023年には内館牧子原作リーディングドラマ「終わった人」中井貴一×キムラ緑子、2024年には天藤真原作「大誘拐」中山優馬×柴田理恵×風間杜夫×白石加代子を演出。












