KOBECCO(月刊神戸っ子)2026年11月号
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■祈りを込めた共演この日のコンサートのサブタイトルは「祈りのクリスマス」。山本彩は、大阪交響楽団(弦楽四重奏)、箕面自由学園高校吹奏楽部、そして、能登半島地震で被災した地元の学生たちとコラボレーションしながら歌を歌い、また、シンガー・ソングライターとしてギターの演奏も行う予定だ。能登半島地震は、来年1月1日で、丸3年目の節目を迎える。「私の歌声で被災地の人たちを励ますことができたり、元気を出してもらえたり、応援できるなら、こんなに光栄でうれしいことはないです」これまでにも、東日本大震災をはじめ、全国の被災地へ、NMB48やAKB48などのメンバーとして、また、ソロとなってからも度々、訪れてきた。12月19日は、国民的人気となった大ヒット曲『365日の紙飛行機』も披露する予定だ。このヒット曲が生まれる背景について聞くと、こんな〝秘話〟を教えてくれた。当時、山本は大阪を拠点とするNMB48のキャプテンとして活躍する一方、東京を本拠地とするAKB48のメンバーにも選抜され、グループでの活動を兼任していた。■名曲誕生秘話「この頃、私のファンが、こんな質問をしてくれたんです」と山本が当時を振り返りながら話し始めた。その質問とは、こんな内容だった。「なぜ、山本彩さんはAKB48のセンターとして歌わないのですか?」ファンが質問したその相手は、山本が所属するAKB48、NMB48などの〝生みの親〟で、楽曲の作詞を手掛ける音楽プロデューサーの秋元康氏だった。「このとき、秋元さんは、ファンにこう答えたんです」秋元氏は何と答えたのか?それは、「〝ここぞという時とき〟が来たら、山本彩にセンターを歌ってもらうつもりです」という内容の返答だった。そして、しばらく経ってから…。ファン待望の山本が〝AKB48のセンター〟として歌うシングル曲が決まった。その曲こそが、2015年12月にリリースされた『365日の紙飛行機』(作詞・秋元康、作曲・角野寿和、青葉紘季)だったのだ。「秋元さんが、〝ここぞという時〟と話していた、その〝時とき〟が、ついにやって来た。それは今だったんだ…」と山本は感動に震名曲『365日の紙飛行機』誕生秘話について振り返る山本彩33

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