9月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~ (65)前編 高田屋嘉兵衛
淡路島から未開の北海へ…規格外の国際人
北方領土のパイオニア
第二次世界大戦後から現在まで、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土(北方4島)をめぐり、日本とロシアの間では領有権が争われているが、江戸時代後期に、国後島―択捉島の航路を開拓した一人の日本人の〝船乗り〟がいる。兵庫県・淡路島出身の高田屋嘉兵衛(1769~1827年)である。
北方領土の航路を開拓した嘉兵衛の功績は歴史的に見ても偉業だ。嘉兵衛の死後、1855年、日露和親条約で北方4島は日本の領土と定められるが、この日本固有の〝領土〟は彼がまさに〝パイオニア〟となって、北海の未知の漁場や潮流の調査を行い、開拓していった地道な活動に負うところが大きいのだ。
淡路島で生まれた嘉兵衛は、兵庫津(神戸市兵庫区)で船乗りとしての知識と技術を積み、廻船商人となって瀬戸内から大海へと漕ぎ出した。そして〝北方の海〟を舞台に、ロシアとの外交を買って出た彼は一人で、この大国と対等に渡り合う。彼の人生は、日本人の世界進出が珍しくなくなった現代日本人の常識から考えてみても、遥かに〝規格外〟の生きざまだったことが分かる。
その破天荒で波乱万丈の人生はダイナミックで、ドラマチックだ。今から200年以上も前に嘉兵衛が挑み、成し遂げた偉業と比べて見ると、国際化を遂げた現代日本人の夢や発想力、想像力の方が、常識にとらわれ過ぎ、貧困になってはいまいか?
嘉兵衛の人生を辿ってみると、改めてそう考えざるを得ない。
〝血沸き肉躍る〟嘉兵衛の生涯を、作家、司馬遼太郎が長編小説として書き残している。
タイトルは「菜の花の沖」(文春文庫)。
壮大な物語はこう始まる。
このはなしの主人公は、都志の浦でうまれた。
浦は、淡路島の西海岸にある》
嘉兵衛は1769年、現在の兵庫県洲本市五色町都志の農家で、6人兄弟の長男として生まれた。
《淡路ではどの農家も、それまで以上に油菜(なたねな)を植えるようになった。この島は山は丘という程度にひくく、地形による日当たりのさまたげがすくなかったから、どういう場所でもそれを植えることができた。
このため、晩春になって、あぜ道をゆくひとびとが汗ばむころになると、全島が菜の花の快活な黄でうずまり、その花ごしに浦々の白帆が出入りした》
司馬は、野に咲く菜の花やタンポポなど黄色い花が大好きだったことで知られている。
私は産経新聞大阪本社の文化部で長らく勤務していたが、司馬は文化部記者としての大先輩にあたる。彼は産経新聞大阪本社の文化部長などを経て作家へ転身した。
数々の傑作を書き遺し、司馬は1996年2月12日、72歳で亡くなった。
彼の命日は「菜の花忌」と呼ばれ、毎年、この日に彼を顕彰する記念行事が開催されている。
嘉兵衛を主人公とする小説のタイトルに、司馬は自分の最も好きな花、菜の花をとり入れ、「菜の花の沖」と付けている。
歴史上活躍した武士や軍人などを主人公にした小説を数多く手掛けてきた司馬にとって、民間人を主人公にした作品は多くない。そこからも嘉兵衛に傾注した司馬の熱い思いを窺い知ることができる。
現代人を魅了する生きざま
小説「菜の花の沖」は1979年4月1日から1982年1月31日まで。実に3年近くにわたって産経新聞で連載された。
その後、全6巻(文春文庫)の長編小説として書籍化され、ロングセラーとなり、今でも司馬の代表作のひとつに挙げられる。
舞台化や映像化もされてきた。
1999年には人気脚本家、ジェームス三木の脚本により、秋田県を本拠地とする劇団の「わらび座」が全国公演を開催。2001年3月、神戸での最終公演を終えた後、観客たちから劇団へ贈られた多くの花束が、嘉兵衛の墓前に供えられたという。
また、この小説を原作に、嘉兵衛の物語が、NHK大河ドラマの候補に挙がったこともある。
大河ドラマ化は実現していないが、25年前の2000年、NHK75周年記念番組として、「菜の花の沖」のタイトルで全5回の連続ドラマが制作され、全国放映された。
嘉兵衛を実力派、竹中直人がエネルギッシュに演じ、嘉兵衛の妻、おふさを人気女優、鶴田真由が好演し、話題を呼んだ。
ドラマの内容はこうだ。
淡路島の貧しい農家に生まれた嘉兵衛(竹中)は、網元の娘、おふさ(鶴田)と恋に落ち、近藤正臣演じるおふさの父で地元の網元、網屋幾右衛門から逃げるようにして、淡路島を出て兵庫津へ。村井国夫演じる神戸の廻船問屋、堺屋喜兵衛のもとで、船乗りとして修業する姿が臨場感豊かに活写された。
この後、嘉兵衛は、兵庫随一の廻船問屋、北風荘右衛門(江守徹)の家で住み込みで働きながら、天才的な操船技術を発揮し、船頭として頭角を現す。
船頭頭となった嘉兵衛は、弟の金兵衛(筧利夫)とともに高田屋を創設。兄弟で神戸から北海道へと進出し、函館に高田屋の拠点を興す。
だが、〝未開の蝦夷地〟で嘉兵衛は大国・ロシアの脅威に直面することになる…。
=続く。
(戸津井康之)












